元旦の宅配便
大晦日午後11時30分、パソコンの前で力尽きて寝ていた私を妻が起こした。この日は訳あって深夜12時に起きていたかったのだ。別に年が変わる瞬間が見たかったからではない。
カウントダウンの瞬間はもう10年以上経験していない。大晦日にお酒を飲み、そばを食べたら後は寝るしかない。少なくともアルコールの回った私の体はそれを欲する。
NY市場はこの季節、日本時間の23時30分に始まる。私は、今年最後の取引で気になっていた銘柄の値動きを見て、良ければ今年最後の買い物をして1年を終えたかったのだ。
その思いもむなしく、私は再び眠りに落ち、日付を跨いだ2時間後トイレに起き、中途半端な歯磨きの後ベットに潜り込んだ。1年の大切な節目を、私はいつもこのような調子で迎えている。
朝、LINEを開くと年が変わる瞬間に数多くの祝福メッセージが交わされていた。私がその祝福の輪に参加できる日が来るのだろうかと思うが、大晦日にダラダラとお酒を飲む限り、おそらくそれは来ないであろう。
気合いで日の出までに目を覚まし、初日の出を撮影してカウントダウンメッセージのお返しとして送る。家族で新年最初の食事をお屠蘇と共に味わい、私だけお屠蘇が通常の手酌酒に変わり、午前中にも関わらずいい気分になってきたころに玄関のベルが鳴った。
「まさか宅配便では?」と思ったが、そのまさかの佐川急便であった。生まれてこの方元旦に宅配便が来ることを知らなかった。
さかのぼること2日前、買い物サイトのポイントが年末で消滅するのを機にSONYのラジオレコーダーを注文していたのだ。私は勝手に宅配便の配達は新年4日からだと思っていた。
元旦の朝から酒を飲んでいい気分になっている客を見て、配達ドライバーはどう思ったのだろう。誰だって正月ぐらい家でゆっくりしたいはずだ。ネットショッピングの増加と人手不足で、ただでさえ忙しく職員が疲弊気味の宅配業界だ。正月3日間ぐらいゆっくりさせてあげたい。
「こんな時に注文してすみません。元旦から配達があるとは知りませんでした」
そう詫びる私に佐川のお兄さんは恐縮していたが、これは私の偽らぬ気持だ。私たちの住む世界は「客のため」「利益のため」に行き過ぎた所まで来ている。時間と場所が変われば客と店の関係はすぐに変わる。もっと「お互い様」でよいのではないか。
しかし、その行き過ぎた仕組みのおかげで、私は1年の始まりに、こうしていい気分で鼻歌を歌いながら新品のラジオレコーダーの梱包を解いている。昨夜のNY市場の一件もそうであったが、私たちはこの資本主義の世界にどっぷりと浸かり、そのメリットを享受しながら、その行き過ぎに不安を感じている。
「これからどのようなラジオライフが待っているのだろう」私は新年の到来と同時に届いた新しいラジオに、これからの私の生活を重ね合わせた。
とはいっても、聴くラジオ局はこれまで通りのNHK第2放送で、番組の中心は語学であろう。何ら変わりがないが、心持ちはなぜか軽い。それは昨年英検1級を取得し、ラジオを聞く義務感が一つ減ったからかもしれない。
7年間ご苦労さん
今回新しくラジオレコーダを買った理由は、2013年から愛用してきた「ジャパネットたかたオリジナルレコーダー」の動作が不安定になってきたからである。特に十字キーがうまく反応しなくなり、「上へ移動」を押すと2回に1回の割合で下に進んでしまう。
録音・再生といった機能面では問題はないのだが、それらの動作を行うために正常時の5倍以上の時間がかかるようになった。私は、いつも持ち歩き、もはや体の一部となっているようなラジオに第一線から引退してもらうことにした。
私の周りに数多くのラジオ局はあれど、このレコーダーの録音フォルダは一つのラジオ局専用となっている。それは即ちNHK第2放送。そのトーンの暗さから局をサーチしていてもすぐに識別できるラジオ局、私の住む兵庫県南部では828khzの周波数で放送されている。
私は大学生の頃、第2放送を聞き始めて以来、数多くの語学番組をこのチャンネルから学んできた。ドイツ語・スペイン語・ハングル語は途中で挫折したが、英語とイタリア語だけは何度か中断しながらも今まで続いてきた。
特にイタリア語は、今までお金を払って講義や会話のレッスンを受けたことが無く、純粋に独学で行ってきた。その中心となったのは間違いなくNHK第2放送であった。
メモリが一杯になってしまったこのラジオ、その中身はほとんどが過去の「まいにちイタリア語応用編」である。私のメインラジオの地位からは外れるが、イタリア語検定2級を取得する日まで、調子の悪い十字キーと格闘しながら付き合っていこうと思う。
このラジオレコーダーを購入後、聞き始めた語学以外の放送もある。高校講座「倫理」や「政治経済」、または「文化講演会」「カルチャーラジオ」といた教養番組である。
これらの放送時間帯に家にいたり、シラフでいることは少なかった。録音予約機能付きのラジオを手にしたおかげでこれらの番組を知り、その出会いに感謝している。
高校講座「倫理」は毎年内容が変わらないため、もう4回も同じ放送を聞いた。「カルチャーラジオ」や「文化講演会」では、様々な分野の数多くの著名人の話を聞くことができた。
ラジオ、それもNHK第2放送のみの私は、多くの人とテレビや映画の話題が合わないが、それでもまあいいと思えるようになった。世間の流行りについていけない頭の固い中年オヤジでもいい。
思いでのラジオ もう一台
ついでに、私にとってもう一台の大切なラジオについて触れておく。
25年以上昔、学生時代にかなりの金額を出して買ったラジオだ。不確かな記憶であるが3万円ぐらいしたと思う。私が今の時代に学生であるなら買わないが、当時はどうしても欲しくて無理をして買った。
その理由はこのラジオが中波を捕まえることができるから。つまり、電離層に反射しながら地球の裏側までやってくる「BBC」「Voice Of America」「HNK World」などの国際放送を聴くことができるのだ。
私は電波状態の良くなる夜を待ち、ベランダに出したひも状のアンテナと本体とを接続し、国際放送の一覧表を見ながら周波数を合わせていく。
当時の私は、今のようには内容を味わえなかったが、それでもスピーカーから英米の放送が聞こえてきた時には胸が高鳴った。
当時、無料で海外の生の英語を聞ける唯一の手段であったと思う。私にとっては、”ほんの25年前”の出来事だった。
IT機器とネットの進化は、このラジオの登場機会を簡単に奪った。今ではBBCもVoice Of Americaも、常に最新版の番組がポッドキャストに入っていて好きな時に好きな場所で聞くことができる。
そんなわけで、MP3 Playerの登場以来埃をかぶり、一時期子供たちの「基礎英語」用に復活したこのラジオであるが、今ではテレビ台の隅に鎮座したまま静かにしている。
私はしみじみと思う。
「あんなに苦労して探したネイティブスピーカーの音声が、こんなに簡単に聴ける時代がくるとは…」
「私は苦労したのだから、若者ももっと頑張れ」ということではない。ただ単純に時代の移り変わりに驚き、感動をするのだ。
かつて英語とは比較にならないほど困難であったイタリア語の音源も、YouTubeで検索すれば容易に手にすることができる。
今ほど語学学習に適した時代はない。
それだけではない。テクノロジーの進化は翻訳機の性能を年々向上させている。このことは、語学学習を容易にするどころか、実用という面では語学学習を不要にしようとしているのだ。
話が飛び過ぎてしまった。
私は自分の語学学習を「実用」からは切り離して考えている。「実用」が前面に出ると楽しみが減ってしまう。このことについては思うことが多々あるのでまた考えてみたい。
とりあえず今は、新しい年の始まりと共に、この新しいラジオレコーダーと私との良い関係を築いていくことを考えたい。