電車・気動車・客車
列車を2種類に分けます。
①:動力分散方式 → → → 電車 気動車
②:動力集中方式 → → → 客車列車
①の電車は床下にモーターが、気動車はディーゼルエンジンが付いていて、基本的に自分で走行できます。見分け方は、列車の編成の前から後ろまですべての側面に窓がついています。
②の客車自体は自分で走行することができません。動力を伴う機関車にけん引してもらいます。機関車は乗客が乗らないため側面には窓がありません。客車列車は、けん引する機関車(蒸気・電気・ディーゼル)によって3種類に分けられます。
2種類の列車の内、どちらの列車が多いのかというと、今の日本では圧倒的に①の動力分散方式になります。走っている列車の99%以上は電車や気動車による列車で、新幹線もすべて電車になります。
かつては日本にも数多くの客車列車が走っていました。私の少年時代、1980年代の時刻表を見ると、ブルートレインなどの長距離列車を始めとして、北海道・東北・山陰地方を中心に数多くの客車普通列車が運行されていました。
しかし、機関車を付け替える手間と、加減速性能が動力分散式列車に劣りダイヤが組みにくいことから、客車列車はダイヤ改正ごとに数を減らし、現在では「ななつ星」といった特別な列車以外に運行されなくなってしまいました。
私はこの客車列車が大好きでした。今でもよく子供時代に乗った山陰本線を思い出します。DD51ディーゼル機関車にけん引され、くすんだ青や茶色の旧型客車列車が、普通に走っていました。その中で見た寝台特急出雲の鮮やかなブルーの車体、後光がさしているように感じられました。
ダイヤ改正の度、時刻表を読むことがある意味苦痛になってきました。鉄道全体的に興味があるため、大まかにいえばワクワクするのですが、客車列車が年ごとに減っていくのは身を削られる思いで見ていました。そして、ある時期、20世紀が終わるころには諦めの境地に達しました。「10年ほどで客車列車は日本から消えてしまう」と。
2012年のトワイライトエクスプレスを最後に、私は客車列車から遠ざかっていました。
台湾で久々の客車列車を体験
昨年末、家族で台湾を訪問しました。
私にとっては3度目の台湾ですが、妻や子供たちは初めてです。
一人旅なら、台湾語が普通に話されている台湾南部を訪問するのですが、今回は家族旅行なのでベタな観光地を訪問します。
この日は台北から北上し、十分・ホウトンを回る予定でしたが、私の心は台北から瑞芳(ルイファン)までの客車列車の旅に奪われていたため、ここへの交通手段は、家族には一切相談せずに私の独断で決めました。台北から数多く運行されている列車の中で、10時07分発の莒光(キョコウ)号の座席を台北到着後すぐに買いに行きました。
自彊号=特急、莒光号=急行、区間車=快速か普通、日本の列車種別と比較するとこのような感じです。台湾でも日本同様に特急列車が幅を利かせ、急行列車は減少の一途をたどっているようです。そしてこの急行=莒光号こそが、今や台湾でも貴重な客車列車なのです。
台湾は3度目でも、台鉄は初めての私。この日は朝からテンションが上がりっぱなしです。しかも今日は客車列車に乗れる日。自然と鼻歌がこぼれます。
台北駅に到着しました。台鉄も高速鉄道も、線路はすべて地下にあるためあまり駅に来たという実感がありません。日本では大都市の主要駅はすべてと言っていいほど地上にありますが、ここ台湾では台北、台南、高雄と地下駅が多いです。
駅舎の一角、台鉄駅弁本舗で弁当を購入。準備万端、いよいよ台鉄客車列車との対面です。地下2階にある改札は出場と入場が別の場所にあります。かつての日本の主要駅でもそうであったと聞いていますが、こういう場所に日本時代の名残が残っているようです。
発車まであと15分ありますが待ちきれません、待合室にいる家族を残し一人ホームに降りて列車を観察します。丁度、自彊号が花蓮にむけて出発していきます。
テンションが高くて挙動不審な私のもとへ冷静な家族がやってきます。そして、莒光(キョコウ)号の入線。
E400型機関車の後ろにオレンジ色の客車が続きます。電気機関車のブロワの後に続く客車の静かなジョイント音。そして「ゴーーッ」というのか「ゾーーッ」と言うのか、その中間のようなブレーキ音。
久しぶりに体験する感覚に、私の中で「官能」という言葉が浮かび上がってきました。
至福なこの瞬間 モヤモヤって何?
客車に乗り込みます。外見といい内装といい、少なくとも30年ぐらいは経っていると思います。一般人にとっては少し古臭い感じ、鉄ちゃんにとってはいい感じになってきています。頭部のカバーには台鉄のクマキャラが。この辺りの感性、日本と似ています。
ほぼ埋まっている車内で発車の時を待ちます。
ガクッという軽い揺れの後、静かに加速していきます。地下区間なので外は見えませんが、走行音からクックッっと少しづつ加速していくのが分かります。
加速がモーター音やエンジン音と常に同期している電車や気動車にはないこの感覚。自ら頑張って動いているのではなく、機関車にすべてをゆだねてついていく感覚。トワイライト以来7年ぶりに体験する感覚にアドレナリンが放出されます。家族を見ると、地下区間に退屈そうな表情。同一のことが、光にも影にもなり、物事には実態はない、仏教の教えの正しさを感じます。
南港を出ると地上区間に出ます。ここで駅弁を開けます。鉄道好きの習性で、思わずそうしてしまいます。「駅弁は景色を見ながら食べるもの」そんな思い込みに行動を制限されます。もっと柔軟にならなければモヤモヤ脱出は難しいでしょう。
八角形の器に入ったのっけ弁当。白米の上に、排骨肉を中心に煮卵・シシャモのような魚・青菜の炒め物・細切りされた大根と人参。これで60元≒240円、しかも温かい。
台湾では弁当も温かいのが当たり前で、台湾人は日本の冷めた弁当に驚くという話を聞いたことがあります。
わずか1時間足らずの乗車時間で、弁当を食べながら、すれ違う列車、通過する駅の様子、車両基地、線路の分岐の確認と、ゆっくりとする時間がありません。
しかしながら、客車列車に揺られながらそれらを眺める時間は私にとって至福の時間で、この時ばかりは普段悩まされているモヤモヤも入り込んでくる隙がありません。
客車列車独特の走行音、加減速のリズム、力強い電気機関車に引かれる感覚、すべてに懐かしさを感じます。窓から見える2軸の貨物車、プラットホームで指差し確認をするホーム要員、構内踏切の脇で安全を見守る駅員、日本では合理化の下で見られなくなった景色に魅了されます。
家族にとっては退屈な、しかし私にとっては夢のような1時間が過ぎ、私たちは瑞芳(ルイファン)で下車。ホームは十分方面に乗り換える驚くほど多くの人で溢れています。もう一度機関車まで行き乗ってきた列車を眺めたかったのですが、乗り換え時間もあり、泣く泣く平渓線のホームへ移動しました。
平渓線の3両編成のディーゼルカーは、都会の通勤電車並みの乗車率。私はその人ごみの間から、ゆっくりと走り出す莒光号を見送りました。
私はまだ何も考えていなく、モヤモヤとは無縁だった子供時代のことを思い出しました。客車列車に座り、DD51機関車に身を任せて、その力強さに安心していたあのころ。
全ては有限であり、すべては変化するから、この刹那がかけがえのないものとなる。わかっているのですが「あの頃はよかった」と、過去を美化してしまうどうしようもない生き物が人間なのだと思います。年をとり、体も頭も働くなれば「モヤモヤしてたけれど、ブログを書いていたころはいろいろできてよかった」そう思うでしょう。
この1時間のような時間を常に持てるようになれば、つまり、今を最大限に生きることができれば、私はモヤモヤに苦しめられなくてもよくなると思います。このことはわかっていても、いつも「でもどうやって」、この言葉が後からついてきます。
短い間でしたが、私をモヤモヤから解放してくれた台鉄に、どっぷりとハマりそうです。