追い込みながら

残り4週間

私のイタリア語の目標はイタリア語検定2級を取ることです。各級のレベルを見ていた時「4年制大学のイタリア語専門課程卒業程度の学力を標準とする」という表記を見つけたからです。

もし私が2級を独学で取ることができたら、ただで外国語大学を卒業したのと同じになると思いました。私は外国語学部には行きませんでしたが、もう一度大学生になれるのなら次は外大に行きフィンランド語やトルコ語といったそれほどメジャーではない言葉を学んでみたいという気持ちがあります。

もう一度大学に行くのは現実的ではありませんが、そこを卒業するのと同等の学力が持てるというのは魅力的です。私は音声の響きがよく気に入っていたイタリア語の2級取得を目指すことにしました。もう四半世紀も前のことです。

この間に無数の中断と再開を繰り返しながらイタリア語を続けてきましたが、専門課程では4年で身に着くあろう技能を、私は独学でこれほど長い間やり続けてもまだ手に入れてません。

初めて2級を受験したのは2021年のことでした。この時はまったくお手上げの状態でした。リスニングも筆記も基準点以下で、作文は半分程度しか書けませんでした。

翌年2022年はリスニング、筆記共に一次試験の基準点には達しましたが作文が2点足りませんでした。悔しくて私は例文集にある800の文をイタリア語で言えるように練習しました。

そして前回2023年は筆記、作文ともにクリアしましたが、自信のあったリスニングでまさかの失敗をしてしまいました。いつもなら簡単に解ける最初の絵を見て答える4問が全く分からなかったのです。

リスニングの基礎をつくるのは音読にあります。私はイタリア語を繰り返し聞き、声に出しました。「たぶん次はいける」と思っていた去年の初夏にイタリア語検定中止のニュースが入ってきました。

長年の目標が消えてしまいガッカリしましたが、すぐに「体制を立て直して再開する」という知らせを聞きホッとしました。結果的に5か月遅れて2025年3月に再開することになりました。

この文章を書いている時点で検定まで残り4週間です。私はさまざまな思いをかみしめながら追い込みをかけています。

資格を超えて

体を動かすためにはエネルギーが必要です。脳から出た情報伝達物質が神経を経由して各筋肉に届き、エネルギーがそれらが収縮と弛緩させることで私たちは動くことができるのです。

これと同様に心を動かすためにも大きなエネルギーが必要になってきます。心が何かよく説明できませんが、私たちが疲れている時うまく思考できないことを考えると、そこにもエネルギーが使われていることが分かります。

私は時々こう思うことがあります。この心のエネルギーを今までどれだけイタリア語学習に使ってきたのであろうか。また、そのエネルギーを他の何かに振り分けていたら何ができていたのだろうかと。

私たちは一つの人生、道のりしか歩めないわけですから「もしも」と考えてみてもどうしようもありません。すべては私がその場その場で決断し続けてきた結果で成り立っています。

ただ今までの人生を振り返ってみると、私は自分の心のエネルギーのかなりの部分をイタリア語学習に費やしてきました。学習時間の確保に心を配り、中断と再会を繰り返す自分を憎み、習得の遅さにイライラして、忘却の早さに絶望しつつ、たまにある小さなご褒美に心を踊らせてきました。

なんだかこのように書いてみると、イタリア語に振り回され心乱される私はイタリア人とは正反対のような性格をしているようで笑えてきます。私は基本的にペシミストで、気軽に生きたいと思いながらそのやり方を考えすぎて沈んでいるような人間です。

一般的にイメージされるようなイタリア人、未来のことは考えすぎずに家族や友達を大切にして人生を謳歌する、そんなイタリア人に憧れたことも私がこの言葉を学び始めた理由の一つです。それはすなわち「実際にはそうなっていない自分」の裏返しでもありますが。

今までやってきたこと、費やしてきた時間や心のエネルギー、喜怒哀楽、イタリア語をすることでできなかったこと、その全てが意味のあることなのかどうかを決めるのは今の自分に他なりません。

だから私は「これでよかったのだ」と言います。

私にとって意味があるとかないとか、そういった私を超えた超越した場所から私の行動を評価する視座はありません。だから私が全て決めればいのです。どんなに心乱されてイライラしても、私が選んで私が続けていることだから「これでよかったのだ」とうしかありませんし、実際そうなのです。

資格に向けて学習をしていますが、今はそれを超えたような気持ちです。今までになかったことですが、私は検定を楽しみにしながら過ごしています。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。