一進一退の中…
4回、または5回、もう何度波が上下したのか曖昧である。
私の生活する兵庫県も、6月下旬には1日の感染者数が20人程度になった。550万人のうちの20人であり、ワクチン接種率の上昇と合わせて「もうコロナは収束するのでは…」という期待を持った。
しかしながら、7月半ばから感染者数は増加の一方、ワクチン接種は進んでいない。私の所にもクーポンは来たが、予約の受付は止まっている。
この禍にも半分慣れて、半分はうんざりとしている中、東京オリンピックが始まった。緊急事態宣言下の東京において、無観客での開催である。
連日、競技の様子がTVで放映されているようだ。私はTVをほとんど見ないからよく分からないが、テレビ欄を見るとそのようである。
新聞の記事にも大きく取り上げられている。日本の選手は活躍しているようで、お家芸の柔道はもとより、新たに採用された競技でも多数のメダルを獲得しているという。
コロナ禍の中の明るい話題として取り上げられている東京オリンピックであるが、私は意識的にその話題から目を逸らそうとしている自分に気付いている。最近では珍しいくらい、心がモヤモヤしている。
「どうしてみんなオリンピックをやりたがるのだろう」
「オリンピックは何を目的として行われるのだろう」
そんな疑問が頭の中をぐるぐると回っている。
「おもてなし」の日
私は2013年のあの日を思い出す。東京オリンピックの開催が決定された日である。滝川クリステルさんのプレゼンで使われた「おもてなし」という言葉がブームになった。
開催決定の瞬間、私は「嘘だろう」という気持ちで落胆したことを覚えている。心のなかではずっと、他の都市で開催されることを期待していた。
その理由は2011年の東日本大震災であった。私は直接被害を受けていないが、それでもこの未曾有の災害に心が痛み、被害者に祈りを捧げずにはいられない。
何をもって復興とするのかよく分からないが、2013年の時点では、被災地は復興からは程遠かったはずである。被災地の人々が、この「おもてなし」と東京五輪の開催決定をどのような気持ちで受け止めたのだろうか。
もちろん人によって受け止め方は異なる。しかし私なら「開催決定は今ではない」と思ったはずである。
震災直後、福島の原発の廃炉には40年の時間がかかると言われた。東京オリンピック開催中も、あの場所では放射能で汚染された水が増え続け、多くの人々が被ばくしながら作業に従事している。土地を追われた人々は「あと何年たったら帰れるのだろう」と思いながらオリンピックを経験する。
このような想像から、2013年の時点で私はオリンピックの開催を望んでいなく、その思いは今も変わらない。
「だからこそ、みんなを元気づけるオリンピックが必要なのだ」そういう意見を言う人の気持ちもわかる。私のような後ろ向きな気持ちの人ばかりでは、世の中は暗くなる。
しかし、東日本大震災はあまりに大きすぎる災害であった。そして、その被害は現在でも進行中である。
東京五輪の誘致において福島の安全性が強調された。福島県民たちは、どんな気持ちでこれを聴いていたのだろう。福島がオリンピックのダシに使われたのではないのか。
先進国になり、どれだけ経済や科学技術が発達しても、自然の脅威の前には無力な存在、災害大国日本に住む人々は、自然災害に慣れ過ぎてしまったのだろうか、このことをよく忘れてしまう。
私たちの取るべき態度は、自然を畏怖し、安寧であることを祈り、その恵みに感謝すること。そして不幸にも 自然に命を奪われた死者に対して、その魂の安らぎを祈ること。どんな時でも謙虚さを忘れないことが、私たちの大きな力となっていたのではないか。
57年前
親族やかつての上司から1964年の東京オリンピックの話をよく聞いた。
「そうか、君はオリンピックの時には生まれてなかったんか」そう驚かれた私も、すでに40代後半をむかえている。
もう、戦前・戦中・戦後の復興、この流れの中でオリンピックを経験し、それを語ることができる人は、ほとんどいない。終戦時に二十歳でも東京五輪は39才、現在は96歳である。
私は57前の東京大会に思いを馳せる。
昭和の初めから20年間続いた重苦しい時代。日本は完膚なまでに叩きのめされ、否応なく時代に区切りをつけさせられた。戦争を経験したわけではないが「あと1年早く戦争が終わっていたなら」、私はいつも悔しさでいっぱいになりながらこう考える。
数百万の人々が亡くなり、主要都市がほとんど破壊されて戦争は終わった。今まで信じてきた価値が、一夜において否定され、別の価値観の中で生きていくことを強要される。それがどんなことなのか、私は自分の枠組みの中で想像することしかできない。
昨日まで忌み嫌う敵だった人間の指示に従うことから、日本の戦後は始まった。そして、朝鮮戦争や東西冷戦構造といった要因により、幸いなことに日本は経済的発展を手にすることができた。
独立国となり、国連に加盟し、経済を発展させ、失った自信をある部分では取り戻す中迎えた昭和39年の東京オリンピック。毎年給料が上がり、暮らしがよくなり、それはこれからも続いていくと疑わない中での世界の大舞台。人々の高揚感たるやいかなるものだったのだろうか。
もうほとんど聞くことはなくなったが、戦争と東京オリンピックの両方を体験した人の話には、熱がこもっていた。
「同じ目標を持ち、みんなが一つことに向かい、同じ景色を見て共に感情を分かち合うことができる」
私によって美化された57年前のオリンピックのイメージである。しかし、私が今まで見聞きした話から考えると、極端には外れていないと思う。
借方は何だろう
単純に比較しても意味は無いと分かっているが、それでも今回のオリンピックの開催には疑問を持たずにはいられない。
誰が望んだことなのだろう。誰が熱心に取り組んだのだろう。誰が楽しむのだろう。
誰かが望み、誰かが熱くなり、誰かが楽しむ。
私の心が冷めているからなのだろうが、この大会には”私”が抜けている感じがする。
私が望み、私が取り組み、私が楽しむ。
私たち一人一人を巻き込んだ形の”私”が見えなくて寂しい。
自信の源だった経済成長が止まり、失われた20年を経験し、少子化により、国と街の様子の両方が高齢化している日本。
毎年のようにやってくる自然災害、1億総中流意識ははるか昔、格差が広がる中で未曾有のパンデミックを経験する日本。
私たちはそんな中、東京オリンピックをむかえている。あらためてオリンピックを開催する意味を考えずにはいられない。
愚痴を言ってばかりではいけない。開催に反対だったオリンピックはすでに始まっている。それはそれで受け入れよう。そして成功することを祈りたい。
私は考える。この無様なオリンピック開催の借方・資産は何なのだろうかと。
今私に想像できるのは、オリンピックが終わった後の凄まじい喪失感である。自然災害やパンデミックも、オリンピックという華やかなイベントの陰に隠されていた部分がある。
この催しが終わった後、私たちは嫌が上でも現実と向き合わなければならない。その時私たちは、自然災害や疫病に対して謙虚な気持ちになれるのか。身の程を知り、人知を超えたものに対して畏敬の念を持つことができるだろうか。
古代から当たり前のように持ち続けてきた、このようなこの国で生きていくための知恵を取り戻すこと、それが今回のオリンピック開催で手にすることができる資産=借方であると、私は信じたい。