諸条件

長月

9月に入ると、私は実家に頻繁に電話するようになります。稲刈りの日程を決めるためです。稲刈りを行うためにはいくつか条件があります。

まず、当然のことですが穂が十分に実っていなくてはなりません。稲穂の中身こそがお米であるからです。そして次に稲刈りの直前、または当日に雨が降ってはいけません。コンバインで刈り取る場合、ぬかるみに機械が足元を取られたり、機械内部が濡れて籾と茎をうまく分離できなかったりするからです。

コンバインとは稲刈り用の機械で、刈り取った稲を籾とそれ以外とに分けて、籾は収穫用の大きな袋に、それ以外は切り刻んで田んぼに撒いてくれる大変便利なものです。

かつて私の実家では、コンバインとは異なる一条ずつ刈り取る機械を使い稲を刈り取っていました。刈られた稲束は自動的に紐で括られて機械の脇に放られます。私たちはその稲束を一輪車を使って集めて稲木のところまで持っていきます。

稲木とは刈り取られた稲束を乾燥させるためにしばらく掛けておくためのもので、物干し竿をひたすら長く太くしたような形をしています。

稲木に掛けられた稲は天日と風によって乾かされ、だいたい2週間後に機械によって脱穀されます。脱穀された籾は袋へ詰められて、その袋を地域の共同作業所にある機械で籾ずりします。こうして玄米が手に入ります。

話がそれましたが、この稲刈り機で稲を刈り乾燥・脱穀・籾ずりまでの2週間ちょっとの作業を、コンバインだと約24時間で終えることができます。

コンバインから大きな収穫袋に移された稲は、そのまま軽トラックで乾燥機のある場所に運ばれて、そこで熱風乾燥と籾ずりをされ、翌日袋詰めされた玄米となって施設から運び出されます。

もう一度話を整理します。

私の実家では現在コンバインを使って稲刈りをしています。したがってうまくいけば、稲刈りから玄米を手にするまでは約24時間ですみます。

ですから稲刈りをする条件としては、第一に穂が実っていること、第二に直前または当日に雨が降らないことの二つになりそうですが、そうは簡単にいきません。

さらなる条件

先ほどあげた、二つの条件をクリアする稲刈りは、稲を刈るコンバインと籾を乾燥させる乾燥機をいつでも自由に使えるケースでのみ可能であります。

コンバインの価格は普通の大きさで五百万、大きなものだと二千万円を超えます。米乾燥機は百万円からが相場になります。

両親と私の家族、それに周りの親しい人々が食べられる程度のお米しか栽培していない私たちにとって、そのような機械が買えるわけありません。だから私たちは、誰かにコンバインで稲を刈ってもらい、どこかの乾燥施設を借りてそれを乾燥させなければなりません。

しかし、成人式に着物のレンタルが集中して品不足になるのと同様に、私の実家の周辺でも9月は稲刈りが集中します。ですから、いつでも好きな時にコンバインと乾燥施設を予約するというわけにはいかないのです。

しかも、ようやくその二つをアレンジできたとしても、最初にあげた二番目の条件である雨が降ればまた一からやり直しになるのです。

さらにさらに父が足腰を悪くしてからはもう一つの条件がつきました。それは、私が稲刈りの次の日に帰省できるかどうかということです。

乾燥・籾ずりした玄米を、30キロずつ袋詰めして、それを軽トラに積み込み、家に持って帰り車庫に併設した米置き場に収納します。さらに、両親がお米を売ることを約束している家へその一部を配達するのです。

今の父親にとって30キロの米袋を持つことは重労働です。1〜2回は持ち上げれるかもしれませんが、この日はトータルで100回以上30キロを抱えることになります。だから私の出番が来るのです。

ただ、私は実家から離れた神戸に住んでいます。しかも、授業を持っているため気軽にお休みを取ることができません。私が9月の空いている土日を父親に伝え、それに合わせて父親がコンバインと乾燥機を手配します。

うまくいかない

ここ数年間はビシッと1回で決まっていた稲刈りが、今年は難航しました。

最初に設定した日、空は晴れましたがお願いしていたコンバインが直前に不調になりました。「ダメなら別のコンバインを持ってくればよいのでは」と思われるかもしれませんが、田舎にはトヨタレンタカーのような施設があるわけではありません。父親がツテを通じてお願いした個人所有のコンバインです。

第2に設定していた日には雨にやられてしまいました。コンバインの持ち主から「今日は無理」と連絡があり、父親が乾燥施設にキャンセルの連絡を入れます。乾燥施設は「機械を開けて待っているからなんとかもう一度コンバインと交渉してほしい」と言ってきましたが、やはり無理でした。

この辺りから私も焦り始めます。平日で午後から帰れそうな日を伝えます。

第3の設定日はその日になりました。私は午前の授業を終わらせたその足で実家に急行する手筈を整えました。しかし、無情にも「今日も刈れなかった」という連絡が父から入りました。前日に降った雨の影響でコンバインが入れなかったというのです。

父も私も焦ってきました。強風と大雨がくれば、稲が倒れて水に浸かり今年の収穫がなくなります。私は次の土日の予定は全てキャンセルして連絡を待ちました。数時間ごとにネットで天気予報を見ては「雨風くるな」と祈りました。

一番大切な

幸いなことに先週土曜、4度目にしてようやく稲刈りを終えることができました。私は日曜に帰省して乾燥施設と実家を軽トラで往復し、米袋による筋トレを行いました。しかも、今年は例年と比べかなりの豊作で、私の筋肉痛も二割り増しでした。

紆余曲折ありましたが、私の周りの人々は無農薬のお米を来年一年間食べていけます。それにしても、今年の稲刈りはいろいろと考えさせられる経験でした。

私はこれからも親と米作りを続けていきたいと思っています。妻も手伝いたいと言っています。親が元気なうちはよいですが、そうではなくなった時、今回のような事態に地域とのつながりが薄い私が父親のように全てをうまくアレンジできるのか不安になります。

父と一緒に米作りをしていると、田舎における人のつながりがいかに大切かを思い知らされます。お金とか契約といった問題以上に、普段からコミュニケーションをとり、共同で作業をし、時には作った野菜や海で釣ってきた魚をおすそ分けすることの大切さです。

そういう下地があるからこそ、今回のようにイレギュラーなことが続いた時に、嫌な顔されることなくことがうまくいくのです。

田舎のそういう相互扶助の関係、それを持っていることが一番大切な条件であると思いました。ただ、そのためには私は米作りを続ける中でこの地域にもっと馴染んでいく必要があります。

18歳で家を出て以来、私にとってこの場所は「帰省する場所」であっても「腰を落ち着けてつながりを作る場所」ではありません。

しかし、この地に田があることを幸いとして米作りを続け、2年半後に仕事を辞めて神戸との二拠点生活を始めれば、私も多少の無理が効くような関係をここに作れると信じています。

今回、乾燥施設で35年ぶりに友人と再会しました。軽トラの荷台に腰掛けていたら昔のあだ名で私を呼ぶ声がしました。「えっ?」と思ってみるとつなぎを着た懐かしい顔がありました。

彼は中学の同級生で、卒業後は農業高校を経て農協で働き、今は早期退職して農業をしています。その彼が米の乾燥施設を手伝いに来ていたのです。

あまりに久しぶりのことでどこから話していいのかわかりませんでしたが、私たちはしばらく会話をして「1年後にまた会おう」と言って別れました。

彼のような農業のプロと再会できたことも、大切な条件作りを後押ししてくれていると感じました。大変でしたが実りのある稲刈りでした。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。