9月場所中なのに
私は毎週土曜日にこのブログの記事を更新することにしている。かつては週に2〜3本書いていた時期もあったが、ここ1年半は週1回土曜の更新となっている。
たいていは水曜か木曜の夕方に1時間ぐらい作文をして、必要があれば金曜に書き足し、土曜の朝に調整をした後投稿する。
投稿するとホッとする。プロの作家のそれとは比較にならないが、それでも記事を書かなくてはならないというプレッシャーはあり、時々「記事の更新を不定期にしたらどんなに楽だろうな」と感じることがある。
そもそも私はプロでもなんでもないのだから不定期投稿で十分であるが、「週1書かなくてはならない」と勝手な縛りを与えているのは私自身であり、それによって時に私は勝手に苦しむ。
更新を続けようとするのは、このブログの目的が文章を書くことで自分の心の状態を確認し、より幸せを感じる自分にチューニングすることだからである。
ブログを始めて5年と少し、書いた記事数は350になろうとしている。おかげさまで私の心の状態は5年前とは明らかに異なる。「おかげさまで」と書いたのはこの記事を読んでくださる方に感謝したいからである。
仮に私がブログという場ではなく、単にワードなどのワープロソフトや紙のノートに自分の気持ちを書き記したとしても、私はこんな気持ちになれなかったと思う。
やはり人が言葉を発する時は相手が必要なのだ。その相手とは見えなくてもいい。目の前にいなくても、私の文字が公共の場所にあり誰かが読んでくれているという状態が、私に言葉を綴らせ、その言葉が私を癒す。
記事に対してのコメントを受け付けていないため、今のところ半年に一度ほど見るサーバーのアクセス数のみが、私が認識出来る私を支えてくださる読者の方の全てである。しかし、私にとってその数字はかけがえのないものであり、いつもありがたいと思っている。
皆さんのおかげで私は自分のことが以前よりずっとよくわかってきた。自分とどう付き合っていくかも同様である。この5年間でたくさんのことを行い、世界も広がり、私の心も癒され、幸せをたくさん感じるようになった。
そうではあるが、今、私は気持ちが盛り上がっていない。いつもならノリノリの大相撲9月場所開催中である。もちろん相撲を見ることは楽しいが、その楽しさを奪ってしまうほどの憂鬱さを時々感じるのだ。
憂鬱さとは「仕事に行きたくない」という思いである。
贅沢な悩み?
「仕事に行きたくない」と思いながら、同時に「何を贅沢なことをお前は言っているのだ」という気持ちもある。
確かに贅沢である。
大変だった運動部の部活動顧問(しかも未経験種目)も今はしていなく、細々と活動する文化部の第二顧問をしている。
時間外労働月80時間以上(無給で)していた時期もあったが、今はほぼ定時に職場を出ることができる。
かつては生徒に対して声を荒げたりする場面もけっこうあったが、今では生徒も落ち着いていて生徒や親と揉めることもない。
富裕層になれる給料ではないが、家族に衣食住を与え、子供たちに教育を受けさせることは十分できる。
欲を言えばもう少しレベルの高い英語を教えたいが、苦手な生徒たちに工夫して教えることも悪くはなく、多くの教材やリズムネタを作って楽しんでいる。
かつてはそうであったかもしれないが、今の私は世間で言われているような「ブラックな職業としての」教師をしていない。むしろ自分では「ホワイトだな」と感じている。
それなのに、私はここ数ヶ月「仕事に行きたくない」と思い続けている。朝起きて、私は隣で寝ている妻の腕を握りながら「家にいたい」とつぶやく。その声で妻は目を覚まし「いつでも辞めていいよ」と私にいう。そんなことが続いている。
それでも職場に行き、いざ授業を始めると楽しい気持ちになる。場を盛り上げて、たくさん英語を発音させ、私のアドリブも冴える。「いい仕事だな」と思う。
しかし、職員室に戻るとたいていの場合は気持ちが冷めていく。「あと何年こんな生活が続くのだろう」そんなことを考えてしまう。そしてその考えの後には必ず次の考えが浮かび上がってくる。
「あと何年私は生きられて、その内あと何年元気に動け回れるのだろう」
気がついたら私は人生の半分以上高校教師をしていた。自分が望んで選択した道ではあるが、一度立ち止まることも必要なのかもしれない。そのことを私の体は私に告げようとしているのであろうか。
私も更年期と呼ばれる時期に入ってきた。それは男性にもあるらしく、その症状の一つとしてうつがあるという。私の「仕事に行きたくない」が更年期のうつとしての気持ちなのかはわからない。ただでさえメランコリックな性格をしている私であるからだ。
ブログを書くことで癒され改善してきた私の気持ちが、今、新たなハードルに直面しているようである。しかしそれは、ひょっとしたらハードルではなく「恵み」なのではという思いもある。
どっちみちサイドFIREしたいと思っていたのだ。私は思い切って仕事を辞める時期を宣言しようかどうか迷っている。