苦手意識
私は、18歳のときから結婚するまでの10年間一人暮らしをしていました。そのため掃除・洗濯・料理等の家事は一通り覚えて行っていました。それは家族を持った今でも同じで、時々台所に立ちますし、家族全員のシャツにアイロンをあてるのは私の役割です。
そんな自称「家事力の高い」私ですが苦手にしていることが1つあります。それは裁縫です。
一般的な家庭で裁縫の出番といえば、とれたボタンをつけたり、生地のほつれを直したりということになるでしょう。これらは中学校までに家庭科の授業で習う内容で、たいていの人はできることでしょう。
しかし、私はこのよううな基本的な裁縫ですら苦手としています。もちろん何度も挑戦しましたが、ボタンはうまくつきませんし、生地は再びほつれ始めます。
このようなことから、私は裁縫に対して苦手意識を持ちました。苦手意識を持ちながらそのことを行うと、たいていはうまくいきません。私は結婚後、裁縫は妻に任せ、やらなくなりました。
妻は普通の人よりは裁縫が好きで、息子たちが小さな頃は浴衣や布かばんをよく作っていました。家事全般は私も手伝うが、裁縫だけは妻だけの仕事、私はこのような立場で家事に関わっていました。
そんな私が先日二日間にわたり、夜お酒も飲まずに裁縫に没頭するという出来事がありました。自分でもこんなことになるとは想像していませんでした。
二日間、裁縫に没頭した結果、一つの作品ができました。そして、今、私は裁縫に対して少し自信を持っています。さらに、これから次々と作品を作りつづけようと思っているのですから自分でも驚きです。
約56時間
私が作った作品は、一枚のTシャツです。正確に言えば、Tシャツを買ってきてその胸に自作のアップリケを縫い付けました。
ことの始まりは、名古屋場所初日、ある銭湯のサウナ室でした。
日曜のため仕事は休みでしたが、私は仕事がらみのちょっとした用事で外出していました。30分ほどで用事が済んだので、私は近くの銭湯に行きました。その銭湯のサウナにはテレビがあり、チャンネルは利用者が自由に変えることができます。
大相撲中継の始まる午後3時、私は他の利用者に了承を得て、チャンネルを相撲に変えました。さて、至福の時間の始まりです。
十両後半の取り組みが終わり、幕内土俵入りを眺めているとき、新入幕の力士の紹介がありました。伊勢ケ浜部屋の「錦富士」です。その時、私の中に降りてきました。降りてきたのは、きらびやかな絹製の生地で形取られた富士山の姿です。
「錦で富士山の形を作ったら面白い」私は思いました。そして、次の瞬間、同じ伊勢ケ浜部屋の「翠富士」の姿が浮かびました。これはシンプルに緑色の生地で作られた富士山です。
「さて、これら富士山の形をした生地をどうする」
私はこの日、自作の「サウナTシャツ」を着ていました。この日だけではありません。5月にできあがって以来、休日にサウナへ行く時はこのTシャツを着ていきます。
分かる人は一目見てその意味が分かるので、このTシャツを着ていると知らない人に声をかけられることがあります。
「錦と緑の富士山もTシャツにつけていたら、相撲好きには分かってもらえる」
そう思ってからの私の行動は迅速でした。
翌日仕事が終わると手芸店へ行き、各種布地を買いました。その帰り道、ユニクロでTシャツを購入するとわき目もふらず帰宅し、すぐに裁縫を始めました。
その日と翌日、私は夕食を食べる時間も惜しんで裁縫に打ち込みました。その結果、作り始めて2日目の午後11時、私の「伊勢ケ浜部屋Tシャツ」ができ上りました。サウナで錦富士のイメージが浮かんでから約56時間後のことでした。
3つの富士山
伊勢ケ浜部屋Tシャツには3つの富士山をイメージしたアップリケが取り付けられています。
当初はサウナで浮かんだ「錦富士」「翠富士」の二つを縫い付ける予定でしたが、バランスを考えるともう一つ富士山がほしくなりました。そこで、同じ伊勢ケ浜部屋の力士で最近私が注目している「熱海富士」を加えることにしました。
他の二人と異なり熱海富士は布地の色だけで表現することができません。そこで、刺繍で温泉マークを入れることにしました。熱海と言えば、まず温泉が連想されるからです。
裁縫が苦手な私です。生まれて今まで刺繍などしたことがありませんでしたが、私に迷いはありませんでした。「熱海富士」を表現したい、その一心で針を進めました。
熱海は富士山の東側に位置するので、当初は右下に小さく温泉マークを刺繍しようと考えました。しかし、いざ縫い始めるとすぐに、私のテクニックではそれは無理であると分かりました。私は何とか富士山の真ん中に、不細工ながら温泉マークを刺繍することができました。
3つの富士山型のアップリケを作成し、Tシャツの上に並べてみます。伊勢ケ浜部屋の3人の力士がTシャツの上に並んでいるではありませんか。嫌が上でも気持ちが盛り上がってきます。あとは、この3つのアップリケをTシャツの上にまつり縫いしていくだけです。
しかし裁縫に苦手意識を持ち続け、ほとんど避けてきた私です。そう簡単にはいきません。まつり縫いの基本や待ち針の使い方を妻に教えてもらい、少しずつシャツと富士山を一体化させていきます。
最初に錦富士を真ん中に縫い付け、左に翠富士、右に熱海富士の順番に取り付けていきます。ステッチの間隔が歪であったり途中に糸が絡まってやり直したりしましたが、何とか3つの富士山がTシャツと一つになりました。3つとも明るい色の富士山なので、背景の黒に引き立てられていい感じです。
予測不可能
作り始めて2日目の夜11時過ぎ、出来上がったTシャツを手にして、私は不思議な感覚を味わっていました。すべてはこの2日半に起きた出来事なのです。頭にTシャツのデザインが降りてきたのも、布地を買いに行ったのも、こうしてでき上ったTシャツにうっとりしているのも。
最も驚くべきことは、苦手意識を持ち避け続けていた裁縫が、一瞬のうちに楽しみに変わったことです。自分が針を持ってオリジナルの服を作るなんて、死ぬまでしないと思っていました。
そして、その思い込みはあっさりと覆されました。
私は今、心の底から思っています。
「未来のことは分からない。凝り固まった思い込みが私の可能性を今まで閉ざしてきたし、気をつけないとこれからもそれはありうる」と。
ここでも行動することの大切さを学ぶことができました。失敗してもいいから、とにかく動き出さないと現状は変わりません。逆に行動して小さな失敗を重ねることが、満足できる状態、つまり成功への道だということです。
さて、私のこの「伊勢ケ浜部屋Tシャツ」、実は失敗作です。富士山の布地を、私はレーヨン製の縮緬で作ってしまったのです。手芸店で「いい質感と大きさだ!」と思った生地がそれだったのです。
生地には「洗濯しないでください」という表示がありました。
「どういうこと?」と思った私は、試しに生地を霧吹きで濡らしてみました。すると、まあ、生地の縮むこと縮むこと。面積でいえば半分以下になってしまいました。
急いで扇風機にあてて乾かすと、少しだけ元に戻りました。ここでわかったことは、レーヨン製の縮緬は湿気により不安定な形になるということです。
したがって、何とか縫い付けられた3つの富士山は、最初の洗濯と共に形を変える可能性が高いということです。
まあ、それもいいでしょう。小さな失敗から学べばよいだけです。今度は、縮みにくい布を買ってきて富士山を作ります。できれば、宝富士や照ノ富士のデザインも考えてみたいと思います。
このTシャツは、来週訪問する名古屋場所に着ていきます。