午前6時30分
年を重ねていくと、若いころには考えられなかったことが起きます。その中の一つが朝の目覚めです。あれほどスッと起きることが苦手だった私ですが、最近では目覚ましが鳴る直前に自然と目が覚めます。
朝6時半、布団から起き上がると毎日のように思うことがあります。
「ああ、今日も目を覚ますことができた」
寝室を出て、廊下を歩きながら思います。
「ちゃんと歩くことができる。脳の血管は切れていない」
リビングに入りベランダに面したカーテンを開けます。見慣れな街並みの向こうに太陽が見えます。
「ああ、私は今日本にいる。ラッキー!」
台所でやかんに水を入れ、コンロに乗せて火をつけます。何の問題もなく水がお湯へと変わっていきます。冷蔵庫からコーヒーの粉を取り出し、ペーパーフィルターに山盛り3杯入れます。
だいたいこのころに、妻が起きてきます。
「おはようございます」とお互いに丁寧なあいさつをします。
「今日もこの女性と一日を過ごすことができる」
そんな気分で、やかんのお湯をフィルターに注ぎます。コーヒーのいい香りがたち上ってきます。コーヒーがガラス容器のメモリ5人前に到達するまでお湯を注ぎます。私が職場へ持っていく魔法瓶にコーヒーを注ぎ、残りは妻のマグカップへ行きます。
横では妻が私と子供たちの弁当を作っています。毎朝「こんなにたくさん食べるのか」と思うほどの食材が調理されていきます。
私は洗面所に移動し、顔を洗い、ひげを剃り、歯を磨きます。この時点で家を出るまであと10分です。
さっと服を着替えて、弁当と水筒と朝食のサンドイッチを手にして、子供たちに声をかけます。靴を履き、玄関で見送る妻に「行ってきます」と言って家を出ます。
駅へと向かいながら、いつも思います。
「人間に生まれてきてよかった」
ささやかな楽しみ
先日、企業の広告費に関する記事を読みました。ネットに対しての広告費が、新聞、雑誌、テレビといった既存のメディアに対して支払われるそれを大きく上回っているという内容でした。
それは息子たちを始めとする周りの若者を見ていると感じられます。人々がテレビよりも、スマホやパソコンで見る動画を好む時代となりました。
私は大相撲以外のテレビは極力見ないようにしています。YouTubeは語学系を中心に見ますが、きりがないので見過ぎないように気をつけています。
そんな私が毎日のように見てしまう動画があります。「おーちゃんねる」というチャンネルです。就寝前の約10分間、私のささやかな楽しみになっています。
「おーちゃんねる」でみられるのは昆虫、小型爬虫類、魚類を中心とした生物観察の動画です。作者のおーちゃんは幼稚でふざけたようなキャラクターですが、その裏には生物に対する深い造詣と愛が感じられ、思わず惹きつけられてしまいます。
おーちゃんは自宅で数多くの生き物を飼育しています。カナヘビ、スズメバチ、アリ、フグ、タガメ、ムカデ、ヒキガエル、クルマエビ。この飼育リストを見ると、彼が普通の人ではないことが分かります。相当深い知識と行動力がなければ維持できない生物たちです。
動画の中で、おーちゃんはゴキブリや針を抜いたスズメバチをヒキガエルの目の前に落とします。「残酷でちゅねー」と言いながら。そんな獲物をヒキガエルは長い舌を使って一飲みにします。
増えすぎたゴキブリの子どもをアリや淡水魚に与えていきます。淡水魚はタガメの餌用に飼われているものです。
いい大きさになった魚はタガメの餌になります。その太い前足で獲物を挟み、針のような口を肉に差し込みます。そこから消化液を魚の体内に注入し、溶けた肉を吸い込むのです。
おーちゃんは「残酷でちゅねー」と言いながらその様子を解説します。
私は魅入られたようにその様子を凝視します。
おーちゃんは付け加えます。「でもこれが自然の食物連鎖ですから」
私が見ているものは、食う食われるの生物の営みなのです。動画の中で起こっていることは、ほとんどそれだけなのです。そしてそのことは私に、自然の中では当然であるが人間が忘れていることを思い出させてくれます。
動物は、命を保ち、次の世代を残す行動しかしていない。言い換えれば、食べて繁殖をするために動物は生きている。
このことに思いが至る時、私は人間でいることの有難さを感じることができるます。
有難い
私は先ほど書いたような朝を毎日過ごします。でもこれは考えてみると、自然状態ではありえないことです。
ある動物が目を覚ます。巣穴から出て、餌を探しに行きます。その動物が次にその巣穴に帰ってこれる保証はありません。
例えば、カエルが巣穴を出た瞬間に蛇に捕食されるということは普通にあることです。それどころか巣穴に忍び込まれて捕食されることもあるでしょう。
小さな虫をカエルが捕食し、そのカエルを蛇が捕食し、その蛇を空からトンビが狙っています。
自然は、あらゆる場所に張り巡らされた無数の食物連鎖の上に成り立っています。生物たちはどこにいても、何をしていてもそこから逃れることができません。これは私たち人間の感覚からいうとたまらなくストレスフルな状態です。心休まる暇がないという状態です。
しかし、そう思えるということは、人間だけは特別な状態を持っていることを意味します。普段はなかなか意識することはできませんが、人間は相当、というかあり得ないぐらい恵まれた生き物です。
私は朝のルーティーンについて語りました。そのルーティーンは今日も行いましたし、明日そうであることも疑いません。普通であれば1年後も同じことを行っているでしょう。1年前がそうでしたから。
私たちは未来を考えながら人生を設計することができます。もちろん、突然の事故や災害などで未来がなくなる可能性はあります。しかし、人間以外の生物のように、朝動き出した瞬間に捕食される可能性を考える必要はありません。
圧倒的多数の生物は、その最後を他の生物の胃袋の中で終えます。そうならないのは、食物連鎖の頂点に立つほんの一部の動物と人間だけです。
私たちは明日を生きることを期待できる稀有な生き物です。そのことに気づいたので私は毎朝「人間に生まれてよかった」と思うことができます。
「ありがたい」のもとの形は「有難い」であると聞いたことがあります。これは仏教の教えで、生物は輪廻転生していくが、人間として生を受けることは非常に稀なこと、つまり「有難い」ことを意味しているそうです。
私は本当に恵まれた存在であると思います。いつもと同じ朝を迎えながら、次々に捕食される生き物の動画を見ながら、心の底からそう思います。
ありがとうございます。有難うございます。