せめて好きなものだけは
こんにちは、大和イタチです。
今日は早朝から電車に乗っています。
人気のない電車の中には、普段と違う音が溢れています。
そんな気がします。
気がするだけで、いつもはまともに音を聴いていません。
大抵はイヤホンで英語ニュースを聞いているか、音を意識せずに読書をしています。
私だけではなく、普通、誰もが電車の中で周りの音なんか聞こうとしません。むしろ遮断することに力を注いでいます。
電車の中だけではありません。道を歩く時も、仕事で休憩する時も、イヤホンを耳から離しません。車を運転するときも、カーオーディオはつけっぱなしです。お店で支払いをする時も、片耳にイヤホンをはめたままです。
こんなことではだめだと思います。
全ての状況でだめだとは思いませんが、時々は身の回りの音をそのまま聞き分ける力をつけないと。音で周りの世界とつながっていないと。
せめて好きな電車の音は楽しめる感性は維持していたい。
そう思って今日は耳を澄ましてみました。
阪神8000系、新幹線N700系、885系かもめに乗りました。
モーター音
モーター音は電車音の主役。タモリ倶楽部で、京急電車の床に耳をつけて興奮する岸田繁。それにつられて同じ行動をとる一同。同じ番組の別の回、市川紗椰は言った。「モーター音を聞きながら死にたい」
電車で耳を澄ませば、まず入ってくる音。電車の音と言えばモーター音。YouTubeを検索すれば、その音に魅了された人々の記録が溢れています。スマホやPCがあればモーター音を楽しめる時代ですが、やはり本物を聴きながら、電車と一体になりたい。
阪神8000系
始動時の「キューゥゥゥッ」。スピードが増すにつれて被ってくる低音「ウウウー」。やがて「キューゥゥゥッ」と「ウウウー」比率が逆転。スピードは最高速へ。減速時に「キュュュュューウウウン」という第三の音。
N700系
駅間の長い新幹線は単調なモーター音が続く。防音設備がよいため、一般の電車と異なる音に聞こえる。力強いウウウウウウの中に高音のフィィィィーが混ざっている。
かもめ885系
VVVFインバーターの「ヒー」と「キュイー」が混ざった音で始動。徐々にメインの「ウウウウウ」となるが、交流電化の力強さ、ウの中にブが混ざった感じのモーター音。
文字で音程を表すことができない。カタカナによる、見慣れない表現のかたまり。正気の人間の書いた文章に見えない。こうやって記すと、心地良さを感じながら味わうモーター音も、訳の分からない滑稽なものとして伝わってしまう。誰もが毎日のように聞いているが、誰も意識することない音、モーター音。車種、乗る車両、乗車位置によってその姿を変えるモーター音。無機質な電車を生き物のように感じさせるモーター音。その機微を感じられるようになれば、上のキュイーやキュゥゥーにも共感することができると思う。生命の息吹として感じることができると思う。
する必要はないけれど。
コンプレッサー音
モーター音と並ぶもう一人の電車音の主役。モーター音の相棒として電車音の主旋律を形作るコンプレッサー音。人によってはこちらの方が電車を擬人化する音になるかもしれない。トムとジェーリーはどちらが主役なのかわからない。二人で1つ。モーターとコンプレッサーもそんな感じ。
モーター音は、どの時代のモーターにもそれぞれの趣あり。昔の吊り掛け式の床を震わす古い音から、かん高い新しいインバーター音まで。しかし、このコンプレッサー音、古い時代のものほど味わいが深い傾向あり。
一言で言うと、新しいコンプレッサーは効率が良すぎる。空気を圧縮する音の間隔が短すぎて、感情移入できない。人の持つリズムには無い感覚。
ブブブブブブブが速すぎてブーーーーンになってしまう。1つ1つを識別できない。
その点古いモデル(113系など国鉄時代の車両)は、人間味のある音を奏でる。ズクズクズクズク・・・・・・・。空気溜めの圧が上がり、スイッチが切れる時のプスㇷ゚シ・シッ・シッ・シッ。短距離を全力疾走してゴールの後、息を整える感じ。人の持つリズムに思わず感情移入してしまう。列車を制御するために、一生懸命空気を溜めてくれている。
モーターが心臓なら、コンプレッサーは肺。
長崎の路面電車に乗った。古い車両、床が板張りのやつ。そのコンプレッサー音たるや、聴いていて心が熱くなってくる。トゥクトゥクトゥクトゥク・・・
113系が若者なら、おじいちゃんおばあちゃんのリズム。圧縮音と同時に回転するベルトの音も、木の床を通して聞こえてくる。
定年をとうに過ぎたのに、まだ頑張って働こうとしている。畑仕事をしたり、日雇いで警備員をしたり。今まで家族のためにもう充分働いてきたのに、まだ頑張ろうとしている。人の役に立つことをしようとしている。体が動かなくなる日は、それほど遠くはないだろう。でも今は、昔のやり方だけど、この小さな電車を止めるだけの空気は圧縮することができる。
たかが電車の音を聞いて、今はもういない祖父母を思い出す。人間の感情な摩訶不思議なり。
たまには、耳をすまして、無機物の中にある生命の息吹を感じるのもいいだろう。