ある休日
最近過ごしたある休日について時系列に記してみます。
7時30分:
寝室からリビングダイニングへと移動し、やかんにお湯を沸かしアイロンをあてる準備を行う。湯が沸いたら緑茶を入れ、それをすすりながら私と息子のシャツにアイロンがけ。約30分で合計4枚のシャツにアイロンをあてる。作業をしながら録画しておいたHNK Worldの英語番組を見る。
8時過ぎ:
妻が起きてコーヒーをいれてくれる。その間私は新聞を取りに行く。新聞を読みながらドーナツと共に簡単な朝食を取る。
8時30分~10時:
イタリア語の学習を始める。NHK出版の「書ける・話せる実用文例800」から16ページ、約60の例文を日本語からイタリア語に直していく。800の例文はほぼ覚えたが、これは私にとってウォーミングアップのようなもの。たいていこの本からイタリア語学習を始める。
続いて昨年末に発売されたベレ出版の「本気で学ぶイタリア語文法問題集」を始める。600ページ超の分厚い問題集だ。難易度はそれほど高くないが、基本の復習と綴りの練習を兼ねて最初から解いている。
語学をしているとあっという間に時間が経過する。
10時30分:
洗濯ができたのでベランダに干す。もちろんそのような単純作業を何もせずに行うようなことはしない。ポッドキャストでイタリア語を聞きながら行う。終わればそのまま風呂掃除。
11時ごろ:
本を何冊か並べてつまみ読みをする。エッセイと新書とマンガ、頭に負担のかからない軽いものをパラパラとめくる。私はいつも5~6冊の本を並行して読む癖がある。本を読んでいると一瞬で時間が過ぎていく。
1時前:
妻も子供も出かけていないので、昨日の残り物で簡単に昼食を済ます。食べ終わるとすぐにサウナに入るために家を出る。天気がいいので運動を兼ねて歩いて行くことにする。1時間ほど少し早足で歩く。歩きながらポッドキャストでイタリア語を聞く。
2時~4時:
サウナ、水風呂、外気浴を4セット行う。その後休憩室でマンガを30分ほど読む。
5時:
家に帰り語学学習を再開する。この日はイタリア語学習が多かったので、バランスと取るために英語を行う。杉田敏の「現代ビジネス英語」を聞き、音読する。
7時前:
友達と遊びに行っていた妻から「鍋の用意をしてほしい」と連絡がある。出汁は妻が作っていたので、肉と野菜と魚を切って火を通す。牡蠣を洗って鍋に入れる。大根をすり、薬味のネギを切る。
8時ごろ:
家族で夕食。私は酒を飲みながらダラダラと食べる。普段、相撲以外のテレビを見ない私であるが、酒を飲んだときは別。酔ってしまうと何もできなくなるので、ここぞとばかり録画していた番組を見る。この日は「六角精児の飲み鉄本線日本旅」を見る。
11時ごろ:
妻に起こされる。テレビを見ながら寝ていたようだ。歯を磨いて寝室に移動して再び眠る。
朝起きて
このように記してみると、一日の内に私はいろいろなことをしているとわかります。家事、語学学習、読書、運動、サウナ、酒、テレビと盛りだくさんです。
しかし、次の朝、目を覚ますと私は欠乏感に襲われました。仕事に行く前、私の頭に浮かんでくるのは「前日にできなかったこと」なのです。一日のうちにできたことは忘れてしまい「そういえば~をしなかった」という形でしなかったことについて考えてしまうのです。
具体例を挙げると以下のようになります。
- 今年に入ってからまだ家で一度も明石焼きを焼いていない。多いときは毎週のように焼いていたのに、これでは焼くのが上手にならないし焼き鍋にとってもよくない。
- バイクの走行距離が伸びていない。今年に入ってまだ一度しか給油していない。昨日はよい天気だったのに、ウォーキングを優先してしまったのでバイクに乗れなかった。
- 地理の勉強ができていない。次男と一緒に高校地理の勉強をすると決めてテキストを買ったのに、ほとんど読めていない。次男はどんどん先を行っていて最近は、高校・大学と地理を学んだ私が答えに窮する質問をしてくるようになった。
このほかにも「確定申告の医療費控除の計算ができなかった」「包丁を研ぐことができなかった」「車の錆びた部分の塗装ができなかった」というふうに、「できたこと」よりも「できなかったこと」の方が多く浮かび上がり、私は欠乏感に悩まされるのです。
時々「自分の体が二つあればよいのにな」と思うのですが、たとえそうなったとしても私の欠乏感は解消されないと思います。体が二つあったとしても、人間の欲と想像力はきりが無いためそれ以上にするべきことが浮かび上がってくるからです。
私はこの次々に浮かび上がる欠乏感の癒し方を見つけない限りは、最高に幸せな人生を送ることができないと思うのです。なぜかというと、きりの無いものに対して私が持っている時間は有限であるからです。
「幸福を追求すること。これこそが不幸になる主な原因である。」
港湾労働者の哲学者、エリック・ホッファーの言葉です。
今の私は「これができたらよい」というリストを多く持ちすぎているのかもしれません。確かに「やりたいこと」ができたときは幸せを感じるのですが、それを持ちすぎることは同時に「できなかったこと」という不足感も作り出してしまいます。
そうなると私は何を考えてどのように行動するべきなのでしょうか。キーワードは「今」だと思います。「今一番やりたいこと」「今できること」にフォーカスして、それができればよしとするのです。私の体は一つで今一番も一つのため、それを続けていけば最善の結果を出し続けることになるでしょう。
今一番に集中すること、言うのは易しです。それを行うためには自分の心の声を正確に聴く必要があります。私に「やりたいこと」が多いのは、ある意味「今一番」に向き合うことを避けるために心の作用なのかもしれません。「今一番」は曖昧でもそれとベクトルが似ていることを行なえばそれなりに満足できるからです。
自分の心の声を正確に聴きそれを行動に移すには何を行なえばよいのでしょうか。今すぐ言えと言われても私には分かりません。しかし、私はこの問いを持ちながら考え続けることにします。