身に沁みます

去年の6月に心の調整をしようと思い、ブログを書き始めました。

私が持っているもの、私に足りないもの、持っているけど足りないと思っているもの、ないにも関わらずあると思っているもの、文章を書くことでこれらを明らかにして自分の心の棚卸しをするためです。

ブログを書くのは初めての経験でした。何から始めたらよいのか皆目わかりませんでした。

しかし、現在は便利な世の中です。そんな私の疑問も、ネット検索をすれば、ほんの数分で何人もの先駆者のやり方がわかります。

「ブログ 始め方」「ブログ 人気」などの言葉で検索を繰り返し、多くのブロガーたちの書いた記事を読ませていただきました。

ブログに関する指南の中で、すべての人に共通しているといっていい要素があります。

それは「継続することの重要性」に関してです。

「時間さえ確保すれば3日に1本ぐらいは記事を書けるだろう」と考えていましたが、現在は1週間に1本アップするのがやっとの状態です。

仕事がここ2か月ほど立て込んでいるという要素もあります。また、簿記や英語の検定が迫っていて学習時間との調整ができていないということもあります。

しかし、どんなに忙しくても立ち飲みには行くし、サウナにも行きます。つまり、時間を割きたいことには割いているのです。

昨年、月に7~8本記事を書いていた時は、ブログを書くことの優先順位が高かった。自分の心の中が文章として形となり、公の場所に公開されること、それが新鮮で心地よかった。

しかし、それも慣れてくると記事をかくことが当たり前となり、それはまるで毎月の借金の返済をしているような気分になってきます。そして、月当たりの記事数が減ることは、返済を先送りしているような負債感となって心に現れます。

今、先人たちの言った「継続こそ一番難しくて大切な事」「ほとんどのブログは1年間続かない」といった言葉が身に沁みて理解できます。

おそらく、皆さんも私が今感じているような「更新しない時の負債感」を経験されたことでしょう。そして、その感覚に耐えれなくなった時、適当な言い訳を考えてブログをやめてしまうのでしょう。

今の私にもその言い訳はあります。

以下は考えられる言い訳です。

私は自分の心のモヤモヤの解消を目指してこのブログを始めました。すべてに恵まれている私は今以上の幸福感に包まれて生きることができるはずだ、と思ったからです。書くことで心を調整すれば、私はそこへ達することができると思い今まで記事を書いてきました。

しかし、書くことが当たり前となり、書かないことが心の負い目となるとすれば、私は何のためにこのブログを続けているのか。モヤモヤ解消を目指しながら、新たなモヤモヤを作り出すぐらいなら、いっそブログなんか書かないほうがよいのではないのか。

そうだ、書くことをやめればモヤモヤは解消される…

こんな感じの心の動きを経て、継続できなくなるのだと思います。

本当に続けることって難しいと思います。ブログに限らず、筋トレでも勉強でも、なんでもそうですね。

ブログを書き始める前の私が今ここにいるならば、上のような思考を経て、ブログをやめてしまっていたと思います。

しかし、私はブログを書くことで”成長”した部分もあると思います。

今、記事の更新ペースは落ちています。それに伴う負債感も感じています。しかし、そもそもこのブログは自分に向けて書き始めたものです。ブログとして公開しているのは、内なる自分と対話し読者の存在とツッコミを想像しながら文章を書くためです。

根本は自分に向けての文章なのです。私の心の中を、私のアルターエゴである大和イタチと想像上の読者の力を借りて文章化し、私自身に戻しながら、私のアンテナの幸福感を感じる部分の感度を上げるためのブログなのです。

従って、借金を支払うべき相手は他人ではなく、自分自身なのです。負債は自分の貯金箱からとったお金を、財布にたまった小銭を使って返していく程度のもの、今はそう思えるようになっています。そして、その心境の変化が、私がブログを書き始めて成長した部分かなと思っています。

更新ペースは落ちたとしても、ブログをやめる理由はありません。私とイタチと読者とで、これからも私の心の調節を続けていきます。

みなさん、ありがとうございます。

今月中は無理かもしれませんが、次は「後輩と名古屋でサ活(後編)」を書きます。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。