第一関門突破?

友人と遊んだ後で

「えっ、今何って言った?」

私は思わず妻に聞き返した。日曜の夕方、妻とその日の出来事を話し合っていた時のことである。妻は昼間友人と遊びに出かけており、その話の途中に私の耳に全く予告しなかった妻の言葉が入ってきたのだ。

「オレンジ色のデッキバンってかわいいなって思ったの」

確かに「デッキバン」と言った。私はまだ半信半疑である。妻の口からデッキバンに対してポジティブな発言を今まで聞いたことがなかったからだ。

調子に乗ってあまり深追いしてはならない。私はしないがたぶん魚釣りの時だってそうだろう。餌にかかったと思ってすぐに竿を引いてしまうと獲物を取り損ねてしまう。焦らずにじっくりと餌と針に食らいつくのを待つ心が必要なのだ。

「ああそうなん。かわいいよなあ」と言いつつ私は適当に話題をそらして会話を終えた。心の中ではガッツポーズをしていた。

デッキバンとはダイハツが製造・販売している車の名前である。「デッキバン」の前にハイゼットやアトレーという名前が付き、それらの車の一つのタイプとして販売されている。

恐ろしくマイナーな車種なのでほとんどの人はその名前を出してもすぐに理解してくれない。形を説明すると、男子なら「あー見たことある」という反応が返ってくる。

女子と話す時も、たまに知っている人がいる。しかし、必ずと言っていいほど口元に微妙な笑いを浮かべながらの「ああ、知っている」が返ってくる。デッキバンとはそのような車なのだ。

私はそんなデッキバンに乗りたくてたまらない。そしてその魅力は日本でも唯一無二のその形にある。ワンボックスでも軽トラでもない。しかし同時にどちらでもあるといえる。ハッキリ言ってものすごく中途半端な形をしている。しかし、そこがまたいいのだ。

もともとは個人経営の電気屋さん向けに開発された車種であるそうだ。冷蔵庫を配達する時、構造上商品を横にすることはできないためワンボックスの車で運ぶことができない。だから冷蔵庫を立てて載せられるぐらいのデッキをつけた。

今では町の電気屋さんはほとんどなくなり、電気製品は大手家電チェーンの配送トラックで運ばれてくる。そんな時代であっても、このデッキバンという車種は残った。「四人乗れて汚れるものも積みたい」というニッチな需要があるのだろう。または、私のように中途半端な形が好きだというマニアックな人に支えられているのかもしれない。

ダイハツHPより

竿の上げどき

先日、私の親友が車を購入した。1500万したという。我が家の1年間の家計収入を軽〜く超えている。私と妻の給料に大学生の長男のバイト代を足しても全く及ばない。

「すごいなあ、あいつも立派になって稼いでいるなあ」と思った。しかし「うらやましい」という気持ちはしなかった。なぜなら、どんなに素晴らしい車であろうと彼が買った車はデッキバンではなかったからだ。つまり、それぐらい私はこの車に乗りたいと思っている。

「フェラーリかデッキバン、どちらかあげる」と言われたら、私はデッキバンを選ぶかフェラーリをもらって転売し、そのお金でデッキバンを買う。さまざまな面で物欲がなくなっている今の私であるが、この車だけは別物なのだ。

「それならさっさとデッキバンを買えばよいのでは」と思うところであるが、そうは問屋がおろしてくれない。私が「この車に乗りたい」と言ったその日から頑なにそれに異を唱え続ける存在、それが我妻なのである。

自分で言うのはなんであるが、私たち夫婦は仲が良い。時にケンカもするが長引くことはない。お互いに敬語で話したり(嫌な感じではなく)、「ありがとう」の言葉もいつも自然に出る。子供達が独立した後、この人と一緒に老いてゆく人生を楽しみにしている。

私のわがままをいつも許してくれている妻であるが「デッキバン」を買うことだけは嫌であるそうだ。

「どうして後ろの部分が無いの」とか「スリッパ見たいな形がいや」、デッキバンの写真を見せるたびそのようなことをいう。

「そこがいいんじゃないか!」と私は言いたいのだがグッと我慢する。押せば引かれるので、私はデッキバンの話題を封印した。その代わりネットでデッキバンを数多く検索し、時折広告欄にデッキバンが表示される状態を作った。

そのことがサブリミナル効果のような影響を妻に与えたのかもしれない。とにかく彼女は「オレンジのデッキバンがかわいい」と言ったのだ。私はデッキバンである限りオレンジでも何色でも構わない。

長かった戦いもようやく第一関門を突破したようだ。私は焦らずに竿の上げどきを探っていくこととする。

ダイハツHPより

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。