落とし穴

心のスキが生まれる時

「今日から私と英語との関係が気楽なものになる」そう思ってネットで見た英検の結果、鼻歌交じりの余裕の表情が一瞬で凍り付いた。

スクリーンにはまさかの「不合格」の文字が。

練習を付き合ってくれたオーストラリア人の童君が隣にいる。「普通にスピーチもしたし、受け答えもできたから大丈夫だと思うよ」と伝えていたので、結果を見て彼も信じられないという表情をしている。

童君とはよく話をする。いろいろなことに興味があり、私とは話題が重なるので、30分でも1時間でも英語で会話を続けることができる。

1次試験に合格して、半分気が抜けて「英語学習をしなければ」という縛りからもうすぐ抜け出すことができる、そんな気分になっていた。「2次試験は面接だから、適当に会話を続ければいけるだろう。」

正直、面接をナメていた。問題集の解答例に5つほど目を通し「こんな教科書的な堅苦しい解答は不自然だな。自分の頭に浮かんだことを正直に言おう」そんな風に考えていた。

小学校の遠足の時「解散して家に帰るまでが遠足」とよく言われた。「人間、気を抜いた時が一番しくじりやすい」ということを、中年になった今でも理解していなかった。

結果の各項目を見ると、文法・発音の項目が高く、スピーチ・応答の部分が合格点に達していない。悲しいのは、試験を受けた時の私の感触がそれとは正反対だったということ。つまり、自分の意見を述べて、質問に対しても的確に答えたと思っていたこと。

実際は、そこそこできる英語を使い不明確なスピーチを行い、的外れな解答を行っていたということ。なんてカッコ悪い!

問題集を手に取る

妻がメルカリを始めた。家の中の不要なものを次から次へと出品している。私の本もその中に含まれる。BOOK OFFへ売るよりよい値がつく。

英検1級の問題集も合格通知が来たら即行で妻に出品してもらうつもりでいた。状態をよくするために、丁寧に扱った。下線を引いたり折り曲げたりすることもしなかった。その私のスケベ心に対する報いがやってきた。

「問題集は使い込み、自分の血肉としてぼろぼろにするもの」その本来の目的と、メルカリでの転売という些細なこととを天秤にかけてしまった自分の小ささが情けない。

改めてスピーチの模範解答を30本音読してみる。確かに共通項がある。理由を述べるセンテンスに対して、2~3のサポートセンテンス。自分がトピックについてよく知っているわけではない場合の言い回し。そして、各スピーチ例の後ろにある日本語による解説。勉強になる。私は読んでもいなかった。

もう一つ言うと、問題集には無料の動画がついていた。面接の入場から退室まで、実際と同じ長さの動画だ。それを見て私は決定的な自分の間違いに気が付いた。それは、質疑応答時の受け答えの長さだ。映像の中の受験者はガッツリとしつこいぐらいに自分の意見を展開している。私は「あまり長すぎる発言は独りよがりでよくない」勝手にそう思った。

これは英語の試験なんだ。主張してなんぼの言語。

「英語の呪縛から解放されて、9月からは日商簿記3級の勉強を始めよう」そんな私の計画は、呪縛から解放されない形で進んでいる。

つまり英語と簿記、両方行っている。日商簿記は11月15日が試験日、そう、もろに英検の大阪会場での2次試験と重なってしまう。従って、2次試験の希望地を「京都」にして11月8日に受験することにした。こういう時、関西に住んでいると便利だ。

人生思い通りにいかない。これを嘆くのか、または面白いと思うのか。間違いなくブログを書く前の私は前者だった。しかし、今「あと2ヶ月英語と簿記を楽しもう」そう思っている私がいる。

結果がどうであれ、大したことではない。私は所ジョージの言葉を思い出した。

「ガッカリも、度を過ぎると面白い」

まだまだ私のガッカリは度を越えていない。満点を取るつもりで次回の面接の勉強をして、もう一度不合格になってみようか。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。