地図帳を眺める
こんにちは、大和イタチです。
今、帝国書院発行の「新詳高等地図」を眺めています。
関東地方のページ、西は静岡市と上越市を結ぶ線、東は犬吠埼から福島県東部海岸線にかけてが2ページにわたって表示されています。
その範囲の中で、一番緑が目立つ地域が関東平野です。日本最大の平野。西は神奈川県中部から、八王子、埼玉深谷あたりを通り、群馬の南部をかすめて宇都宮から水戸辺りまで通るラインの内側に広大な緑色のゾーンが広がっています。房総半島や筑波山といった、高くなった場所もありますが、おおむね見た感じ平らな地域が広がっています。
関西に住んでいると、大抵の場所で東西南北のいずれかを見れば、山の姿が視界に入ります。六甲山に沿った神戸や盆地である京都はもとより、平野に位置する大阪からでも生駒の山々がよく見えます。
ですから、周りに山の見えない関東に行くと、変な気分になります。都市部ならまだましなのですが、千葉や埼玉の郊外にいると、山を基準とした方向感覚を失い不安が襲ってきます。
この秋、台風19号とその前後の大雨でこの地域を中心に甚大な被害がでました。堤防が決壊し川が氾濫する映像をテレビで見ていて、私がこの地域で不安を感じるのは方向感覚の喪失に対してだけではないことに気がつきました。
火と水と風と
高校生の時、地理の授業で「関東ローム」と言う言葉を耳にしました。関東平野一体を覆っている、火山灰を由来とする土壌をそう呼びます。関東平野は火山灰で覆われているのです。
地図の緑色をした部分の外側を見てみます。
時計回りに富士山、浅間山、榛名山、赤城山、白根山といった名だたる山々が平野を囲んでいます。これらの山は皆、火山、または元火山です。関東平野にはこれらの山々から降り注いだ火山灰が堆積しています。
しかし、関東平野は火山灰の堆積だけで作られた土地ではありません。当然のことながら、河川による土砂の流入・堆積を繰り返しながら日本で一番広い平野に成長していきました。土砂を供給したのは、利根川や荒川を始めとするこの地域を流れる大小すべての川です。
地表からマグマが噴き出し、火山が成長し、その火山灰が風に乗って周辺に降り注ぎます。火山はやがて活動を休止し、成長の止まった山は長い時間をかけて雨により侵食されていきます。削られた岩は、下流へと向かいながら石や砂となり、平野を形成する素材となります。
このように見ていくと、土地は絶えず姿を変え続けるもので、それは水が高きから低きへ流れるように、自然の摂理であります。千年ぐらいの単位で地形を見ればそう思えます。
しかし、私たち人間の寿命はせいぜい長くて100年。現代人は、数日または数か月、長くても数年先のことぐらいしか普通の生活の中で考えません。
人の時間感覚 都市に住むということ
都市に住んでいると、自然の時間単位を忘れてしまいます。築30年のマンションを「古いなあ」と思っていしまします。時々、神社仏閣など数百年単位で残っている建物もありますが、ほとんどの建築物は築50年以内、古くて昭和初期や大正期、極稀に明治、そんな感じです。
せいぜい100年程度の歴史を持った建物や道や人工河川にべったりと覆われているのが都市の姿です。古い建築物は壊されて新しいビルが絶えずどこかで経っていて、新陳代謝はずっと続いて物理的な形を変えていきますが、自然によるそれとは大きく異なります。
都市を歩いていると、通りを境に一段高い場所に住宅が立ち並ぶ場所があります。その段差は川によって作られたものであり、低い方の住宅はかつての川底の上に立てられていることになります。
川に沿って街の中の谷を下っていくと、川が暗渠となりその周辺に家が立ち並んでいることがあります。谷に盛り土をして造成されたその部分は、周りの地形を考えると一番川の浸食作用が強い部分です。
都市を含む平野全体を考えても、土砂が堆積して平らになっているということはどういうことのなのでしょう。
河川が土を運び続けます。土砂が堆積して、その部分が周りより高くなれば当然川は流路を変えます。長い時間の中で、土砂の堆積→流路の変更を無数に繰り返しながら、徐々に大きな平野が形成されていきます。隆起の作用もあるので一概には言えないでしょうが、平野のすべての部分はかつての川底といえます。私が山の見えない平野で不安を感じるのは「ここもかつて川底であったし、これからもその可能性がある」からなのです。
人が定住生活を始め、農地を作り、街が形成されるにしたがって、流路を変える河川は都合が悪くなりました。堤防が必要となってきます。
あらゆる河川に堤防が築かれました。しかし、河川は水と共に土砂を移動させるというその本質を変えません。
今回の台風19号とその前後の雨で、数多くの堤防が決壊し、河川が氾濫し、甚大な被害がでました。このような水害は、私の今までの記憶にはありません。長野で、関東で、福島の多くの地域で床上浸水し、多くの尊い命が失われました。リポーターの中継を暗澹たる気持ちで聞きながら、もう一人の冷静な自分がいることに気がつきました。「現代人はあまりに刹那的。時間軸を伸ばして考えることをやめてしまった」そんなことを言っています。
武蔵小杉のタワーマンションの下層部への浸水が大きなニュースになっていました。エレベーターが使えないとか資産価値が下がるとか。
このタワーマンションを企画した人、設計した人、建設した人、購入した人、この中で多摩川から水があふれ出る可能性を脳裏に浮かべた人は何人いたのでしょうか。
都市にいると、鉄道路線や都心までの所要時間、街にある店のブランドなどには大いに目が行きますが、地形の持つ歴史的背景など誰も考えません。
古くからの集落は、台地上や河岸段丘上部に発達しています。これが何を意味するのか。先人たちの居住場所に対する優先事項は、現代人とは異なっているということです。
科学技術が発達し、安全に暮らせることが当たり前となり、人々の目はすぐ近くの物しか見えなくなっていると思います。短期間で、いかに効率よく、最大の成果を上げるか。この近視的な物の味方に溢れた世の中が、何となく息苦しい雰囲気を作っているのかもしれません。
私たちは、世界的に見ても稀なほど自然災害の多い国に住んでいます。4つのプレートの合わさる場所。それが引き起こす地震、津波。定期的にやってくる台風、大雨、大雪。
うんざりするほどの災害の中で形成されてきた日本人の特質。自然に寄り添う生き方。和を尊び、自己主張せずにお互いを察して助け合う精神。
こんな私の見方も紋切り型かもしれません。しかし、このような災害に見舞われると、この紋切り型の日本観にもう少し、戻っていく必要があると思うのです。私たちは今、それほどもう一方の極へ進み過ぎていると思います。