ノシャップの先へ
なんだかんだあってこの年3度目の北海道、2回目の稚内にいる。夕方6時前の列車まであと5時間半、さてどのようにここで過ごそうか。
この街へ来たのはこれが2度目。前回はこの年(2021年)の春であった。旭川からの日帰りという強行軍。午後1時前に到着し、レンタカーを借りて宗谷岬へ行った。最北の地でたらふく海鮮を食べようと期待していたが、コロナ禍のため食堂は一軒も開いていなかった。仕方なく、セイコマートのポテトフライで空腹をごまかした。
今回もほぼ同じ時程での稚内。さてどうすると次男に尋ねると稚内温泉に行きたいという。「わざわざここまで来て温泉か?」と思ったが、どうしたいのか尋ねたのは私なので、彼の意見に従う。
観光案内書でバスの時刻を見ると、10数分後に出発する便の都合がよろしい。駅前で昼食は食べられないが、温泉施設に行けば何とかなるであろう。私たちは午後1時のバスに乗り最北の温泉を目指した。
2日前からの寒気で窓の外は一面雪に覆われている。それも私の感覚からしたら「ここまで積もるか」というぐらい雪が積もっている。そして、北国の人々は「この状態で走れるか」というような道を、何事もないように運転している。
ノシャップ岬の入り口を過ぎると民家が乏しくなる。バスは南へ向けて走る。右手に海、左手に荒涼とした丘、その間には魚の加工施設が目立つ。私たちのバスは時刻通り駅から18分で温泉へと到着した。この雪の中で遅れがないとは恐れ入る。温泉に食堂とサウナがあることを期待しながら下車する。
カウンターでチケットを渡してタオルを借りる。そこから大きな空間を見上げるとかなりの施設に見える。北の幸に期待しながら階段を上がる。
そこで私たちが見たものは、不自然に大きな休憩スペース。一角にはカウンターが見える。明らかに”元飲食施設”のたたずまいを発している。私たちは昼食をあきらめた。どうも、この街の昼ご飯には縁がない。とはいえ、このような短時間で訪問を考える方が悪いのであるが。
街の社交場
ここへ来るバスで思ったことがある。それは、地元の人らしきお年寄りが多くこの施設で下車し、また入浴を終えた同様の人々が乗ってきたことである。「ここは意外と地元の人に人気のある施設なのかもしれない」私はそう感じた。
更衣室に入ると予想以上に人が多い。平均年齢も高めで、やはり地元の人が多い印象を受ける。
さて、食堂にはふられてしまったがサウナはいかがなものかと浴室に入ると右手奥にサウナ入り口と小さな水風呂が見える。とりあえず最北でのサウナができそうで安心する。
バスの時間を考えるとここで使える時間は約1時間半、私のペースだと余裕を持った3セッション。4周りはキツそうだ。洗い場で全身を洗い、軽く湯につかって、水風呂の温度を確認してサ室へと入る。ここは常設の施設としては日本最北端のサウナだ。何となく嬉しい。
扉を開けると予想以上に広い部屋が現れた。L字型2段式の椅子に15~6人は座れそうだ。座面にサウナマットは敷かれていなく、入り口近くの棚から各自が小さな布製の黄色いマットをとる。
ほどなく部屋がいっぱいになる。黙浴のため皆黙ってテレビを見ているが、新たな人が入ってくると誰かが挨拶をする。ここはやはり地元率が高いサウナなのだ。
しばらく汗をかいていると、この部屋には2つの地元ルールがあることが分かってきた。それは、出入りする人がテレビの前を通過するときは身をかがめること。もう一つは部屋を出る前に、それぞれのサウナマットで、椅子のお尻と足の裏が接していた部分の汗を拭き取ってから部屋を出ることであった。
私もルールに従って汗を拭き取り、テレビの前で身を屈めながら部屋を出る。出口に「サウナマットは複数回利用でも一人一枚の使用」を注意する表示を見つけた。こちらのルールはあまり守られていないようであるが、私はマットをカゴに入れることなく持ったまま水風呂に移動。フックにマットを掛け、かかり湯をした後水風呂へザブーン。
兵庫からこんな離れたところにやってきて、やっていることは変わらない。ああなんて贅沢なことだろう。
季節限定メニュー
さて、この施設にサウナがあったため、私は時間が許す限りサウナを楽しむことにした。次男に、飽きたら風呂から上げって適当にジュースでも飲みながら待っててくれと伝えようと思うが姿が見えない。
浴室を一回りすると一番奥に外へと通じるドアが見える。2重になっているドアを開けるとそこは露天スペースで、気持ちよさそうに浴槽に浸かる次男の姿が見えた。
それにしてもこの景色は何だ。空は鉛色、ガラスの仕切りの向こうには冬のノシャップの海が。氷点下の一面銀世界の中に、私はタオル一枚で放り出されている。浴槽の周りは粉雪が積もっている。
私は少し恐怖を感じ、ここが人間にコントロールされている安全な場所であってよかったと思った。安心すると、別の考えが頭によぎった。この目の前の粉雪は季節限定の水風呂の役割を果たすのではないかと。テレビで見るフィンランドの冬のサウナのイメージ、蒸された後雪にダイブするあれである。
私は今度は念入りにサ室へ入った。ストーブ近くの上段に座りじっくりと汗をかいていく。暑い、もう出たい、そこから頭を下げて少し我慢する。もう限界、そのまま部屋を飛び出したいが地元ルールを守りマットで椅子の汗を拭き、いざ外へ。
2重ドアがまどろっこしいが、その先は氷点下の露天スペース。雪の上に腰を下ろし粉雪を体にまぶしていく。胸、腕、脚、首、顔、私の体が砂糖菓子のようになる。さすがに雪の上に寝転ぶことはしなかったが、これでも十分に冷たくて気持ちいい。
体の熱で粉雪が解けて肌が現れる。しばらく風に吹かれながらぼーっとするが、私は日本最北の地の冬にいる。ものの2分で寒くなる。館内に入り体の水を拭き取り椅子に座ってしばらく佇む。寒さと暖かさと混ざった何とも不思議な気持ちがする。血流がよくなり幸福感に包まれる。
残り時間を考えるともう1セッション。水風呂は頭になく、次回も充分蒸されたのち粉雪まみれ。露天風呂に使っていた幼い子供らが、体に雪を塗りたくる私を奇妙な目で見ている。おかしなオヤジに見えるだろう、でも君たちもそのうちわかるから。この子たちがサウナを楽しむオヤジになる頃、私はサウナに入ることのできる体でいられるのだろうか。健康でい続けたいと思う。
予定になかった最北のサウナ、予想外に素晴らしい経験をさせてもらった。私は帰りのバスで次男に感謝の気持ちを伝えた。