自由時間
普段の生活の内で、自分の自由になる時間を考えてみます。
平日は朝7時に家を出て仕事に行き、夕方7時から9時の間に帰宅をします。土日祝日は基本的には仕事がありませんが、月に2日ぐらいは半日程度仕事が入ることがあります。
お金を稼ぐ仕事に加えて、私には家の中で期待される役割もあります。
例えば、妻が疲れている時は洗濯ものを畳んだり、食器を洗ったり。これは非常に微妙な間合いが要求される行為で、出しゃばりすぎると妻の機嫌が悪くなり、かといって必要な時にこちらから動かないと同様の結果になります。
私は一般的な親よりは英語ができると思うので、子供たちに英語を教えるのも私の役割です。子供らには「必要なら来なさい」とだけ言ってこちらから働きかけることはないのですが、最近は長男が酔っぱらった頭では答えにくいレベルの問題を持ってくるようになりました。
仕事、家庭に加えて、地域との付き合いがあるのですが、こちらは子供たちが少年野球を卒業してからはほとんどなくなりました。母親同士の付き合いは続いているようですが、男はこういった仕事以外での付き合いを続けていくことは苦手です。
その他、休日に私の実家に帰り農業を手伝ったり、免許を返納した妻の父親に代わり買い物を手伝ったりしていましたが、これらはコロナの蔓延以来中止しています。
さて、上記に書いたことに加えて、睡眠・食事・入浴など生活に必要なことを行った残りが、私の純粋に自由になる時間になります。
その私の自由時間に行っていることを書き出すと、以下のようになります。
- 語学(英語・イタリア語)の学習
- 通訳案内士の学習
- 読書をする
- ブログの記事を書く
- お酒を飲む
考えながら箇条書きにしてみたのですが、これより他のことはほとんど行っていません。
少し前までは「ツーリング」「鉄道の旅」「サウナ・銭湯」「立ち飲み」も入っていたのですが、緊急事態宣言が出たことと、このコロナ禍を少しでも早く終わらせるために自分にできることを考え、苦しいですがそれらを中断しています。
隙間を見つけながら
自由時間に行うことで、今一番大きい割合となっているのは「通訳案内士の学習」になります。
具体的な内容は、1.日本の歴史、2.日本の地理、3.通訳案内の実務、4.産業・経済・政治及び文化に関する一般常識、の4科目になっています。
1次試験ではこれらに加えて外国語の試験があるのですが、英検1級の資格保有者は英語の試験が免除となります。
昨年の秋に英検1級に合格した時、この1次試験免除のことを知りました。他の受験科目を見ると社会科に関係する科目ばかりです。
私は社会科の教師になることを目指していた時期があり、実際にその資格も取得しました。結果的には違うことを行っているのですが、通訳案内士のことを知った時、そのころの気持ちが蘇ってきました。
そんなわけで、今は隙間時間を見つけては各受験科目、いわば社会科の学習を行っています。
使用する教材はこんな感じです。
- 日本観光通訳協会発行 日本文化・外交小史 観光日本地理
- 通訳案内士 過去問題集
- 通訳案内士 総合テキスト
- 高校日本史B教科書
- 地図帳
- スタサプ動画
通勤カバンの中には「日本文化・外交小史」か「観光日本地理」のテキストが入っており、電車の中や仕事中の隙間時間を使ってそれらを何度も読み込んでいきます。
仕事から帰宅すると、その日の疲労具合によって教材を変えます。集中力がない時は、一問一答のテキストや地図を眺めています。時間と気力がある時は、スタサプ動画で伊藤賀一先生に日本史を教わります。
休日は勝負を行う日です。本番の試験のつもりで過去問を解いて、採点をします。その後、時間をかけて解けなかった問題について学習を深めていきます。各種資料を読んだり、白地図に記入を行ったりしながら、体に浸み込ませていきます。
日本史や地理を勉強していると、若かりし日の記憶が蘇ってきます。中学の時の社会科教師に憧れて、そこから彼と同じ職業を目指しました。人文地理学のゼミに入りました。教育実習では明治時代を教えました。同じ学科の友人たちは社会科教師になっていきました。
通訳案内士の学習をしていると、それら一つ一つの出来事が頭の中に浮かび上がってきます。そして、今、これから進もうとしている自分に向かって、すべてのことがつながってきそうな気がするのです。
社会科教師を目指していたがならなかったこと、
沼にはまったような気持で語学を続けてきたこと、
恵まれているという自覚がありながら幸福を実感できなかったこと、
ブログを書くことで幸せを感じる心を作ろうとしていること、
バラバラに見えたこれらのドットを結ぶ線が、うっすらと浮かび上がってきているのように思えます。
異なる「忙しい感」
私は今、毎日をとても忙しく過ごしています。上に書いた空き時間に行うことリストの中でも、通訳案内士と語学で大半の時間を使ってしまい、正直言ってブログの記事も週1で更新するのがやっとです。
テレビも見ないしSNSもしないので、周りの話題についていけないこともあります。読書をするにしても、英語学習を兼ねての洋書を読むのでバランスが悪くなります。
時々「もう少しいろいろな情報に目を向けて、幅広い活動をした方がよいのでは…」と思うことがあります。
しかし、考えてみると今までも同じようなことを思ってきました。
「使わない語学を続けるぐらいなら別のことに時間を使ったら」とか「世間並みにFacebookやツイッターをやって世界を広げたら」とか。
私の中で「何か特定のことに時間を奪われて忙しく、それゆえ別のことにも目を向けてバランスをとるべき」という気持ちは、絶えず私の心の中に存在していました。
思えばその気持ちに支配されていたことが、私の中にモヤモヤを作り出していた大きな原因であると思います。
やるべきことが多すぎて忙しい、もっと他のことを行ってバランスを取らないと、でも忙しいからできない、このサイクルです。
そして最近分かったことがあります。
それはそれは「忙しい」にも種類があるということです。
ブログを書き始めた2年前も、モヤモヤMAXに襲われた去年も、私は「忙しい」と言っていました。そして今でも「忙しい」と言っています。
しかし今の私の「忙しい」は、語感の少し柔らかい「忙しい」です。その言葉を口にしながら少し笑みを浮かべているような感じです。以前の、言い終わった後にため息をつき伏し目になるようなタイプとは異なります。
この違いは何なのでしょうか。
私が考えるに、これは「行先き」が関係しています。「忙しい」の行先です。
語学を始めとする様々な「~ねばならない」ことで「忙しい」と言っていた私には行き先がありませんでした。何を求めてそれらを行い、これからどんな人生を過ごしたいかというビジョンです。
去年の夏に明石焼きに目覚め、秋の英検1級合格で通訳案内士が視野に入りました。同じく簿記3級合格で新しい価値観を得ることができました。
夫婦で明石焼きの店をする
通訳案内士として外国人に日本のことを伝える
一人社長として会社を持つ
そのためにサイドFIREを視野に入れる
今の「忙しい」にはこれらの行き先があります。今からこれらがどこでどう繋がっていくのかは、まだ未知数ですが、とにかく何らかの方向に向かっています。
そして何よりも、その方向に向かい忙しくしている私自身の心がワクワクしているのです。
今日も私は今までとは異なる「忙しい感」で、慌ただしくブログを書き終え、これから日本史の勉強を始めます。