毎週玉子焼き

少しずつ前へ

明石焼きの店をやってみたいと思った6月以降、定期的に明石の店へ玉子焼きを求めて通い、家では「ヤスフク明石焼き工房」で購入した銅製の焼き機を使って玉子焼きを焼いています。

適当に焼いても何とかなるタコ焼きと異なり、玉子焼きは原料の配合や焼き方がダイレクトに仕上がりに左右して、まるでお菓子づくりを行っているようです。(私はお菓子を作りませんが、妻は時々作り、細かい分量や手順を厳密に守ることが大切といっている)

タコを除く材料は、じん粉・玉子・出汁・塩の4種類で、異なる人が異なる配合や作り方を述べているのでありますが、とりあえず私たちは、焼き器を買った時についてきたレシピを基本として微調整を加えています。

4種類の材料なので単純なのかといえばそうでもなく、作るたびに次回はこうしようというアイデアが出てくるので不思議です。料理はするけどいつも目分量でメモは取らない私が、珍しく玉子焼きを焼く度にノートに分量と次回への申し送り事項を書いていきます。

玉子焼きは出汁で食べるため、塩の分量に気を使います。塩を入れすぎると玉子焼き自体の味が強くなりすぎて出汁の味が生きてきません。かといって少なすぎると、しまりのない不味い味になります。

つけ出汁の塩分量と玉子焼きの自体のそれを、それぞれが邪魔することなく調和する割合までもっていかなくてはなりません。また、塩味は温度によっても感じ方が異なるので大変です。

いろいろ大変なのですが、それは実はイヤな大変ではなくて、私は楽しみながら大変さを味わっています。玉子焼き屋が実現するかどうかわかりませんが、料理も気持ちも少しづつ前へ進んでいるという実感はあります。

休日が楽しみ

家で焼いた玉子焼き
ここまで1か月

最初はまともに焼き器から離れてくれなかった玉子焼きも、どうにか写真のようにきれいに焼き板の上に並ぶようになってきました。こうなると、どんどん欲が出てきます。

「もっと丸く、もっときれいな焼き色で」そんなことを意識しながら火力や菜箸での回し方を考えるのですが、いつもうまくいくとは限りません。

そんな時「将来明石焼きの店をやりたいと思っているんですが…」という私に対して返答した「ヤスフク明石焼き工房」の安福さんの声が響きます。

「みんなそんなこと言うて買いに来るんや。でも結局言うだけや。家庭用の焼き機を買うて練習してみ。うまくなったらええやつを買ったらええ!」

熱伝導のよい銅板の焼き機をうまくコントロールして、美味しくて見た目もいい玉子焼きを焼いてやる、そんな思いが湧き上がってきます。

まだ自分の家族にしか食べてもらっていませんが、安定して上手に焼くとこができるようになったら、親戚や友人に試食の輪を広げていきたいと考えています。できれば安福さんにも出来上がった写真を見てもらって「上手に焼けてるやないか」の言葉が欲しいと、どんどんと欲が大きくなってきます。

でき上り直前の玉子焼き
でき上り直前

現在の焼き機は写真のような状態になっています。説明書に「水で洗うな」と書かれていたので、使う前は油を多めに入れて熱してから紙で拭き取り、焼き終わってからも丁寧にキッチンペーパーで掃除します。

銅色の中に黒い部分が現れていて、これは紙で擦っても取れません。専門店の焼き機を見ると全体的に黒いので、焼いているうちにこちらの色が強くなっていくのかもしれません。

鍋の色のこと、手入れのこと、粉のこと、専門家に聞いてみたいことが沢山浮かんできます。私は1月半ぶりに「ヤスフク明石焼き工房」へ行くことにしました。

相変わらずの…

8月初旬の平日、私はバイクに跨って明石市中心部へと向かいました。目的は二つあり、1つは「ヤスフク明石焼き工房」へ行って揚げ板をもう一枚買ってチャンスがあれば安福さんと話をすること、もう一つは休日は行列でなかなか買えない「ふなまち」の玉子焼きを買うことです。

「ふなまち」は商店街から5分ほど南へ下った住宅地の中にあり、その美味しさは「明石で一番」ともいわれるお店です。本通りの「笠谷履物店」(ここも味のあるお店で、去年雪駄を買った)の角を南へ曲がりバイクを走らせること20秒、まさかとは思いましたが「ふなまち」の前には10人を超す行列ができています。

平日の昼過ぎでもこれです。「10人かぁ。20分ぐらいかなあ」と思いましたが、今日の私はバイクです。ここまで来る間も「あついあつい」と常に呟いてきた私に、炎天下で20分待つ覚悟は生まれてきませんでした。残念だけれど、そのまま通過して日本で唯一、ということは世界で唯一の「明石焼き器専門店」へと向かいます。

店へ入るとご主人の安福さん、そしてそれに続いて奥さんが奥から現れます。私は「先日ここで焼き器を買ったこと、焼くことに慣れてきたのでもう一枚揚げ板を買いに来た」という旨を告げました。

お金を渡し、揚げ板を受け取ると

「上手に焼けるようになってきたんか。粉はまだあるんか。粉は買っていかんのか?」

そこから1月半ぶりに耳にするご主人のマシンガントークが始まりました。

「自分で焼くのがええやろ。近頃は店で食べたら高いからなあ。大阪では8個で600円しよる。東京では12個で1200円や。誰がそんなもんかいよるんかなあ。あんた、粉はまだあるんか?」

明石焼きの値段と粉の話が繰り返されるので、私も話題を目の前にあるガスの焼き台に変えようと持っていきます。

「これは5個用の焼き台。こんなもんは普通の店では出さへん。飲み屋のつまみ用や」

「ガスでもプロパンでもどちらでもできるで。穴の数も自分で決めたらええ。ワシでこの店も最後や」

前回と同様に、ほとんど私が口を挟む間もなくご主人のお話を聞いて店を後にすることになりました。奥さんは途中で奥へ入られました。それにしても、このご主人の明石焼きにかける熱い思いがヒシヒシと伝わってきます。私がこの店と出会ったことが運命のように思います。

「このご主人が元気なうちに…」私の心が揺れ動いているのがわかります。

「ワシでこの店も最後や」安福さんの言葉が頭の中でリフレインします。確かにネットを調べれば、銅製の焼き器を販売する店はあります。しかし職人が手打ちで銅を打ち出して作るものは、ここが唯一です。

ご主人のプロフィールに「昭和16年生まれ」とありました。現在79歳か80歳です。まだまだお元気そうですが、私が定年を迎えるのはまだ10年以上先です。

「自分の人生を生きる」私の中に浮かんできます。今の仕事が嫌いなわけではありません。しかし今一番やりたいことかといえばそうではありません。

「じゃあ、お前はいったい何がやりたいのだ」

たくさんあります。明石焼きを焼くこともその中の1つです。他にもあります。ただ、「仕事は定年まで行うものだ」という思い込みに取りつかれて、今まで別の可能性があることを考えることを避けてきました。

ブログを書き始めて1年と少し。私の内側と外側の両方でいろいろなことが変化し始めています。安福さんの存在も、間違いなく変化を起こす大きな要因の一つになってきています。

玉子焼きの上げ板
玉子焼きの上げ板

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。