突然食べたくなった
モヤモヤMAXがやってきてから2週間が経過した。安定しているとは言い難いが、何とか毎日を過ごしている。休みの日も「~しなければ」と「~するべきだ」をなるべく考えないようにしながらすごしてる。
とはいっても長い時間かけて浸み込んだ心と体の癖、休みになったら有意義な事=一見自分や家族のためになることをしようとしてしまう。
この日もいつもより早く起床し、英語を聴きながらシャツにアイロンをあてる。私以外はみんなまだ眠っている。リビングでNHK WORLDの英語番組を半分見ながら5日分のシャツの皺を伸ばしていく。
番組が終わるころ妻が起きてくる。朝食を取り、新聞を読みながら今日の過ごし方を考える。緊急事態宣言が解除されたばかりで、まだサウナに行くには早すぎる感がする。
ボーッと考えていると、いつの間にかコーヒーを片手に英語の勉強を始めていた。長年の習慣とは恐ろしい。でも、特に嫌な気分もしないからこれが私のやりたいことなのか。自分が何を求めているのかわからなくなる。
惰性とか義務感という言葉で表すと消極的すぎるが、かといって心躍り目を輝かして行っているわけでもないNHKの語学講座。それなりに楽しく、でも集中しきれない時間が過ぎていく。
突然、頭の中に巻き寿司のイメージが浮かんだ。同時に甘くて香ばしい卵焼きの味もやってきた。唾液が湧き上がってくる。
私はラジオのスイッチを切り、テキストを閉じた。ジャージを脱いでジーンズを履き、Tシャツの上にライダースジャケットを羽織る。10年ほど昔、ダイソーで買った兵庫県の1枚モノの地図をバッグに入れバイクにまたがった。目指すは「マイスター八千代」。そこの太巻き寿司がどうしても食べたい。
何でも楽しもう
はやる気持ちとは裏腹に、今日はやたらと赤信号で止まる。バイクに乗る時は一刻も早く街を抜け出して田舎を走りたくなる。
田園地帯の中の県道を気持ちよく走る。代掻きが終わり田植えが間近な田んぼが多い。自然を作り替えた姿のはずなのになぜか心が癒される。お百姓さんがトラクターを操作している。生きる糧を作り出すために。私はバイクを操作してわざわざ遠くまで太巻きを買いに行く。なんだか悪いことをしている気持ちになる。
青空の下鼻歌交じりにバイクを走らせる。なんて気持ちいいんだ。耳に入るのはエンジンとシールドに当たる風の音。そして頭蓋骨を伝わって感じる自分の鼻歌。暑くも寒くもなく快適な播磨路を北へ向かい「マイスター八千代」を目指す。
1時間半ほど走り目にしたものは下の看板だった。
何も考えないで家を飛び出した。「マイスター八千代」とスマホで検索する手間を惜しまなければ、こんな看板を見ることはなかった。駐車場には私と同じような運命のライダーがもう1人。店舗から道を挟んだ作業場に米袋が見える。「あの袋の中身が1週間ほどで美味しい太巻きになるのか」と思った。
バイクを走らせながらずっと太巻きのことを考えていたが気持ちを切り替える。「楽しみが少し先に延びた」そう考えればいい。私はバイクをさらに北へと向けた。
多可町へ抜ける途中、田植えが終わったばかりの田んぼの美しさに思わずバイクを止める。山間の狭隘な平地。そこ一杯に水をたたえた田が広がっている。周りに民家はほとんどない。人の姿も見られない。
いつ頃この田が開かれ、どれくらいの間稲作が行われ、これから先何年間水田であり続けるのだろうか。鏡のように光を反射する水面。空と山の稜線と水田の平面。なんとも言えない良い構図。巻きずしを逃したからこの景色を見ることができた。なんでも楽しもう。
播州100日どり
私の息子たちは鶏肉が好きだ。ここまで来たからには美味しい鶏肉を買って帰ろうと考えた。彼らにとっては巻き寿司よりも良い土産になるだろう。
多可町に入りAコープを目指す。通常、市場を通じて飲食店に卸される「播州100日どり」を店舗で買うことができるのはここのAコープだけだと聞いた。以前訪問した記憶を頼りに店を探す。スマホのGPSを使って道を探すのは性に合わない。五感を研ぎ澄ます。
行く手左側の看板に巨大な鶏がとまっている。その奥には「播州100日どり」と書かれた焼き鳥直売所が見える。間違いない。
早速バイクを止めて店内へ入る。一番奥の肉売り場の一角に「百日どり」のコーナーがある。
時刻は昼過ぎ、小さな売り場に10パックほどの百日どりが並んでいる。周りには他県産の鶏肉が積まれていた。値段も1.5倍くらい違う。気合を入れた看板ではあるが、店舗での需要はそれほどないのかもしれない。唐揚げ用の「むね」と「もも」、煮つけ用の「レバー」を買って、氷と一緒にビニールで包んでサイドバックへ入れる。
「百日どり」、その意味は文字通り、肉になる前に100日間育てられるということらしい。他のブロイラーと比較するとかなり長生きだという。
「100日間が長生きか…」思わず考えてしまう。今私が手にしている鳥は横浜でプリンセス号の船内感染がニュースになっていたころふ化したものだ。子供の小遣いでもフライドチキンが食べられるのには理由がある。今は考えないでおこう。すべてに感謝する。
20年早く生まれたかったと思う時
多可から西脇へ向かう途中、ヘルメットのシールド越しに何かをスキャンした。私の好きな乗り物はバイクと鉄道。歴史は鉄道の方がはるかに長い。ベテランの猟師が草木のわずかな変化からけもの道を探り当てるように、私も地形や街の雰囲気から鉄道の存在を探り当てる。
築堤っぽい地面の盛り上がり、それに沿って並ぶ木々。「何かある!」私は国道から外れ、匂いのする方へ近づいていく。
やはりそうだ。「鍛冶屋」という地名を表す標識がある。夢中で時刻表を読んでいた小学生のころの記憶にある「鍛冶屋線」。起点から1駅間の列車本数が異常に多く「どうしてなんだろう」と思っていたこの路線の終着駅近くに私は立っている。
列車はもう30年以上走っていない。終着駅は一両の車両と共に保存されている。駅舎正面から目を細めて改札口を見る。緑色のキハ30が見える。エンジン音を想像してみる。
いろいろと構図を変えながら駅舎とキハ30を眺めてみる。まだ廃線になっていなく、現役で活躍している姿を見ようとする。
三木線、北条線、そしてこの鍛冶屋線。かつて加古川線からは3本の支線が伸びていた。兵庫県最大の河川である加古川とその支流に沿い、船に変わる物流手段として大正から昭和にかけて活躍した。
鍛冶屋駅跡に立つと「こんな田舎にまで鉄道が通じていたのか」と感動してしまう。今から考えると小学生時代に読んでいた時刻表の路線図は夢のようである。「あと20年早く生まれていたら鉄道の黄金時代を味わえていたのに…」と思わずにはいられない。
バイクをなるべく廃線跡に沿って走らす。鼻歌はいつの間にかキハ30のエンジン音に変わっている。真下のバイクのエンジンを感じながらも、ついに乗ることのなかった鍛冶屋線のディーゼルカーへと思いを馳せる。一目で廃線跡と分かる鉄橋、そしてその先に延びる鉄道特有のなだらかなカーブ。鳥肌が立つぐらい美しい曲線。思わず鉄萌えしてしまう。
西脇市内へと入り中心部へと近づいていく。この周辺では大きな街だ。それだけに鍛冶屋線が廃止になった時、野村(現在の西脇市駅)・西脇間だけでも残せなかったのかと悔しさを感じる。
「街に鉄道があるということがどうしてこんなに心を落ち着かせてくれるのだろう」とバイクに乗りながら考える。実際に今まで鉄道が身近にある場所にしか住んでこなかったし、他の街を訪問して一番最初にすることは駅を探すことだ。鉄道の無い場所はいまいち行く気にならない。
今日は一日ダラダラと過ごしてみた。目的だったマイスター八千代の巻き寿司は食べられなかったが、そのおかげで100日鶏と鍛冶屋線跡に出会うことができた。しばらくは自分に正直な休日を過ごしながらリハビリを続けていきたい。「するべきこと」はそのあとその気になってから始める。