立ち食いそば
若き頃、私は妻に誕生石の指輪をプレゼントしたことがある。しかし、その指輪をつけた妻の姿を見たことはない。なぜなら妻は多くの女性とは異なり宝石類に全く興味を示さない人であるからだ。
私は薄々そのことに気がついていたのだが、妻の誕生日に指輪を買ってしまった。彼女は喜んでいたがそれは社交辞令であったのだろう。その指輪が今どこにあるのか私は知らない。ひょっとしたら彼女自身も知らないかもしれない。
妻は宝石類どころかバッグやブランド物の服にも興味がない。彼女はモノよりも、人と会ったりどこかへ行ったりという経験を大切にする性格をしている。そんな彼女が今一番興味を示しているのは立ち食いそばである。安くて美味しくて店によって個性があるので面白いという。
しかし、時代は変わりつつあるといっても女性が一人で立ち食いそばをすするのは勇気が必要な行為である。だから私の出番が来る。こちらも鉄道オタクとして駅を中心に立ち食いそば歴は長い。そういうわけで最近は妻と二人で立ち食いそばデートをよくする。夫としては安くですむ。
この日目指した店は兵庫区和田岬にある。平安時代、平清盛の大輪田泊で有名なあの和田岬である。神戸の中でも最も歴史の古いこの場所には現在三菱や川崎の巨大な工場がある。それらの従業員を相手にした立ち食いそば屋を目指し、私たちは地下鉄和田岬駅で下車した。
私たちは、三菱の工場脇に位置する店でそばをすすった。私は「ぼっかけ」妻は「わかめ」二人とも大満足であったが今日の話題の中心はそばではなく乗ってきた鉄道にある。

地下鉄海岸線
時間は少しさかのぼる。私たちが和田岬駅に到着した時である。電車を降りてエスカレーターを上りコンコースに出た。私たちは顔を見合わせた。
「こんなに広くて大きい駅だった?」
実際には地下鉄の駅としては普通のサイズなのかもしれない。私たちに「広い」と思わせたのは、そこにいる人の少なさであった。
列車から降りる。トイレに行く。そこから出るともう人の姿が見えない。改札を抜けて二人で最寄りの出口まで歩く。誰ともすれ違わない。ここは昼間に列車が来ないことで有名なJRの和田岬駅ではない。10分毎に列車がやってくる地下鉄での話である。
そばを食べた後、私たちは和田岬の街を散策した。ここは地下鉄海岸線の中心となる駅であるが人通りはまばらである。前回この街に降り立ったのはいつのことなのか思い出せないが、昔は商店街にもっと人が多かったように思える。
もっともこの日は休日で工場の労働者たちがいないため普段とは様子が違うことはわかる。しかし、街の店の数自体が少なくなっているのははっきりしている。近くに大きなショッピングモールができた影響もあるのだろう。モールには巨大な駐車場がある。
街をぐるりとまわって私たちはJR和田岬駅へ入った。ここへ来る乗客は必ず兵庫駅の専用改札を通るため、この駅には改札がなくホームまで入ることができるのだ。
鉄道好きの私は、かつてこの駅から県道高松線の先の工場まで専用線が伸びていたこと、高松線を走っていた神戸市電は陸橋で工場線を超えていたことを、まるで見たことがあるかのように妻に話した。
「ここに地下鉄じゃなくて市電が走っていたらいいのにね」
妻は私にそう言った。それはまさしく私がずっと思い続けてきたことであった。
LRT海岸線
私がまだ神戸に住み始める前、新長田の南、駒ヶ林に住む友人宅に泊めてもらったことがある。
「ここに地下鉄が通る」
友人は自慢そうに私にそう言った。時代は阪神大震災が起こる少し前のこと。JR新長田駅から駒ヶ林までは商店が途切れることなく立ち並んでいた。国道2号線沿いには神戸デパートもあり人で賑わっていた。
そんな時代に地下鉄海岸線は着工され、それから間も無く震災を経験した。兵庫から長田にかけて被害は甚大で街の形が大きく変わった。人口が激減する中海岸線の工事は続けられ、震災から6年後の2001年に開通した。
開通した時、私は神戸にいた。
「新しい地下鉄、人、乗るのだろうか」
そう思った。ワールドカップに合わせて和田岬の隣に大きなスタジアムができた。しかし、毎日そこでイベントが行われているわけでもない。沿線人口が減少する中で催し物に頼る鉄道経営は苦しい。実際地下鉄海岸線の利用は低調で、現在も赤字を積み上げ続けている。
ここがLRTだったら。私は地下鉄海岸線開業以来ずっとそう思い続けている。思ってもどうすることもできないが思わずにはいられないのだ。
「路面電車は街の景色が見られから楽しい」
そう言う妻は広島に住んでいたことがある。だから路面電車には馴染みがある。東京、長崎、鹿児島、岡山、松山、彼女は私と旅先で一緒に路面電車を楽しんだ。
帰りの地下鉄の車内で妻に私の妄想を伝える。LRTの建設費は地下鉄のそれの約10分の1と言われるが、まあ仮にその半分の5分の1として考えてみる。約8キロの海岸線を建設する予算があれば神戸市内に40キロのLRTを敷設することができる。これはLRT日本一の広島を越える距離である。
さて妄想を始めよう。
まず私たちが今走る海岸線の上を全てLRTにする。終点は新長田ではなくその先の山陽電車の西代を経由して板宿まで伸ばしたい。
新長田の南駒ヶ林の交差点に分岐点を作り、新長田方面とそのまま高松線を直進する路線に分かれる。まっすぐ進めば須磨シーワルドや須磨海岸がある。三宮・元町から須磨までLRTで結ばれる。
三宮の東約2キロ、震災前は巨大な鉄工所のあった地域は現在HAT神戸という公共施設やマンションの立つ並ぶ新しい街になっている。この街の最寄駅は「阪神春日の道」で少し距離がある。
だから三宮からここまでLRTを延伸する。実際に現在の神戸市長になってからそのような構想が生まれたが立ち消えになった。それが妄想の中ではわけなく実現できる。
ついでだからHAT神戸から北上して新幹線の新神戸駅を結びたい。距離にして2キロもない。HAT神戸にあるJICAに新幹線とLRTを乗り継いだ外国人がやってくる様子が目にうかぶ。
そうなるとHAT神戸から現在ある道路トンネルの一部を活用してポートアイランドと結びたくなる。ポートライナーで果たせなかった新神戸とポートアイランドとの直通が実現する。これだけ路線を作ってもまだ40キロに満たないだろう。
私の妄想は止まることなく続いていく。ありがたいことに、妻はそんな私の寝言を聞いてくれる。
地下鉄海岸線の列車は西元町駅に到着した。この辺りの雑居ビルには個性的な店が多い。私たちはこの日妻の財布と私の鞄を買う予定であった。駅の長い階段を登りながら再び思った。
「これがLRTなら下車してすぐに街を歩けるのに」
すぐ南にはメリケンパークが見える。歴史のあるビルの間の通りにセンターポールの軌道が敷かれている。今以上に神戸が素敵な街になる。私の神戸妄想鉄道が再び走り出す。