捨てられない地図帳
私の興味・関心事に関する最も古い記憶は電柱と電線である。親の話によると、幼い頃、家の近くにある電信柱と電線の配置に興味を持ち、飽きることなく眺めていたらしい。実際に電柱と電線、そしてその付属施設であるトランスや電灯を、広告の裏紙に鉛筆で書いていたことを覚えている。
複数の地点を結ぶ線。私の興味が電線から鉄道に移行したことは自然の流れであった。小学生になる前には、私はすでに鉄道好きになっていた。
小学生の時、愛読書は交通公社の分厚い時刻表であり、私は飽きもせずに、それを何時間も眺めていた。私の中での日本地図は時刻表に掲載された鉄道路線図が元になっている。だから未だに離島や鉄道空白地帯の位置関係に関しては弱い。
鉄道好きには地理好きが多い。私もその例に漏れず地理が一番好きな科目になった。高校の科目選択も当然地理を選んだ。もう30年以上前のこと、どんな授業であったのかそれほど印象に残っていないが、とにかく地図帳に印をつけて書き込みを入れていったことを覚えている。
私の目の前に当時の地図帳がある。帝国書院が出している「新詳高等社会科地図」、現在のものとデザインは似ているが色合いがひと回り暗く時代を感じさせる。
高校の教科書は全て捨てたが、この地図だけは私と一緒にいる。高校卒業以来、私は7回住む場所を変えた。引っ越しの度に荷物を整理したが、この地図はその都度生き延びた。おそらくこれからもそうであるだろう。
適当にページをめくってみる。
- 1人当たりの国民所得、中国は「500ドル未満」ベトナムは「資料なし」となっている。
- 1人当たりのエネルギー消費量は北朝鮮の方が韓国より大きい。
- 群馬県沼田市にある、日本で最も有名な河岸段丘の一つ「片品川河岸段丘」の航空写真に関越自動車道が写っていない。
- 南アフリカの拡大地図に「黒人指定住居区」を表す記号がある。
- 神戸市の六甲アイランドに「埋め立て中」の表示がある。
- 巻末の資料集で北海道歌志内市の人口が1万人いる。
どのページを見ても驚きの発見がある。日本史や世界史の教科書と比べ、同じ社会科であっても地理は常に情報がアップデートされていき、5年もたてば情報が古くなってしまう。
私の手元にある地図帳は、私が若くて最も多感な心を持っていた、そのような時期の世界を表している。
日本はバブル景気に浮かれていた。世界では東西両陣営の対立がなくなろうとしていた。東ヨーロッパに民主化の風が入り込み、それが大きなうねりとなって体制を吹き飛ばそうとしていた。
国境がない
地図帳をさらにめくる。53-54ページを開く。ウラル山脈からイベリア半島までが両開きの2ページに収められている。
ユーラシア大陸は、ポルトガルからマレーシアまで一つにつながった巨大な大陸である。そんな中でも、ロシアのこのウラル山脈から西側がヨーロッパと呼ばれる地域であると授業で教わった。
見開きの右半分、面積でいえばヨーロッパのゆうに半分以上は「ソビエト社会主義共和国連邦」とある。地図に赤文字で示された「ソビエト」の「ソ」のすぐ左にある街の名前はキエフである。
キエフ、ミンスク、モスクワ、それぞれ3つの都市の間にはモスクワとヘルシンキとの間にあるような国境線がかかれていない。代わりにあるのは、国境線より一回り細い赤字に黒の点線。それはアメリカの州を分ける線と酷似してしてる。
見開き右上には「ヨーロッパの共同関係」という略図がある。ヨーロッパがEC(ヨーロッパ共同体)EFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)COMECON(経済相互援助会議)の3つに分かれている様子がわかる。
イギリス・フランスをはじめとする西側がEC、ソビエトを中心とする東側がCOMECON、スカンジナビア半島の国々やスイス・オーストリアはEFTAを構成している。
この地図を授業で使ってから30数年、この間にECとEFTAの多くはEUとなり、COMECONは消滅し、元COMECONの国々も西側へ向いた。それどころか、ソビエト連邦を構成していた国々もモスクワに背を向けている。
国境線が描かれていなかったソビエト連邦内の共和国間には、今では通常の国の間以上に明確な国境線が横たわっている。
古い書き込み
さらにページをめくる。
63-64ページの見開きには「東ヨーロッパ・ソビエト連邦」の表題がつけられている。ウクライナが中心にあるその地図には、私が高校生の時つけた多くの書き込みがある。
バルト3国の名前が囲まれている。当時この3国にソ連から独立しようという動きが起こっていた。
チェコの街、ピルゼンが丸で囲まれ横に「ビール」と書かれている。ピルスナービールの産地であると、酒飲みになった今だから分かるが、当時の私は単なる覚えるべき街の名前と産業の1つであった。
視線をウクライナに移す。
国の南東部、現在ロシアが進行している地域の「ドネツ炭田」「ドニエツク」「クリボイログ」が囲まれている。ドネツ炭田とクリボイログは線で結ばれている。クリボイログ周辺で産出される鉄鉱石がドネツ炭田の石炭と結びついて製鉄・鉄鋼業が発展した。
地図を見ながら昔覚えようとした記憶がよみがえってくる。
国の真ん中には、北から南へとウクライナを二分する大河ドニエプル川があり、その横には「父なるドニエプル」の書き込みが。地図上でその10センチ右側、モスクワに降った雨をカスピ海へと流し込むボルガ川には「母なるボルガ」の文字が見える。
私は高校の地理の授業で、ロシアとウクライナを流れる2つの大河について学び、それぞれに「父」と「母」の書き込みをした。
ロシアとウクライナ、二つの国は同じ家族であったのだと、この古い地図は私に教えてくれる。
2月末にロシア軍がウクライナに侵攻を始めて以来、30年前に学んだウクライナの地名が連日報道される。21世紀に入った今、こんなきっかけで忘れていた地名を思い出すことになるとは想像できなかった。
久しぶりに聞く地名は、私にそれについて学んだ時代を思い出させ懐かしさを感じた。しかし、戦闘が続き悲惨な画像を目にするにつれ、私の中にニュートラルで存在していた地名に悲しい色合いが付き始めた。
数年前にHNKで「映像の世紀」という番組が放送された。人類が動画を撮ることができたのは20世紀に入ってからであり、初期の動画として第1次世界大戦の様子が映されていた。
塹壕で戦う戦士とともに初期型の戦車が泥沼の中を動き回っている。悲惨な戦いであるが、昔のことであり現実感が感じられなかった。「こんなことは今ではもう起こらないだろう」と少し安全な場所から、距離をとって眺める感覚で画像を見た。
カラーになったが、100年前と同じような映像が連日報道されている。かつて覚えたウクライナの地名が悲しいニュースとともに伝えられる。キエフ、ハリコフ、ドニエツク、クリミア半島、これらの地名が希望に満ちたイメージとともに語られる日が来ることを祈らずにはいられない。