実物大模型

次男を追って

私には二人の息子がいます。長男は大学生、次男は今高校に通っています。かつて次男は、鉄道の話をする私を少し煙たがっていました。例えば家族でドライブをしていて、鉄道関係の施設が見えたり、普段見ない列車が現れたりすると、私は得意そうに解説を始めます。そんなとき、「もうマニア話はいいから…」こんな感じの反応です。

しかしながら、やはりカエルの子はカエルです。そんな次男も次第に鉄道に興味を持つようになり、2年前には18切符で日帰り旅行に出かけるようになりました。中学生の間は泊を伴う一人旅は我慢させていたのですが、高校に入りそれも「きちんとした計画を立てる」という条件付きで解禁しました。

コロナ禍ではありますが、今年の夏も彼はいくつかの一人旅を計画し、実行しました。その中の一つは東京への旅でした。現地で友だちと合流しますが、出かけるときは一人で、18切符を使って行くというのです。

現在大学生の長男は一人暮らしをしています。私たち夫婦は次男が旅に出ると二人きりになります。「いい機会だから私たちも旅に出ようか」ということになりました。行先は何かあったときに東京に駆けつけやすい静岡にしました。

「途中まで一緒に行くか?」と次男に聞きましたが、「ええわ」と一蹴されました。大きくなったものです。その一言が嬉しいやら寂しいやらです。

私たちは朝一番の普通列車で出かけた次男を追うように、新幹線で静岡へ向かうことにしました。

あの時の場所

新大阪駅で朝食用の駅弁を買って「こだま」に乗車します。

私の妻は「鉄ヲタ」ではありませんが18切符で旅することも厭わない女性です。だから「こだま」で抜かれながら浜松まで行くという私の提案を喜んで受け入れました。

新大阪を出発直後、ガラガラのこだまの自由席で駅弁と缶ビールを開けます。朝からお酒を飲むのはいつ以来でしょうか。なんとも言えない背徳感を感じ、それがまた旅を盛り上げてくれます。

列車は浜松までの間、京都以外の全ての駅で「のぞみ」や「ひかり」に抜かれます。時には2本連続で抜かれることもあります。270キロで走る長さ400mの列車が数分間隔で目の前を駆け抜けていきます。ものすごい技術と輸送量です。こんなことも「のぞみ」に乗っていては感じられないことだと思います。

岐阜羽島や三河安城といった駅のホームに立つことは普段はありません。何十回も通った駅なのに、実際に降りて外を見ると今まで気付かなかったものが見えます。効率を求めて急いでばかりの私の人生のことを指摘されているようでハッとします。

私たちの今日の目的地は大井川鉄道です。東海道本線の金谷が入り口なので、掛川で下車すればよいのですが、私たちは浜松で在来線に乗り換えました。その理由は、私がこの駅の新幹線ホームに立ちたかったからです。

10年以上前、私たち家族は浜松の遊園地に遊びに来ました。車での旅行でしたが、妻が駅近くで買い物をする間、私は息子たちを連れて入場券を買ってこの駅の新幹線ホームにやってきたのです。

次々に高速で通過するのぞみを見て息子たちは喜んでいました。二人ともまだ私と手をつないでいました。私の感覚からすれば「ほんの少し前」のことです。

浜松駅の新幹線ホームを妻と歩きながら、私はあの時息子たちと手をつないで立った場所に目をやりました。もう一緒に旅行してくれないことは寂しいですが、今日まで無事に成長してくれたことに感謝の気持ちが湧き上がってきます。

久々の感触

浜松からの在来線は全車両ロングシートで少しがっかりしました。少年の頃、一人旅で何度かここを通りました。湘南色の113系列車が多く走っていました。垂直のシート、モーターのうねり、開閉式の窓、JNRのマーク、いろいろな思い出が浮かび上がってきます。

金谷に到着し、大井川鉄道の駅へと向かいます。フリー乗車券を買い、列車に乗ります。ホームにはかなりくたびれた2両編成の近鉄特急が止まっていました。

列車が動き出して数百メートル進んだ時、私たちは顔を見合わせました。時速50キロぐらいで走っているのですが、揺れが大きいのです。今日は新幹線と東海道線を乗り継いできました。日本で最も整備されている路線です。普段の生活で利用する関西圏のJRや大手私鉄も、線路の状態は上等です。

そんな私たちにとって、久しぶりに感じる揺れでした。「鉄道ってこんなに揺れる乗り物なのだ」と思いました。この日の夕方、大井川鉄道に乗り終えたとき「揺れもごちそう」という言葉が浮かびましたが、考えてみるとそれは複雑な感想です。財政的に余裕があれば、大井川鉄道ももっと路線を整備することができるからです。このお金に関する話、この日この鉄道に乗りながら、ずっと私の頭を離れませんでした。

私たちは列車を塩郷で降りました。駅近くの有名なつり橋を渡るためです。この辺りの鉄道は山の斜面と川との間のわずかな土地を、道路と並走しています。したがって塩郷駅はホームから釣りができそうなくらい大井川をまじかに眺めることができます。

つり橋を渡りのんびりと散歩しながら次の列車を待ちます。それにしてもこれほど田んぼや野菜畑が少なく、茶畑が溢れている田舎を私は他に知りません。昔の人はどこから食物を手にしていたのでしょうか。または、この谷が一面茶畑になったのは意外と最近なのかもしれないと思いました。

駅へ向かっていると金谷方面から「ELかわね路号」がやってきました。

ELかわね路号

私は目の前で起きていることが信じられませんでした。令和の時代に電気機関車が国鉄の旧型客車を引いて走っているのです。

実は私は蒸気機関車に関してはあまり思い入れがありません。生まれた年代が少し遅すぎました。しかし、電気機関車やディーゼル機関車けん引の客車列車にはノスタルジーを感じます。EF64,EF65,DD51という機関車がけん引する列車は、私のなかでは「ついこの間まで」ありました。1980年代の時刻表を手にしながら、どうにもならない過去にため息をついている男が私です。

私たちはこの後、千頭から折り返しのかわね路号に乗ります。

祈り

千頭駅はトーマスが目的の家族連れで賑わっていました。私たちが乗ってきた2本の列車にはそれほど乗客はいなかったので、それより前の列車か車でやってきたのでしょうか。

山間のこの小さな集落の中心は、間違いなく大井川鉄道千頭駅です。ここには、鉄道に乗ること、またはその車両を見学する人たちが数多く集まっています。特に、大井川鉄道が機関車トーマスシリーズの車両の運行を始めてからは、子どもたちに大人気の目的地になったようです。金谷からずっと鄙びた駅を見続けていたので、この場所だけパッと花が咲いたような印象を受けました。

昼食のそばを食べた後、私たちは賑わう駅のすぐ横、堤防からのびる階段を下り、大井川の河川敷に立ちました。

賑わう駅が噓のように、ここには誰もいなくて、水の流れるだけが聞こえてきます。水の流れに対して広い河原が広がっています。そこを埋めているどんよりと黒っぽい石は火山が起源でしょうか。「暴れ川」で知られている大井川です。長い歴史をかけて、谷が侵食され、土砂を運び出し、それは今も進行中です。

この大井川の歴史から見たら、ほんのわずか昔に、その川筋に鉄道が敷設され、ダムの建設資材が運ばれました。ダム完成後も鉄道は残り、沿線に住む住民を運び続けてきました。

今、この鉄道が一番運んでいるのは、鉄道に乗ることそのものが目的の観光客です。

私は今回初めてこの鉄道に乗り、予想外の沿線住民の少なさに驚きました。川に沿った平地は少なく、いくつか町は見えるものの、鉄道で輸送する規模ではありません。

そんななかで、あの千頭駅の賑わいは、この鉄道の現在の存在意義を示しています。鉄道そのものに乗りに来てほしいから蒸気や電気機関車列車を運行し、トーマスやパーシーを走らせるのです。この鉄道はいわば「実物大の鉄道模型」を楽しむ場所なのです。日本に数多くある鉄道のなかで、ここまで鉄道に乗ることそのものを目的としたものはないでしょう。そういった意味では、日本で一番贅沢な鉄道ということができます。

しかし、それは裏返せば模型に飽きたとき人々はここに来なくなるということです。14時発臨時急行とその10分後のトーマス号が出発すると、この駅は一気に人がいなくなりました。あれほどいた子供たちも、どこかへ消えてしまいました。

EL急行かわね路号

私たちの乗るELかわね路号が入線しています。残り少なくなった人も、ほとんどがこの列車に乗って帰ります。私たちも乗り込みました。旧型客車に乗るのは、たぶん、小学生のとき山陰本線で乗って以来だと思います。

懐かしい暗さと匂いです。まさに実物大の模型です。モーターやエンジンの無い客車独特の静寂の世界、それにアクセントを添えるジョイント音、機関車が客車を引き出す時のあのゴッツという揺れと音。私にとってすべてが懐かしく、過去の記憶がよみがえります。

感激する半面で私は別のことも考えていました。

これを懐かしいと思うのは、そのもとになった体験をしている私だからです。私が蒸気機関車に対してあまりノスタルジアを感じないように、旧型客車や機関車けん引列車を知らない人たちがこの列車に乗れば、それはただの遅くて暗くて汚い列車に思えるのかもしれません。

この静岡の山間に奇跡的に残っている鉄道が、これからも存続しつづけるためには、それぞれの世代に向けてノスタルジアを感じさせるコンテンツ=実物大模型を提供しつづけなければ道は厳しいと感じました。

多くの人にとって”実用”から最も遠いこの鉄道が、これからも続いていくように、私は揺れる客車から祈らずにはいられませんでした。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。