ソワソワ ヒヤヒヤ
毎年2月も下旬になると瀬戸内海の様子が気になり始め、新聞やニュースである言葉に敏感になりその出現を期待します。その言葉は「イカナゴ解禁日」であり、それは文字通りイカナゴという魚の漁が始まり魚屋さんやスーパーに生のイカナゴが現れる日を示します。
イカナゴはスズキ目に属し成長すると20センチぐらいの細長い魚で、その幼魚は「シンコ」と呼ばれ大阪湾や播磨灘沿岸の街では春を告げる魚としてこの時期心待ちにされます。シンコのほとんどは生のまま売られ、それをこれらの地域の人々は家で調理します。釜揚げやかき揚げにしても美味しいのですが、一番代表的な調理法は「くぎ煮」と呼ばれる佃煮です。
私は20年ほど前、明石に住んでいました。この街には「魚の棚」と呼ばれる商店街があり、鮮魚店やかまぼこ屋や乾物屋などの海産物を扱う店が並んでいます。そこへ通ううちに、私も自然とこの季節には生のシンコを買うようになり、くぎ煮を作るようになりました。
明石から神戸へ引っ越しをした後も春先のこの習慣は変わりません。2月中旬を過ぎると「今年の解禁日はいつだろう」とソワソワし始めます。始めは自分たち家族の食べる分しか作っていませんでしたが、あまりに美味しく日持ちするため親や友人たちに送るようになりました。
こうなったら「ソワソワ」の中に「今年はこれだけ確保していつ頃送ろう」という決意と計画が混ざり始めます。それはそれで楽しいことでしたが、事態は7年前から緊迫し始めました。2017年にイカナゴの漁獲量がガクンと減ったのです。
この年は漁期も例年に比べて短くなりました。今まで見たこともないような価格にひるみましたが、それでも何とかシンコを確保してくぎ煮を作ることができました。「来年は漁獲量が回復するだろう」と根拠もなく思っていました。
続く2年間も相変わらず例年と比べると不漁でした。何かが変わってきていると感じながらも高いお金を出してくぎ煮を作りました。決定的に「ヤバい」と感じたのは2020年のことでした。
この年は解禁日から1週間もせずに休漁となりました。漁獲量も激減し、価格は未体験ゾーン、それでも手に入ればよいほうでした。私は明石でイカナゴに出会ってくぎ煮を作り始めて以来、初めてシンコを手に入れることができませんでした。その前数年間は春先に感じる「ソワソワ」は「ヒヤヒヤ」に変わっていました。
どこへ行く
2020年のショック以来、私にとって2月の終わりが不安な季節に変わりました。「今年はシンコが手に入るのだろうか」値段のことだけ気にしていた今ままでとは次元の違う心配が私の心にのしかかります。
それと同時に私は「一体大阪湾や播磨灘でなにが起きているのだろう」と考えるようになりました。
私は今この文章をため息交じりで綴っています。「本当に海の中はどうなっているのだろう」何度も何度も脳裏に現れては消えていきます。
そして今年は今までで最悪の状況が待っていました。
大阪湾は今年の漁の見送り、播磨灘は3月11日の1日限りで漁が終わってしまったのです。漁のあった日、仕事の帰り道、微かな期待を胸にスーパーの鮮魚コーナーへと向かいました。空の冷蔵ケースの前に「売り切れ」の札と見たこともないような価格の値札が残されていました。私がシンコを買い始めたときの軽く10倍を超える価格です。
本当に海はどうなってしまったのでしょう。
かつては魚の棚に行けばイカナゴの親であるフルセが手に入りました。このフルセもくぎ煮の調味料+酢を入れて佃煮にするのですが、これが美味しくて個人的にはシンコのくぎ煮の上をいく味でした。
シャコも並んでいました。一盛り数百円で買ってきて塩ゆでにします。殻をむくのが面倒ですが、その白身の淡白な味は格別でした。
今はフルセもシャコもこの辺りの魚屋やスーパーで見ることはなくなりました。それどころか、明石魚の棚を代表するマダコやアナゴといった魚も取れなくなっています。
明らかに瀬戸内海のフローラとファウナは変わってきています。この植物相と生物相の変化が一時的なものかどうかは私には分かりません。そして、その原因は何かということについて私は軽率な発言はできないと思っています。
人間は目の前に自分の中の枠組みで理解できないことが現れたとき、単純で分かりやすい原因を探そうとします。しかし、すべては複雑系で数えきれないパラメターを基にして私たちの目の前の現象が現れています。唯一で分かりやすい理由の提示が今まで世の中にどれだけの禍をもたらしたかは列挙にいとまがないでしょう。
私が今ただ感じていることは、何らかの理由により大阪湾と播磨灘沿岸に春を告げる魚が取れなくなってたまらなく寂しい思いをしているとうことです。
贈与と返礼
ここ20年間を考えたとき、私にとってイカナゴはただ春を告げる魚以上の意味を持っていました。神戸や明石ではこの季節、イカナゴのくぎ煮を炊いてそれを親戚や知人に送る風習があります。スーパーの店頭にはそれを見越してタッパー類が並びますし、郵便局の中にはレターパックの店頭販売をするところもあります。
生のイカナゴは1キロ単位の販売のため一度に作る量が大量になります。自然と食べきれない分は人にあげようという気持ちになります。私も明石に住んでいた20年前から作りすぎたと思ったら人にあげていました。
もらった人に感謝されるとそれが次の行動を引き起こします。安くて手間なく大量に作れるものなので、最初から人にあげることを前提で購入して作り始めたのです。
しばらく疎遠にしているけど仲が良かった友だちや、遠く離れていてイカナゴが何か知らないに友達に送るととても喜ばれました。イカナゴのくぎ煮は冷蔵するとかなり日持ちするため安心して送ることができました。
そのうち、私の家に肉や魚介類や果物の宅配が届くようになりました。くぎ煮を受けとった友人たちが返礼の品として「おいしかったよ」のメッセージと共に送ってくれた品でした。金額的には私が送ったもののはるかに上をいくものでした。申し訳ないと思うと同時に「来年も今年以上のものを送らないと」という気持ちになります。
こうして贈与と返礼の応酬が始まりました。
これのいいところはお金ではなくモノを介してコミュニケーションが進んでいくというところです。例えば私がある友人に「昔世話になったから」といって1万円札を現金書留で送ったら友人はどう思うでしょうか。おそらく気持ち悪がって一万円札は私に送り返され、そこでコミュニケーションは終わります。
これが「この辺の名物だよ」という形でイカナゴのくぎ煮を送れば、「それならこちらのものを」という形で何か別のものが送り返されてきます。この贈与と交換はイカナゴの季節になるたびに毎年続くことになります。
そしてそれに付随して言葉の交換も生まれます。電話なりメールなりで「ありがとう、今どうしている」といった風にそれがなければ成り立たなかったコミュニケーションが生まれるのです。1年に1度でもこうして物とメッセージを交換することがあれば「今度会おうか」という話に発展することにもなります。
遠く離れた友人たちも、それぞれの仕事と生活があり、私を含めてまだ子供に手がかかる人が多いです。気軽に「それでは次の週末に会おうか」という風には行きません。そのハードルを少しでも下げてくれるのがこのちょっとした贈与と返礼の関係になります。
値段が手ごろで、手作りできて、日持ちし、サイズもよく、何より美味しいイカナゴのくぎ煮ほど、ちょっとした贈り物をするのに適したものはありません。それが手に入らなくなることはとても寂しいですし、友人たちと続けてきたルーティーンが崩れることにも欠乏感を感じます。
大阪(関西)の春は大阪場所と選抜甲子園と共にやってくるとよく言われます。神戸や明石の人々にとっては「イカナゴのくぎ煮」が加わります。この季節になると口の中が、醤油とザラメと生姜の効いたあのくぎ煮の味を求めます。3月中旬からのひと月間はお弁当には毎日茶色の一角が現れます。
今年はそれらがないと思うと私には春が来ないような気がするのです。