画面の先に幸せを探すべきなのか

どこを見てもスマホ

 今から6~7年前、通勤電車の中でちょっとした調査を行ったことがあります。大したものではありませんが、電車のドアからドアまでの1区画7人掛けのシートに座る向かい合わせ12~3人の人たちがそれぞれ何をしているのか調べてみたのです。新聞や本を読む人、目を閉じたままの人、お話をしている人、ビールを飲んでいる人、アイスを食べている人。様々な人がいる中で、スマホを触っている人が目につき始めたので、その数を記録していきました。手帳の日付の欄に14分の何人という風に毎日つけていたのですが、しばらくしてやめてしまいました。理由はほとんどの人がスマホを触り始めて、記録の項目に変化がなくなってきたからです。

 私自身は当時スマホを持っていなく、車内では基本的に読書を行うかpodcastを聞いていました。スマホを手にした今でも車内での過ごし方は同じで、どうしても車内でスマホに触れる気持ちになりません。みんな一心不乱にスマホの画面を眺めながら指を動かしています。そこに何があるのか、どんなにいいことがあるのか、それを理解することができない私は疎外感を感じています。

 携帯販売会社のお姉さんの言うがままに、この5年ほどタブレットやスマホを使い続けていますが、完全に持て余し気味です。普段の生活であまり使う場面、使いたい衝動、必要性に恵まれないのです。自分では通話やメール、ラインと使っているつもりなのですが、世間の基準に照らし合わせてみると、どうやら使っていないに等しいようです。パケットの使用量を調べてもらった時、窓口のお姉さんは「えっ、これだけ?」と驚いた表情でした。検索履歴を見てみると、「細川たかし」「町田市 柄悪い?」「肉うどん 九州」、昨日テレビと新聞をみて気になったネタを調べた痕跡です。

心から思う みんな何に使ってる?

 「スマホでみんな意味のないことをして時間をつぶしている」そんなことを言う気持ちは毛頭ありません。「とりあえずスマホ」という行動パターンがメインストリームで、私のような人は明らかに横道を歩いているからです。そういう自覚は十分にあります。ただ私は、単に、人々がスマホに何を求めているのか、それが幸福感にどうつながっているのかが知りたいのです。

 人は自由に使える時間がある時、とりあえず好きなことをすると思います。私もそうです。バイクに乗ったり、お酒を飲みに行ったり、本を読んだり、ギターを弾いたり。電車の中の自由な時間も同様です。自分でコントロールできる時間に好きなことをすると「幸せ」とまではいかなくても、「充実したな」という気持ちになります。

 電車の中だけではなく、今やスマホを使用する場面は生活のあらゆる時と場所に存在します。平均使用時間を調べてみると、私の生活パターンからは到底絞り出せない数字に現実感を失います。

 しかし、圧倒的に多数の現実は私のような人以外なのです。自由な時間にスマホに引き付けられるということは、多数の現代人はそこに何か、安心というか幸福感というようなものを得ているのではないのでしょうか。そしてそこに入り込めない私の精神構造と、普段感じているモヤモヤ感には何か関係があるのではないか、そんなことを感じています。

 それにしても、みんな何に引き付けられているのでしょうか。連続して5分以上スマホを使用することのない(使用できない、する気持ちにならない)私にとっては大きな謎です。

高校生と話しました

 数人の高校生と話をする機会がありました。みんな1日に4~5時間はスマホをいじっています。お気に入りのユーチューバーの動画に加えてラインやツイッターなどのSNSに時間を使っているようです。1日の様子を写真に撮り、報告し、朝登校するまでに友人たちの昨日の様子を確認し、それをもとに翌日会話をする、そのようなことを言っていました。

 スマホの世界に疎い私が頓珍漢なことを言っているのかもしれませんが、やはり彼らは人とつながることに自分の自由な時間を使っているのか、と思ったりします。投稿された動画をみてコメントをしたり、SNSでしきりに報告しあったり。そしてそこに幸福感の種があるのかと推測するのですが、的外れなのでしょうか。

 今までなかったツールを用いて多くの人とつながる、私が自分相応の幸福を感じるためのヒントはそこにあるのかもしれません。が、そのための時間+労力とその時間で他にやりたいことを天秤にかけた時、思わず尻込みしてしまいます。

 人と違うことって結構疲れます。

モヤモヤ ⇒ 幸福?

思い切って、世間と同じような行動をとってみるのもいいのか?

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。