机に向かわない一日

バイクを北へ

「バイクが好き」という割に私はバイクを走らせていない。好きなバイクに乗ると、罪悪感が生まれる。なぜか、それはバイクを走らせている間は勉強ができないから。本当に錯綜した性格をしている。

これが自動車なら話は別になる。運転しながら語学のCDを聴くことができるからだ。楽しみとしてのドライブをすることはあまりないが、必要に迫られて車を運転する時は、いつもシャドーイングを行っている。

とにかく時間を”有効”に使いたい、いや使わなくてはならない。その強迫観念がイタリア語のCDをプレイヤーに挿入させる。家には、約三百枚のメタル系のCDがある。コンマリさんの「人生がときめく片付けの魔法」を読んだ後、私が精選して残った三百枚である。どれも私にとって大切な作品だ。

しかし、私はそれら大好きな音楽を聴くことよりも勉強を優先させてしまう。なんのために。よく分からない。イタリア語の学習をして何になるというのだろう。しかもかけた時間のわりに上達ているとは思えないし、実際にイタリア人に対して使ったこともないに等しい。

「無駄な努力をし続ける男」それが私なのかもしれない。簿記で学んだように、全てには借方・貸方が同時発生している。私にとってこの強迫観念にも似た語学学習の資産・借方は何なのだろうか。いずれ分かる日が来ると信じたい。

さて、そんな私につかの間の自由な時間が訪れている。年に1度のイタリア語検定が終わったのだ。結果は散々であると予測されるが、来年に向けての学習を開始するまで、少し何もしないことに対して自分を許せる気持ちになる。

朝の天気予報で降水確率が0%と知るやいなや、私はバイクを北へと走らせた。バイクに乗る時は、できるだけ信号で停車したくない。私の住む地域からは、大都市のある東へは気持ちが向かわない。南の淡路島、西の岡山方面を魅力的だが、日帰りだと大抵は北へと向かうことになる。

緊急事態宣言が解除され、ワクチン接種率も6割を超えているとはいうものの、まだ県外への移動は奨励されているわけではない。とはいっても、少しは違う場所へ行ってみたい。2回の受験で大阪の梅田と天満へ行ったことを除くと、もうずいぶんと長い間県外へ出ていない。

私は接触なしで鳥取を少し経由して、兵庫県北部へと向かうことにした。というわけでバイクを走らすのは国道29号線である。

鉄分補給も兼ねて

姫路と鳥取とを結ぶ国道29号は、私の好きな道の一つである。比較的若い番号が示す通り、この道はかつて鳥取と阪神・姫路方面を結ぶメインルートであった。

しかし、佐用や岡山県の大原方面を通る国道373号線が整備されるにつれて、その地位を奪われ、今ではメインルートは完全に373号沿いに建設された鳥取道へと移ってしまった。

そのようなわけで、この29号線、主要な国道にしては交通量が少ない。特に宍粟市から北には大きな街もなく、信号も少ないため快適にツーリングを楽しむことができる。

私はゆっくりとバイクを走らせる。エンジンの振動と風の音に支配された世界が現れる。単調な世界ではあるが、頭の中にはいろいろと考えが浮かんでは消えていく。

路面や周りの状況に気を配りながら運転する私に加えて、全く別なことを考えている私が現れる。そして時々、そんな自分を眺めているもう一人の私。単調な世界で運転を続けていると現れる三つの自己。そんな三人の私が、一台のバイクの上に跨って風を受けながら前へと進んでいく。

何のために。とくに目的はない。バイクに乗る時は、バイクに乗ること自体が目的となる。時間と労力とガソリン代を使って、バイクに乗るためにバイクを走らす。贅沢なことだ。そかしそれらの浪費が心地よい。

姫路から約2時間、戸倉峠を越えると鳥取県に入る。今では全長約1700メートルの新戸倉トンネルで抜けていくが、かつてはこの上に昭和29年開通の旧戸倉トンネルがあった。

私は免許取り立ての頃、この昔のトンネルを走ったことがある。暗くて狭くて、何とも言えない怖さを感じた。さらにこの旧トンネルの上には、戦争中、軍が建設しようとして、終戦によって放棄されたトンネルの遺構があるという。

私はそれら二つのトンネルのことを考えながら峠を駆け抜けた。あと50年もすれば、この新戸倉トンネルも、昔のトンネルの仲間入りをするのかもしれない。50年後の未来に、内燃機によるバイク、つまりエンジンの爆音を感じながら走れる乗り物は存在するのだろうか。私は、たとえ長生きできたとしても、そのとき、その乗り物に乗って確かめることは無理であろう。

峠を下ったふもとの町、若桜でバイクを降りる。若桜鉄道若桜駅前の駐車場で、缶コーヒーを飲みながら駅構内を眺める。

SL時代の給水塔の横に蒸気機関車のC12とディーゼル機関車のDD16のコンビが見える。

若桜鉄道若桜駅構内

なんて素敵な光景なのだろう。私が生まれるはるか前、昭和5年に国鉄若桜線はここまで開通した。この路線は、この先氷ノ山を超えて兵庫県へ出て、山陰本線の八鹿まで達する計画だったらしい。そうなれば、京阪神からの優等列車がこの場所を通っていたかもしれない。

計画線は着工されることなく、若桜線は廃線候補となり、国鉄民営化の時、第三セクター鉄道となった。沿線人口は減り続けているようであるが、これらSLなどの車両や建設当時からの古い駅舎を生かして、鉄道好きを集めながら経営を続けているようだ。

この鉄道ではもう一つ、途中にある「隼駅」が有名である。

その駅名のおかげで、全国からバイク乗り、特にスズキSGX1300R隼に乗るライダーが集まってくる。私はヤマハに乗っているが、いい機会なのでこの駅にも訪問する。

隼駅の狭い駅前には、休日とあってか次から次へとバイクがやってくる。駅前にはライダーを相手にしたカフェが、古い駅舎ではおみやげ物を売っている。これも、若桜鉄道の経営にとっていくらかの足しになるのだろう。バイクという乗り物によって脚光を浴びる鉄道という皮肉な結果ではあるが。

NSR250がやってきた。私が高校生だった時に憧れたバイクだ。「大学に合格したらあれに乗ろう」そう思いながら勉強をした。しかし、いざ合格したらバイクへの興味は失せてしまった。

再び興味が出て、免許を取ったのは30歳を超えてからであった。しかし、そのときもう250のツーストロークバイクは売られていなかった。もう、ツーストエンジンを載せたバイクが作られることはないであろう。それどころか、電動化の波の中、ガソリンエンジン自体がどうなるのかもわからない。

私は30数年前のことを思い出しながらバイクを鳥取方面へ走らせた。

正反対の海岸線

国道29号線の終点を右折、国道9号線へと出る。このまままっすぐ進めば京都だ。砂丘の近くを数本のトンネルで抜け、駟馳山を超えると平野が開ける。立派な道路とは対照的に、細くて貧弱な山陰本線の線路が右手に見える。

9号線に別れを告げて、浜坂方面へと向かう道へ入る。複雑な海岸を縫うように走る道だ。私が教わった中学校の、ある社会科教師の言葉を思い出す。

「兵庫の日本海側の海岸線の景色は最高だ。彼女ができたらドライブに連れて行ってあげなさい」

山陰海岸

先生が亡くなってもう4半世紀が経つ。私はバイクで兵庫県北部に行く度にその言葉を思い出す。

その先生に憧れて、社会科の教師になろうと決めた。大学でも中学校社会の教員免許を取得した。人生は何が起こるか分からない。私は先生のことを考えながら、バイクを走らせた。

それにしても、私の暮らす兵庫県南部の海岸線と比較すると、その違いに「同じ県なのか」と思ってしまう。本州で唯一2つの海を持つ県。人工海岸が多い瀬戸内側に対して、こちらはほとんど手つかずの海が残る。

日本海の海岸線は、季節や天気により違う表情を見せ、何度通っても飽きることがない。カーブに気をつけながら、私はゆっくりとバイクを走らせて、その景色を目に焼き付ける。

海と反対側には、所々高規格道の工事現場が見える。「こんなところにも…」バイクに乗っているくせに、山陰本線の乗客減に対して不安がよぎる。

いい時間になったので、浜坂で昼食を食べる。

入り組んだ街の細い道沿いにあるお寿司屋さんの前にバイクを止めた。ここは、先日次男が一人で鉄道旅行をして見つけた場所。さんざん迷った挙句、勇気を振り絞って入った店で美味しい天丼を食べることができたそうだ。

私は次男の食べた天丼の写真を見て、今回ここで食べることにしたのだ。

緊急事態宣言も終わり、店内は観光客でそこそこ賑わっていた。私は「よくここに一人で来れたな」と思いながら天丼を食べた。

長男も次男も確実に成長している。そしてそれと反比例するように、父親としての私の役割は少なくなっている。休日は、ほぼ一緒に過ごしていた10年前を思い出す。テニスをしたり、公園で遊んだり、海水浴をしたり。

今では一緒に何かをすることは、ほぼ無い。ここからは、親の後姿を見せることが、私の子どもたちに対する役割。人生を楽しむ親の後姿。安定した心で過ごす姿。

そのためには、こうして一日何も決めずにバイクに乗ることも必要だと思う。効率とか損得とか、そういったことを考えずに、ただ目の前の1日を爽やかな心持で楽しく過ごす。家のことや勉強をしたい日はすればよい。しかし、そんな日ばかりじゃなくても別にいい。

心地よい体と心の疲労感を感じながら、私は南へ向かった。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。