1週間ぶりの明石
「玉子焼き(明石焼き)の店をやりたいな」突然出てきた私たち夫婦の目標に向かって、冗談とも本気ともつかないような行動を行っています。前回の「いづもや」で玉子焼きを味わい、新人の頃の上司に思いを馳せてから一週間、再び夫婦で魚の棚に行くことになりました。
前回は、妻が運転をしてくれたため、私はビールを飲みながら玉子焼きを楽しむことができましたが、妻も本当は飲みたかったそうです。
というわけで今回は電車で行くことにしました。ある6月の土曜日、私は午前中に軽く仕事を済ませてから明石駅へと向かいます。待ち合わせ場所は「明石ポン太」、市民定番の待ち合わせ場所です。
このポン太、一度酔っ払いに破壊されてからしばらく不在になっていましたが昨年の冬に有志の協力により復活しました。明石駅で下車することは最近なかったので、私も久々の彼との再会です。
しばらくすると妻もやってきました。時刻は午後1時過ぎ、お腹が減りました。
前回気になったお店
駅から再開発ビルを通り抜けて南へ約3分、魚の棚へと入っていきます。先週同様に人通りがあります。緊急事態宣言による外出自粛が嘘のようですが、私たちを含めほぼ100%の人の顔にはマスクが。もう慣れましたが、冷静になれば異様な光景です。
前回店の前の行列を見て気になっていた店に「たこ磯」があります。魚の棚の東側にあるお店です。今日も相変わらずの人です。
人気店の「たこ磯」ですが、支店を出していることを知りました。魚の棚のメインストリートにある本店から南へわずかに下った場所にその支店はあります。本店から50mほどしか離れていませんが、こちらには待ち人はいなく、私たちはすぐに店に入ることができました。
私たちは、若いお姉さんにカウンターへと案内されました。隣には玉子焼きをあてに昼飲みをしている中年夫婦の姿が。15分後の私たちの姿を見るようです。
メニューを見ると定食や一品などもあります。その中で目を引いたのは「玉子焼き(穴子入り)」。噂で穴子の入った明石焼きの存在は耳にしていましたが、実際に目にするのは初めてのことでした。
私たちはタコとアナゴ入りを1つずつ注文しました。それと「瓶ビール1本ね!」、”明るいうちに言うと気分のいい言葉ランキング”1位のセリフです。
冷えたビールをチビチビと飲んでいるとやってきました。目の前の銅製の焼き機で焼かれ、器用に木の板にヨイショっと乗せられた玉子焼きです。
ここ「支店のたこ磯」では玉子焼きの数は2列×5個。熱い出汁に好みで三つ葉を散らして食べます。先週の「いづもや」にはウスターソースがありましたが、ここにではもっと粘性のあるソースがあります。タコ焼きソースとでもいうのでしょうか。
外見は同じようでも、食感や味わいは「いずもや」とは大きく異なります。卵・じん粉(小麦粉の1種)・出汁・タコ、材料がシンプルなだけに、その配合や焼き方が大きく味や食感を左右するのでしょう。
アナゴの風味は強く、これは食感よりも香りを味わいながらいただきました。ビールももう一本お代わりして、「昼のみ玉子焼き夫婦」はよい気分で店を後にしました。
最後の職人
実はこの日、私たちには玉子焼きを食べる以外にもう一つの目的がありました。それはこの街にある玉子焼き機の製作・販売を行っている店を訪問することでした。
店へ向かう途中にも何軒か玉子焼きの店があります。「今度はどこにいこう」など話しながら歩くのも楽しいものです。小さな幸せだと思います。
かつては多くの人で賑わってていただろう商店街に、今は人の姿はまばらです。歩道のアーケード沿いには長年この地でがんばってきたであろう履物屋、和菓子屋、食堂などの店舗が見えます。
日本の各地で同じような光景を目にしてきました。車で訪問する郊外型店舗に客を奪われて、今はどこも青色吐息です。残った店も世代交代が進まずに、現在の店主の高齢化と共に消えていく運命でしょう。今日はそんな現実を強く突きつけられる店に訪問しました。
魚の棚から西へ徒歩約5分、お店の前の赤いのぼりが見えてきました。「ヤスフク明石焼き工房」です。通りに面したディスプレイには様々な形の玉子焼き用の焼き機が見えます。10円玉を始めとして、普段目にする銅は酸化により色がくすんでいるため、ここで見る鮮やかな銅の色にハッとします。明るくていかにも熱を通しそうな色をしています。
入り口を入ると、商品に挟まれた狭い通路に店主兼明石焼き焼き機職人の安福さんがおられました。一見寡黙そうに見えたその方は、予想に反して私たちが店へ入ってから出るまでずっとしゃべりっぱなしでした。
安福さん:「明石焼きの鍋か?」
私たち:「そうです。」
「実はいつかお店を持ちたいなあと考えてまして…」
安福さん:「みんなそんなこと言うて買いに来るんや」
「でも結局言うだけや」
「家庭用の焼き機を買うて練習してみ」
「うまくなったらええやつを買ったらええ」
私たち:「はい。そうします」
安福さん:「でもワシでこの店も最後だから、早よせな終わりや」
「あんたらどっから来たん?ここいらの人間か?」
「玉子焼きは食うてきたんか?」…
「そうか、あそこの店もワシが作った焼き機や」
「12個だったやろう…」
安福さんひたすらしゃべるしゃべる。この辺りの玉子焼き店のこと、粉のこと、焼き機のこと、明石のこと。防戦一方の私たちは、相槌を打つのが精いっぱいで、15分後に焼き機とじん粉(明石焼き用の小麦粉)を手に店を出ました。
安福さんは、日本で唯一の明石焼き機を手打ちで製作する職人です。銅板を木槌で叩いて焼き機を作っていきます。お店には、手作りで作ったとは思えないほど均等できれいな穴の開いた焼き機が並んでいます。市内にある明石焼き屋の多くは彼の作品を使用しているそうです。
明治時代から1世紀以上続いたお店と手作りの焼き機の製造は、本人が言われるように、安福さんで最後です。
「将来のため業務用も買っておこうや」と思わず妻に言いそうになりましたがやめました。縁があれば私たちは明石焼きの店を出すことができるでしょう。最初から背伸びをせずに、安福さんの言われるように、まずは家庭用の焼き機で何度も焼いて上手になることが先です。
美味しい玉子焼きが焼けるようになり、心からその作業が好きになれば、自ずと道は開けてくると思います。そんな心持ちで焼き機を手に明石を後にしました。
店を出る時、安福さんは外まで見送り、快く写真撮影に応じでくださいました。素敵なおじいさんです。
今日のマシンガントークなら大丈夫だと思いますが、いつまでも元気で木槌を握られていることを心から願っています。