街の銭湯

瓢箪から駒

10都道府県に緊急事態宣言が出て2か月が過ぎようとしています。私の住む兵庫県もその中に含まれており、私自身も一県民として、この禍の早期終息を願いながら毎日を過ごしています。

元来旅が好きな人間なのですが、昨年12月から県境をまたいでおりません。

居酒屋に行くのも好きなのですが、これも最後に行ったのがいつだったのか思い出せないぐらいです。

そして、私の生活の一部になったサウナに関しても自制する日々が続いています。

サウナに関しては、私は主にスーパー銭湯を利用していました。交通至便の地に住んでいるため、電車やバイクですぐの場所にいくつものそういった施設があります。

飼い犬が散歩に連れて行ってもらうことで体調を整えるように、私も週に1度か2度、これらのスーパー銭湯のサウナをゆっくり利用することで、体と心の疲れを癒してきました。

これらの施設で入浴料が1000円を超えるところはありません。そんな低価格でゆっくりサウナに入り、大きな湯船につかり、広い休憩室でくつろぐことができるなんて、私はこの国に生まれたことを感謝したくなるほどです。

私はいくつかの施設の回数券を買い、それらへ通いつつも、新たな施設を開拓することを楽しみに、この数年間休日を過ごしてきました。

それがこの緊急事態宣言で様子が変わりました。特にスーパー銭湯の利用が制限されているわけではありません。しかし、それは広大な駐車場を有し幅広い地域から多くの人を集める施設です。給与水準が伸びない今、多くのおじさんにとって、安く楽しめる娯楽施設でもあります。どの施設も、休日は常に混んでいて、サ室が満員で入れないこともあります。

妻の意見もあり、私は緊急事態宣言発令以降、サウナに行くことを中止しました。良識ある大人としての判断でした。

しかしながら、時が経つにつれて、私は「散歩に連れて行ってもらえない犬」状態に陥りました。何をやってもサウナのことが頭から離れません。禁煙を始めて数週間、タバコのことが頭から離れないあの感じに似ています。

私は妥協案として、人の少ない時間帯に銭湯のサウナを利用することにしました。大きな施設ではなく、昔からある公衆浴場、いわゆる街の銭湯です。

この辺りのいきさつは少し前の記事に書きました。

街の銭湯のサウナに行き始め約1か月、私は今、これがスーパー銭湯に対する「妥協案」ではなく「瓢箪から駒」であったと思うほど豊かな気分で楽しんでいます。

コスパが悪い?

街の銭湯が、その数を減らしていることには気が付いていました。失われていくものに対して人並み以上に哀愁の念を感じやすい私ですが、街の銭湯に対しては今まで足が向かいませんでした。

その一つの理由はコストパフォーマンスです。公衆浴場の入浴料は自治体によってきめられています。現在兵庫県では450円です。これにサウナ料金を足すと600円前後になります。

一方でスーパー銭湯は休日料金で800円ほど、回数券を買えばさらに割安です。

広々とした浴室、食堂やマッサージを併設し、場所によっては湯上りのマンガも読み放題のスーパー銭湯と、こじんまりとして入浴以外それほどすることのない街の銭湯入浴料を比べると、明らかに後者は分が悪くなります。つまりコスパがよくないのです。

しかし、この1ヶ月、いくつかの街の銭湯に通う中で、私は自分のコスパの計算の仕方が間違っていたことに気が付きました。

私は、施設の利用、つまり風呂とサウナに入るという観点で2つの施設を比べていました。コストとは同じ条件で複数のものを比較した時に現れる概念です。

確かに「施設利用」に限って2種類の風呂を比較するとコスパの面ではスーパー銭湯に軍配が上がります。しかし、街の銭湯に行き始めて、比べるべきは「そこで過ごす時間」ということに気が付きました。そして、それを比較した時、街の銭湯もスーパー銭湯に負けず劣らずコスパがよいのです。

新長田の下町

温かい気持ち

今から30年ぐらい前、長田の友達の家に泊まりに行ったことがありました。新長田の駅から南へ下った細い路地が縦横に走る一画、その路の一本に面した家でした。

夕食をいただいた後、その友人は当然のように「風呂行こか」と、持ち手のついた四角いプラスチック製のカゴを手に外へ出ます。「今日はどこ行こか?」といいながら街をぶらぶら歩き、一件の銭湯へ入ります。

私たちはこの風呂に来るまでに2~3件の銭湯を通過しました。街には、私たちのようにカゴを手にした人があちこちにいます。

一緒に風呂に入っていると、友人の知り合いに次々と会います。同年代から大人まで、まるで一つの大きな家に住んでる人たちが、共同のお風呂に入っている感じです。

「こんな世界もあるんだ」私は思いました。

当時そのあたりで家に湯船があるのは珍しく、あちこちにある銭湯は文字通り「地域全体を大きなお家とした、大きなお風呂」として機能していました。大震災がこの地域を襲う前の話です。

新長田「萬歳湯」

今回、街の銭湯に行こうと思った時、真っ先に浮かんだのはこの地域でした。震災とその復興で街の景色はかなり変わりましたが、ネットで検索すると、まだ多くの銭湯が残っています。

30年前に友人と行った場所は思い出せませんが、私はこの新長田駅南側を中心に、毎週街の銭湯に通うようになりました。ちょうど通勤定期がこの地域をカバーしているため、余計な出費もかかりません。

休日、密を避けるために、昼過ぎの空いた時間帯を目指して銭湯に向かいます。自販機で入浴券を買い、番台に下足場のカギと共に差し出すと代わりにサウナ用タオルとサウナ室を開けるプラスチック製のカギを渡されます。

更衣室、洗い場、サ室、確かにスーパー銭湯と比較するとかなり狭いです。シャンプーやボディーソープなども自前で用意しなくてはなりません。

だからみんな思い思いのアメニティーの入った「マイプラスチックカゴ」持参で浴室に入ってきます。使い切り用の小さなボトルしか持っていない私は一目でアウェイとわかります。

昼下がりの浴室、密ではないもののパラパラと人が入ってきます。そしてお互いに声をかけます。30年前にこの地で体験した、あの懐かしい記憶がよみがえります。

洗い場の椅子に座っていると、隣のオヤジが洗面器から水を手ですくい、そのまま腕を伸ばして、浴槽につかっている老人の禿げ頭にタラタラとかけます。

非常識な行動に「何してんの!」と一瞬思いますが、隣のオヤジは私と目を合わしてニヤッと笑います。頭に水をかけられた老人は、かけたオヤジの方をゆっくりと向き「なんや、今日は遅いな」。

二人は知り合いなんです。60歳ぐらいのオヤジが、ひと回り以上年上の老人にいたずらをして、茶目っ気たっぷりに見知らぬ私に笑いかけているのです。

後で、このオヤジが足の悪い老人を支えて浴室を出て、バスタオルで背中を拭いてあげている光景を見ました。

浴室のあちらこちらで挨拶が交わされます。それどころか、壁を隔てて上空でつながった女風呂からも、エコーのかかった陽気な話声が聞こえてきます。

風呂から上がった後、私は何とも言えない温かい気持ちになっていました。文字通り「身も心も温まる」というやつです。これはスーパー銭湯では体験できない心持です。

施設利用だけを考えるとコスパが合わない街の銭湯も、この場所で過ごす時間の質を考えれば十分お得です。というか「損得やコスパで物事を判断してたら人生おもろくないで」ということを教えてくれる場所です。

緊急事態宣言のおかげで、自分の枠、ものの見方がまた一つ変わりました。私の人生には、今まで気が付いていない滋味がまだまだありそうです。

新長田「菊水温泉」


投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。