電気
ジャケパンスタイルが好きな私は普段スーツを着ることがない。この日は雰囲気的にネクタイ着用なので、一張羅のスーツを身に纏って教室に立つ。目の前の生徒たちは緊張の趣で私に視線を送る。見慣れた生徒たちより少し幼い。目の前にいるのは中学3年生だ。
手元の資料に書かれた説明事項を読み上げて、放送が始まるのを待つ。沈黙が続く。「放送設備が壊れていたらどうしよう」「今、停電になったらどうなるのだろう」必要のない心配をするのは私に長年染みついたサガである。
しばらくしてスピーカーからアナウンスが流れてきた。緊張が少し解ける。
試験監督を行う間、正直に言うと退屈である。不正をしていいないか、調子の悪い子はいないか、立ったまま注意を払い続ける。脳の容量はまだ空いている。だから別のことを考え始める。
「電気が消えない」
この日はこんなことが頭に浮かんできた。
試験中に電気が消えて教室が薄暗くなり、放送が止まる、そんなことを経験したことがない。
試験中だけではない。
職場でも家庭でも街の中でも、どこであっても、普段の生活の中で電気の流れが止まることはほぼない。たまに、電車が止まることがある。その理由の中に電気系統のトラブルがあることもある。
しかし、それが耐えられないほど不便なのかといえばそうではない。しばらくすれば電車も何事もなかったかのように動き出す。
「電気が止まって冷蔵庫の中身が腐ったらどうしよう」
そのような心配をしながら冷蔵庫を使う人はいない。冷蔵庫はいつも通電していて、コンブレッサーの働きで庫内を十分冷やしてくれる。そのことを前提に暮らしの計画を立てても差し支えはない。
ライフライン
私の実家ではプロパンガスを使っていた。だから子供の頃、都市ガスのイメージがよくわからなかった。「可燃性のガスが通る管を街中に張り巡らして大丈夫なのか?」そんなふうに思っていた。
プロパンボンベからコンロの間ではガス管の長さが短いので安全な気がした。街全体を網の目のようにガスが通っているなんで危険極まりないと感じていた。
実際にガス漏れは起こる。しかし、何重にも考えられた安全装置のおかげで、私たちはガス爆発に怯えながら生活をする必要はない。
昨日も今日もガスは止まることなく、当たり前のように私たちの生活の中に入り込んでいる。初めて都市ガスのファンヒーターを使った時、その便利さと暖かさに感動した。
電気とガスと来れば、次は水だ。
六甲山と海の間の長細く狭い土地にビルが建ち並ぶのは、神戸の典型的な景色である。都市の成り立ちを考えると、これはかなり不自然な景色である。集水域が狭すぎて、人口に対して十分な水を供給できなからだ。
それを可能にしたのは近代以降の土木技術である。この都市の消費する水は、六甲山の裏手や遠くは琵琶湖から運ばれてくる。
そんなことはつゆ知らず、私たちは毎日当たり前のように水を使い続ける。テレビのおふざけでケーキをぶつけ合う時は「もったいない」と思うが、飲むことができる水で風呂を沸かし排泄物を流す時、私たちは何も感じない。
水の流れも止まることがあるが、大抵はすぐに元に戻る。復旧が長引けば、飲む分だけは給水車で運んできてくれる。水が飲めなくて死ぬことは、この国ではまずない。
豊かさと不安
私は未だに携帯電話で話ができることが不思議で仕方がない。膨大な数の端末が同時に出す微弱な電波を、どのように追跡して感知して相手の端末とつなげているのだろう。
電話であってもうまくイメージできない。ましてやネットのこととなると、有線でつながっていても地球の裏側のサーバーの情報がどうして次々取り出せるのかわからない。
イメージできるのは、私たちは今まで持たなかった電波の海のような場所に浮かんでいると言うことである。このネット環境も古典的ライフラインと同様に、いつでもどこでも途切れることがなく当たり前の存在になった。
ありとあらゆるものが、電気のように当たり前に流れている。手の届く範囲に存在する。
食べ物がなくなったら、近くのスーパーに行けばよい。
生活用品がなくなれば、ホームセンターに行けばよい。
何か不足を感じれば、それを解消するものを見つけて手に入れればよい。そしてそのことはこの国ではそれほど難しいことではない。
エネルギー、モノ、サービス、あらゆるものが当たり前のように流れている。その流れが止まることがあっても、それは一時的なものであり、流れはすぐに元に戻る。
私たちは本当に豊かで便利な国に住んでいると思う。
なのに私が今感じるこの不安な気持ちはなんなのだろうか。全てがうまく流れているのだから、今だけに集中して人生を楽しめばよい。そのことはわかっていても「将来」を考えて、不安を感じては別のことを考えようとする。
私にとって「将来」とはいつのことなのだろうか。
電気や水やガスを確保する必要はない。
食べ物を買い溜めておく必要もない。
立派な家や車のために働く必要もない。
子供達も、学費以外で手がかかることはない。
病気になれば保険があるし、仕事がなくなれば探せばいい。
私にとって「将来」とは「今」のことだ。
試験監督をしながら、そんなことを考えた。