乗り換え時間
倶知安でサイクリングを楽しんだ私と次男は、この日の宿泊地札幌へと向かっていた。
今回も次男の立てた計画に沿った旅行。新幹線が札幌まで延伸した暁には存続が危ぶまれる函館本線の”山線”に乗るのが今日の大きな目的であった。
その目的とは裏腹に、山の中をひたすら走る山線の単調な景色に次男はウトウトとしている。余市で久しぶりに街らしい景色に出会い、2両編成の座席が埋まるぐらいの乗客を乗せて列車は小樽駅の1番線に到着した。
北海道観光の中で外すことはできないこの観光都市も、次男にとっては興味の対象にならなかったらしく、私たちはすぐに列車を乗り換えて札幌へと向かうことにした。
小樽駅1・2番線は島式ホーム。南側の1番線を降りた私たちは、そのまま2番線に待機中の普通列車に乗り込む。形式はよく分からないが、札幌近郊を走る全席ロングシートの味気ない車両である。
すこしガッカリしながら網棚に荷物を載せて、駅舎側の席に腰を下ろし、そのまま後ろを振り向く。
停留線として使われていると思われるかつての機回し線を挟んで、今は「裕次郎ホーム」と呼ばれる4番線とホーム、更には昭和初期に建てられた小樽駅の立派な駅舎が一度に目に入る。
「下車してゆっくりと見学してみたいなあ」と思いながら、視界に見慣れぬ光景が入ってくるのを感じた。
それは4番線の線路上で起こっていた。
見慣れぬ光景
視界に入ったのは4羽のカラスと1羽のトビ。私の鳥に関する知識では、実際にその鳥がトビなのかどうかはわからないが、小型の猛禽類であることは確かだったので、トビとしておく。
駅舎を見ていた私は、カラスの鳴き声に視線を下に向けた。すると線路上では2羽のカラスがトビを攻撃していた。
「飛んで逃げればいいのに」と思ったが、トビは弱っていて飛ぶことができないらしい。
2本のレールの間でトビが羽を広げている。威嚇されたカラスは、軽やかにトビの後方に回り込む。そしてそれぞれがトビの左右の後方から、順番に羽をくちばしで突く。羽を引き抜くように突く。
怒ったトビが羽を動かして、体を翻す。抜かれた羽がバッと宙に舞う。カラスは再び軽やかに”チョンチョン”とジャンプして、トビの後方に回り込む。憎らしいほど、カラスは賢い。そして余裕がある。
同じ車両に乗っている人々も、その出来事に気が付いて、車内がざわつき始める。
江別行き普通列車の発車は18時08分。倶知安からの列車の到着が18時04分。わずか4分間の乗り換え時間が、その何倍もの長さに感じられる。トビの苦悩が伝わってくる。
2羽のカラスが同じことを繰り返す。攻撃されるトビも同じ動きを繰り返す。その度に弱ったトビから、白い羽が舞い上がっていく。
カラスは全部で4羽。残りの2羽のカラスは線路から約5メートル上、交流2万ボルトの流れる架線の上にとまっている。北海道ではそれほど多くない電化区間は、この駅から始まる。
架線の上のカラスは下で起こっている出来事を眺めている。とても冷静でいるように見える。カラスに表情があるとは思えないが、うすら笑っているように見える。
これから4羽のカラスとトビに何が起こっているのだろうか。
そもそも、カラスは何のためにトビを攻撃しているのであろうか。雑食性のカラスは死んだトビの肉をも食べるというのだろうか。
これが逆なら分かる。猛禽類の鋭い嘴が、死んだカラスの肉を食いちぎる姿は想像できる。しかし、あのカラスの大きな嘴でどうしてトビの体を解体するのか見当がつかない。
1対1ではトビに勝てないカラスが、ここぞとばかりに憂さを晴らしているのだろうか。架線上の2羽のカラスは、攻撃中の2羽が劣勢に立てば、加担するのだろうか。
普段見慣れぬ光景に、私の想像力は掻き立てられる。
4分の後に…
私の心はトビに同情している。羽を抜かれる痛みが、私にも伝わってくるようだ。
弱っていくトビを見て、これは勝ち目のない戦いのように思えた。攻撃中の2羽のカラスが疲れたら、架線の上で休む2羽が交代すればいい。トビには味方がいない。一人ぼっちで、分の悪い戦いを続ける。
「いっそ4番線に列車が入線してくれたら…」
車輪にひき殺されるリスクはあるが、うまくレールの間にいれば助かるかもしれない。カラスがはねられて、形成が逆転する可能性もある。
私は、こんなにも焦りながらも、ある部分は冷静に頭を働かしている。
普段、生きていくために多くの命を奪っているのは猛禽類であるトビの方である。トビの親戚、もう少し大型である鷹や鷲は、間違いなく食物連鎖の頂点に位置する。トビも、まあそれに近いであろう。
カラスは、どちらかというと、他のものが奪った命を横取りする役割だ。特に、街ではゴミをあさるイメージが強い。
私の目の前では、トビがカラスによってなぶり殺しにされている。ひょっとしたらカラスは、生きるために、餌としてトビを食べようとしているのかもしれない。
事の真相はわからないが、目の前で苦悩し、消えようとしているトビの命に心が痛む。
「何を今さら」という思いもある。
北海道を旅行して、美味しいものをたらふく食べている。
チャイニーズバーガー、刺身の盛り合わせ、寿司、焼き鳥弁当、いかめし、カニちらし寿司、この24時間以内に私が摂取した食べ物だ。言うまでもなく、全ては命を持っていたもののなれの果てである。それらの命は、私以外の誰かが殺めて誰かが加工した。
生まれてから今まで、私は他の命を消費し続けることで、自らの命を保ってきた。生まれる前も、私の祖先は同じことをしてきた。私だけではない。この世に存在する動物は全て、誰かの命を奪うことで存在し続けている。
やはり「何を今さら」という気持ちになる。
しかし、頭でわかっている「命の消費」が、今こうして目の前でゆっくりと進行していると、私はこの「当たり前」のことが当たり前に思えなくなってくる。
誰もが持つ命であるが、誰もが別の個であり、一度しか存在できないのである。そういう私も、数百億、数千億の中の一つに過ぎないが、同時に他に代わりのいない唯一無二の存在でもあるのだ。
江別行きの列車は、定刻の18時08分、小樽駅を出発した。私は4番線を、視界から消えるまで眺めていた。
僅か4分間の出来事であったが、私にとって今回の旅行で最も印象に残った瞬間であった。