出かける前のNHK
私は世間とずれている人間であると自分でもよく思います。そのことを嫌が上でも痛感させられるのは、周りが芸能人やスポーツ選手の話をするときです。私はまわりの話についていくことができないのです。誰もが当たり前のように知っている有名人を知らないからです。
この原因の一つは私が普段テレビを見ないことにあります。全く見ないというわけではありませんが、自分から見る番組は限られています。その限られた番組の一つが朝6時台に放送されているNHKニュースです。出かける前に天気と降水確率が知りたいので、出勤の準備をしながら注意半分で聞き流すのです。
先週のある日、寝室からリビングに移動し惰性でテレビのスイッチをつけるとニュースをやっていませんでした。代わりに画面に映っていたのは山本太郎氏でした。衆議院選挙を前にこの時間帯は政見放送に充てられていたのでした。
私はしばらくれいわ新撰組の政見放送を見ました。党首の山本太郎氏は立派に堂々と党の政策を主張していました。かつては別の党から立候補していたと記憶しますが、自分の党を立ち上げ日本各地で活動をする中、政治家としての風格がついてきたように感じられました。
その日、仕事から帰宅した私は山本太郎氏をYouTube検索しました。平成生まれ以降の人々にとって彼は役者か政治家のイメージが強いでしょう。昭和後半生まれの私が彼を最初に目にしたのはもっと別の強烈な姿でした。
私は画面に「メロリンキュー」と入力し、動画の視聴を開始しました。
気づき、思い出
科学技術の進化とそれに伴う社会の変わりようは、信じられないようなことを可能にします。中高生だった私が夢中になって見た30数年前のテレビ番組を、簡単な検索で見ることができるのです。
あの頃はビデオに録画しない限り一度見た番組を再び見られるとは想像することすらできませんでした。
私は次々と流れてくる「天才たけしの元気が出るTV」のダンス甲子園のコーナーを視聴しました。それは少年だった私が欠かさずに見ていた番組でした。
LLBrothers、インペリアル、どすこい同好会と30数年ぶりに聞くグループ名が昨日のことのように懐かしく感じられます。
そんな懐かしい面々の中でも私のお目当ては「アジャコングアンド戸塚ヨットスクールズ」でした。当時高校生であった山本太郎が中心に競泳用パンツ一枚で踊りを見せるグループです。
ダンス甲子園の中ではイロモノ扱いでしたが、山本太郎氏のキャラは全ての出演者の中でも際立っていました。彼らはヘヴィーメタルのゴッド、Judas Priestの曲に合わせて踊りました。ちょうど彼らの最高傑作の一つPainkillerがリリースされた頃でした。
動画を見ているとPainkiller, All Guns Blazingという曲に合わせてコミカルかつ常人にはできない素早い動きで踊ります。何本目かのビデオでジューダスとは違うアーティストの曲がかかりました。何度も聴いたことがあるけれど20年以上きいていない曲でした。
かかっていたのはS×O×Bの「Not Me」でした。私の記憶は一瞬で30年の時を超えて1994年へと戻りました。
モーダホール
私は今までにS×O×Bを一度だけライブで見ました。1994年5月のことでした。ライブの目的はこのバンドではなく、「リバプールの残虐王」と呼ばれたメロディック・デスメタルのCarcassというバンドでした。
当時大阪の九条に「モーダホール」というライブハウスがあり、私はカーカスを私に教えてくれたCP君という友人とデスメタル好きの大学の後輩二人を連れてそこへ行きました。
それまで来日メタルバンドを厚生年金会館など大きな会場でしか見たことなかった私は、オールスタンディングのモーダホールの臨場感に興奮しました。
S×O×Bは前座で出てきました。10曲ぐらい演奏したと思います。ボーカルが各曲の演奏前「This is the song called fuck’n」と言い、デスボイスで曲名を紹介し、曲の終了と同時に「Thank you!」と言っていました。私は面白い人だなと思いました。
今思えばその時がS×O×BのリーダーでボーカルTOTTSUANを見た最初で最後の場面でした。
当時私はこのバンドについて知りませんでしたが、ライブは前座とは思えないくらい盛り上がりました。後で知ったことですが、彼らは大阪出身のバンドで当時その業界(ハードコアパンクやデスメタル)では有名な存在で、世界的に有名なデスメタルバンド、ナパームデスにも影響を与えていました。
前座に続きカーカスのライブも大変よく盛り上がり、私達はヤバめな様相をした人々に混ざってヘッドバンキングを楽しみ、満足して帰宅の途につきました。地元に帰ると、私はS×O×Bのアルバムを買いました。
時は流れていく
次男は部屋で勉強中、妻は先に寝室へ向かった12時前、私はダラダラとハイボールを飲み続けながらリビングのCDプレイヤーにS×O×Bのアルバム「Leave Me Alone」を挿入しました。このCDを最後に手にしたのは20年ぐらい昔だと思います。それでもこの間に売らなかったのは私にとって大切な何かがあったためだと思います。
これは深夜に一人で聞くアルバムではないし、アラフィフの中年オヤジが聞くものでもありません。ボリュームを絞ったスピーカーからは、1曲が1分程度のブラストビートの曲が次から次へと展開されます。知らない人が聞いたら「これは音楽なのか」と思われるような曲です。
それでも私にとっては懐かしさと共にさまざまな想い出が湧き上がってきます。
ダンス甲子園で踊る山本太郎氏、アルバムPainkillerでメタル界の頂点を極めたJudas Priest、モーダホールで見たS×O×BとCarsass、そのCarcassの存在を私に教えてくれた友人のCP君。
30年の時を経て、競泳用パンツでメロリンキューをしていた山本太郎氏は衆議院で6議席を得たれいわ新撰組の党首となりました。
ジューダスは何度かメンバーチェンジを繰り返しながら、今年の12月に来日します。当たり前のことですがオリジナルメンバーのボーカル、ロブ・ハルフォードはすっかりおじいちゃんになりました。
カーカスも解散と再結成を繰り返しながら、なんとか今まで存続していますが、若かった「リバプールの残虐王」も「老い」という言葉が連想される姿になりました。
YouTubeがきっかけで20数年ぶりに聴いたS×O×Bですが、私の知るS×O×Bは1995年で止まっています。ライブを見た翌年、TOTTSUANが悲しい死をむかえたからです。
私にカーカスの存在を教えてくれた友人のCP君も、私の友人の中では一番早く天へと旅立って行きました。私の周りで結婚ラッシュが起きていて、私自身も新婚の頃でした。
こんなにも激しく騒がしいS×O×Bの曲を聴きながらしんみりとした気持ちになるのは、私がこの30年間を生き延びて振り返ることができるからです。
山本太郎氏がメロリンキューを行っていた頃、その同時期に存在した数多くのものが時間の経過と共にあるものは形をかえ、あるものは無くなっていきます。そして時間は経過し続けるため、そのうち全ての同時代的なものは存在しなくなり、それを感じる私もいなくなていくのです。
政見放送を見た日、私はこのようなことを思いました。