苗床
稲は発芽から約4ヶ月で収穫できます。前年度とれた籾を水田に撒けばそのうち芽が出て成長するでしょうが、そういう原始的な稲作をする人はほぼいません。
籾は水田に直接撒かれるのではなく、苗床という60cm×30cmの長方形の箱の中に土を敷き、その上にびっしりと並べられます。撒かれた籾の上には栄養分の高い土が乗せられます。
苗床は平らな地面に並べられ、毎日丁寧に水を撒かれます。そのうち表面の黒土の間から鮮やかな緑の芽が見え始めます。目は日に日に成長し、高さ10cmほどの密集した苗の状態になります。
水と土の栄養をいっぱいに取り込み、これ以上この狭い箱の中では成長できないという状態になった時、密集した塊の苗は細かく分けられて水田に移されます。これが一般的にイメージされる田植えです。
私の実家ではかつてこの苗床を自分で作っていました。そこに撒く籾は前年の秋に収穫した稲のうち、翌年の種籾として脱穀することなく取り分けていたものです。
これは何を意味するのかというと、自分が丹精込めて育てた稲をもとにして次の年のお米を作ることができるということです。同じ血筋を受け継いだ者が家を代々ついでいくように、お米も同じ株から続いていきます。
しかし、この苗床作りはさまざまな作業を伴います。土を運んだり、苗床を移動させたり、毎日水をやったり、病気にならないように気を配ったりと、かつては何でもなかったこれらの作業が高齢の両親にはキツくなってきました。
だからこの数年は苗床を育てる作業を金で解決するようになりました。つまりびっしりと塊に成長した、田植えできる状態の苗を農協で買ってくるのです。
当然その苗は自分の作った稲の子孫ではありませんし、結構な値段がします。米作りにかかる諸々の費用を父親に聞くと、昨年来高騰する前のお店で売られている値段とあまり変わらないことに驚きます。人件費を考えると、買う方がはるかに安くなります。
自分の手で安心できる主食を確保したい、そんな思い出で私たちはお米を作っています。
10年ぶりの
父親の足腰が痛み出してからは結構頻繁に米作りのために実家に帰っていましたが、田植えに帰ったことはありませんでした。
かつては米作りの中でも最も労働集約的な作業であった田植えですが、現在では稲刈りと同様に機械を使って短時間のうちに行うことができます。私の実家でも近所の数軒と共同購入をしている田植え機を使って苗を植えます。
機械のない時代には家族総出で丸一日かかっていた作業が、今では一人が2〜3時間機械を運転すればできます。しかし、父親にとってその数時間の作業もキツくなってきたため私が手伝うことになりました。
機械の運用の都合上、田植えは午後から行われるので私は昼過ぎに実家に到着し、膝の上までゴムに覆われた田植え靴を履いて田んぼに向かいました。
私がこの場所で田植えに参加するのは約10年ぶりです。代かきが終わった後貯められていた水は、田植えの時は土すれすれまで水位を下げられます。苗が定着しやすいようにです。
私はこの日しか見られない田んぼの姿を目にします。泥の表面が太陽の光に輝いています。その上に父の運転する田植え機が4条ずつ緑の苗を植えていきます。
私は新たな苗箱を移動させたり、使用済みのそれを回収したりします。田植え機がUターンすると、表土がえぐれて凸凹ができます。
「じょれんグワでそこを均して」父が言います。
「じょれんぐわ?」初めて聞く言葉でした。後で調べると「鋤簾鍬」と書きます。普通の鍬より横幅の広い台形をしていて小さな穴がいくつか空いています。水路の泥をかき出すのによさそうです。

この感覚
鍬を持って水田の中に入ります。タイトに締まり底の薄い田植え靴を通じて、きめ細かな泥の感触が足の裏に伝わってきます。ズブブブと音を立てて足が柔らかい泥に沈んでいきます。
田んぼの表面の20〜30センチは「肥土(こえつち)」といい、非常にきめ細かく柔らかい栄養豊富な地層になっています。米作りの命といってもよいこの土は、一朝一夕に作られるものではなく、長年の米作りに対する努力の結果とも言えるものです。
私はこの命の土の上で足を抜いたり入れたりしながら、手にしたくわで田植え機の通った道を均していきます。足早にアスファルト舗装された道を歩く普段の生活の180度変化した感覚を味わいます。
「200年前の日本人は土の上しか歩いていなかったんだ」そんなことが浮かんできます。石畳が敷かれた神社の境内などわずかな場所を除き、昔は土の道しかありませんでした。人口の90%を占めていた農民たちは、今の私のように泥の中で作業をし、土の上で畑を耕し、土間で作業をし、土の道を歩いていました。
昔の人にとって足裏の感覚はほとんどの場合土の感覚であり、長い人間の歴史を考えると、今の私たちの方が例外的な感覚を味わっているのだと思わされます。
それら土の感覚の中でこの水田のそれは、最も粘着質で優しいく、体の一部というか私の足と水田とが一つにつながっているような錯覚を覚えます。実際に私の体の多くの部分はこの泥から作り出された米からできています。
一通り田植え機が通り、最後に機械が入ることができない部分を手によって植えていきます。今度は直接私の手がこの土と触れることになります。
足で感じた以上にきめ細かで優しい感覚が伝わってきます。植え付けをやめて泥をつかんでみます。「雲をつかむ」という言葉がありますが、雲よりはしっかりとした質感があります。しかし柔らかで水を含んだ泥は容易に指の間から抜け落ちていきます。
水の冷たさ、土の柔らかさ、優しい泥の匂い、光に映える苗の緑、それらの感覚が混ざり合って泥に入った私の体を通っていきます。父母は畦に座りそんな私を眺めています。近くの田んぼで農作業を終えた幼馴染のお父さんとお母さんがやってきて、私に声をかけます。
この気持ちよさは何なのでしょうか。踏み締める足元の細かな土と同様に、心のきめも細分化されているような気持ちになります。
米作りは、単に生きていくための食糧を生産する以上の価値を持っていることがよくわかります。それは長い時間をかけて私たちの身体感覚や心の動きと深く結びついているのもだと感じます。
この足元の細かなニュル感、命を育むこの感覚とそれを取り囲む世界を感じ続けたいと思う一日でした。
