モヤモヤな自分が恥ずかしい
こんにちは、大和イタチです。
不惑はとうに過ぎたはずなのに、人生に迷ってばかりいます。迷いのない筋が一本ピシッと通っていて、それに向かって何事にも惑わされることなく進んでいく。それが不惑を迎えることなのかと思っていました。しかし、現実はそうではなく、モヤモヤした気分でいることが多いです。何に迷っていて、何が不安なのかわからないままです。周りの環境を客観的に見ると、自分は恵まれすぎていると思います。もっと心の底から幸福を感じていいはずですし、その幸せを他の人々に分け与える存在になってもいいはずです。心の微調整ができれば、正しい認識のもと、自分に合った幸福を実感できる、書くことは癒しに繋がると信じてブログで文章を書いています。
そんな私ですが、毎年夏になると心がモヤモヤしている自分が恥ずかしくなります。「お前はどうでもいいことを気にして、何がしたいんだ。どうしてそんな気分になるんだ?」自分に向かって罵りたくなります。
言うまでもなく、夏は戦争に関連する行事が多いからです。
8月6日の広島原爆記念日。9日の長崎原爆記念日。そして15日の終戦記念日。天皇陛下や首相が参列しテレビでも中継されるこの3日間は別格ですが、1945年の夏にはソ連侵攻があり、日本各地数多くの街で空襲があり、信じられないくらい多くの人々が亡くなっています。
戦争に対する恐怖心
私は、もの心ついた時から戦争に対する恐怖心がありました。当時は米ソの冷戦が続いていて、ニュースでよく核ミサイルや宇宙開発についての話題が上がっていました。レーガン大統領とブレジネフ書記長の時代です。キューバ危機ほどの緊迫した状態ではありませんが、アメリカがモスクワ五輪をボイコットし、核開発はその舞台を宇宙に展開しようとしていました。子ども心に「世界はこの2か国を中心に動いていて、その2か国はとても仲が悪い」ということは感じていました。
初めて広島の原爆資料館を訪問したのは、確か7歳ぐらいだったと思います。その後、現在(7歳当時)の水爆は広島と長崎に落とされた原爆の数百倍の破壊力があるということを知りました。資料館で見たあの写真の数百倍、そんな爆弾をアメリカとソ連はそれぞれ1万発以上所有し、それらをすべて使用すると、地球は100回以上破壊されることができる。この事実に、私は子供ながら暗澹たる気持ちになりました。
7歳でそんな状態ですから、見るもの聴くもの、思わず戦争に関しては敏感になります。小学校の図書館に過去数十年分の朝日年鑑が置いてありました。1970年前後の年鑑にはベトナム戦争の写真が載っていました。身内の葬式の経験もなく、まだ人の死体を見たことのなかった小学生にとってあまりにも衝撃的な写真が並んでいました。友人たちは「気持ち悪っ!」と笑いながら見ていましたが、私にとってそれは、いつの日か戦争が起きれば自分もそっち側の立場になる、ということを込みでしか見られないものでした。
ネットのない時代、学校の図書館は自発的に情報を仕入れることのできる唯一といっていいほどの場所です。中学、高校、大学になっても時折、ふらっと一人で図書館に行きたくなりました。ベトナム・朝鮮戦争、そして第2次世界大戦。それらについて書かれた本や写真集を読むのは苦痛で涙が出そうな作業ですが、どこかでその恐怖を味わってみたい、そういう心も働いていたと思います。時代が異なれば、実際に自分も本の中の悲惨な世界にいたのかもしれない、しかし幸運なことに私は平和な世の中にいて、その悲惨な物語を眺める側にいる、そのことが私に生きている実感を与えていたのかもしれません。
今でも戦争には敏感です
子供のころに受けた戦争に対する恐怖心、それは大人になってからも続いています。現在ではネットが主な情報源ですが、時折頭に浮かんだキーワードを検索してみます。ネットでは関連する情報が紐づいて提供されるためきりがありません。それらの情報の真贋はともかく、短時間のうちに大量の情報に接することになり、疲労を覚える時があります。どうして私は、良い気分にならないことはわかっているのに戦争に関することが知りたいのだろう。そう思うことがあります。特に、テレビや新聞で嫌がうえでも戦争が取り上げられるこの時期、そう思います。
理由の一つは、安心感を得たい気持でしょう。私の人生は、人に自慢できるほど波乱万丈に満ちた魅力的なものではありません。いわば、どこにでもありそうな平凡なものです。そのような平凡な人生は、退屈であるかもしれませんが、日本が戦争を行っていた時には、多くの人によって死ぬほど切望されていた平凡さであったに違いありません。平凡に学校を出て、平凡な仕事を行い、平凡な家庭を持つ。当たり前のように思われるこれらのことを担保にしているのは、先のことが見通せる、とりあえず平均寿命ぐらいまでは生きていけるだろうという見通しです。そして、このような見通しのもと「平凡でつまらない」と嘆くことのできる世の中は、有史以来それほど長い期間は存在しなかったと考えられます。
私は今、そのような例外的な安心できる世界に生きている、そのことを実感できる鏡の役割として、戦争を意識し、そこから安心感を得ているのだろうと思います。
もう一つの理由
もう一つの理由は、このブログに関係しています。それは、現在、私が分相応の幸福を実感していないということが関係していると思います。幸福を実感すべき環境にあるのにそれができていない、そんな中で戦争について思いをはせることは、幸福を強制的に実感させるために機能します。
自分の意志とは関係なく強制的に訓練をさせられ、強制的に戦地に送られ、強制的に死に場所を指定される。水木しげる氏の「総員玉砕せよ!」に書かれたことはすべて実話というわけではなく、10%はフィクションらしいです。ということは90%は実話。マンガの内容を考えると、身震いがしてきます。いったいどれだけの人が、飢えと絶望の中、見知らぬ土地で誰にも看取られることなく死んでいったのでしょうか。その最後の気持ち、苦しみはいかほどのものだったのでしょうか。
兵士だけではありません。太平洋戦争の最後の半年だけでいったいどれだけの人が亡くなったり不具になったりしたのでしょう。何の因果関係も知ることなく。大都市への大規模無差別空襲を始め、広島・長崎への原爆。毎日万単位で人が死んでいきます。死ぬ前に納得できた人はいかほどだったのでしょう。殆どは、何も知らないうちか、不条理、世の中への未練、憎しみ、絶望、これらの中で息絶えていったことでしょう。
8月15日を迎えても、満州でシベリアで南方で、希望を失ったまま生き続けた、または死を迎えた人々。復員する我が子や兄弟を待ち続けた人々。障がい者として新しい世の中を生きてゆかなければならなかった人々。祖国の地を目前にして、病に倒れてしまった人々。
戦争には私たちが現在では想像はできても実感は不可能な悲惨な話で溢れています。
「元気で生きている、それだけで十分じゃないか。モヤモヤとか幸福の実感だとか、そんなことを考える余裕があるだけ幸せに決まってるだろう」
毎年この時期、戦争について思いをはせるもう一つの理由は、この内なるもう一つの声を聴くためでもあります。