日本と台湾で鉄道に乗る時どちらが「鉄萌え」するのか。今の私は「台湾」と答えてしまう。私が台湾の鉄道のどこに魅力を感じ、何を求めているのか前回に引き続き記してみたい。
扇形機関庫
私と妻は台北から台湾中部の彰化駅まで莒光号に乗ってやってきた。時刻は13時前、次に乗る自強号は14時36分にこの駅を出発する。この1時間半は駅に隣接する扇形機関庫を見学するための時間である。
旅の計画を立てながら私は妻に言った。「台南や台北ではどこでも好きなところに付き合うから、莒光号と彰化だけは私のわがままを聞いてほしい」。この駅へ莒光号でやってきて機関庫を見学することは、私にとって今回の旅の一番の楽しみであった。
駅から跨線橋で線路群を越えて駅の西側へ出る。台中方面へ線路沿いに5分ほど歩くと目的地が見えてくる。歩きながらも私の頭は右側(線路側)を向いたままで、妻の話しかけにも適当な相槌しか打てない状況である。
入り口で受付を済ましていよいよ中に入る。台湾にも冬休みがあるのだろうか、平日の昼間にも関わらず多数の親子連れが中ではしゃいでいる。
私は扇形機関庫の裏側から回り込むように歩いて転車台のある方へと向かう。3台の旧型ディーゼル機関車の間を抜けると転車台が見えた。
この施設は日本統治時代の1922年に作られた。台湾に現存する唯一の扇形機関庫であり県の文化資産に指定されている。この扇形庫の素晴らしいところは、現役で使用されていながらそれをわざわざ公開しているところであり、この日も新型のディーゼル機関車R200型6両が入庫していた。
敷地内は見学者の立ち入りできる場所とそうではない場所が看板と線によって示されている。そのことはここが現役の車庫であり、実際に整備作業が行われていることを意味している。
扇の要から築100年の車庫を眺めてみる。12の入り口が広がっていてそれぞれの屋根には煤煙排出用の煙突が付いている。どこの国であれ、このようなデザインの建築物をこれから先建設することはない。
左から二番目の車庫にSLが止まっている。「CK124」のプレート。団塊ジュニア世代の私はSLにそれほど思い入れはないが、一目見て日本製のそれとわかる機関車を見ると愛おしさが湧き上がってくる。
かつては日本製の仲間でここは溢れかえっていたことだろう。というか、この島の鉄道の骨格は日本時代に作られており、その匂いを至る所で感じることができる。私はその匂いに惹かれてこの島へやってきた。
例えばこの機関庫の北側にある古い2階建ての建物。木造で屋根にコンクリート製の瓦が敷かれている。中には資材か廃棄物が入るようであるが、かつてはこの機関区の事務所として使われていたのではという雰囲気がある。
日本でもJRが発足した頃はこのような建物が結構残っていた。関西圏では鷹取や吹田にこれを大きくしたような建物があったことを覚えている。この彰化の建物も日本時代に本土と同じ鉄道省の規格で建てられ年を重ねてきたものだろう。
約1時間の間、私たちは敷地の中を気の向くままに歩いては止まり、また歩いては立ち止まって施設や車両を眺めていた。この空間にいること、台湾で私の知らない古き日本を感じることが不思議な気持ちがした。
ここまで来てよかったと思った。隣接する展望台に登って車両たちを眺める。後ろでブロワーの音がするので振り返ると、E500型機関車に牽引された莒光号が台北方面に向かってカーブを曲がっている。機関車に牽引される長い客車たち。美しい光景である。私はいろいろな車両たちに囲まれながらこの光景を眺めている。ここでも鉄萌えMAX。これ以上の興奮を日本で味わえる場所は滅多にない。

”無駄”が魅力
かつて日本の国鉄には膨大な数の労働者がいた。典型的な労働集約型産業であった。鉄道が旅客・貨物輸送の主役であった頃はそれでもよかったが、その地位を自動車や航空機に奪われるに従って「合理化」が叫ばれるようになった。
その傾向は国鉄がJRに変わると、ギアを変えて加速していった。今では鉄道は国のインフラとしての輸送機関というよりも、利益を出すための装置として語られることが多いように私は感じる。
そんな日本の状況と比較して、台湾の鉄道には日本の鉄道が「合理化」の名の下に失ってしまったものが数多く残っているように思える。そして、それらに触れた時、私は安心するのだと思う。日本にあって”無駄”扱いされ台鉄に残っているものをいくつか記してみたい。
側線たち
列車の窓から外を眺めると「どうしてここに?」という線路が目につく。つまり、列車の種別や運行本数に対して駅の線路が多いのだ。
地下の台北のホームに立った時、ホームのない線路が見えた。機回し線か通過線であろう。日本的な発想でいうと始発・終着列車の少ない台北駅には必要のない線である。何に使っているのだろう。
地方の小さな駅を通過するときも、使われる様子のない側線が目立つ。中には貨物用ホームを有するものもある。台鉄の西側の幹線では貨物輸送をほとんど行っていない。それは今回乗っていてもわかったし、航空写真で確認してもそうであった。
ホームつき側線は軍事用などの車両を貨車に積み込むためなのかもしれない。今回の訪問で1度だけ貨物列車とすれ違った。E200型電気機関車牽引で戦車を運んでいた。軍事的緊張感のある国のため、あまり使わない側線やホームを残しているのかもしれない。
ホーム要員
JRの在来線ではほとんど見られないホーム要員がここ台湾では普通に見られる。列車入線のアナウンスをし、電鈴を鳴らし、ホームの安全を指差し確認し、再び電鈴を鳴らし、離れる列車を見送る。一つ一つの動作がカッコよく、鉄道員の誇りがこちらに伝わってくるようである。
私の利用するJR西日本では列車の入線は自動音声、発車アナウンスは構内スピーカーと連動した車掌が行う。ホーム上の安全は監視カメラやホームドアが担う。ホームに駅員のいない駅が普通になった。
人件費が何より高く、株式を公開した会社としては直接売上に関係ない部署に人員を割くことは間違いである。そのことは私もわかる。しかし、それが行き過ぎると「公共交通とは何か」という問いを抱がずにはいられなくなる。
とりあえず、台鉄のホーム要員を見ると暖かい気持ちになる。

まさか今まで
台南駅で信じがたい光景を目にした。第1月台の台北側に「行李房」と書かれたドアがある。近づいてみると中には荷札のついた荷物がある。「まさか」と思ったが、後で調べてみるとそのまさかであった。
台鉄ではまだ列車による荷物輸送が主要駅間で行われていたのだ。荷物輸送とは、コンテナなどの貨物施設で積みおろしをして運ぶ輸送形態ではなく、旅客駅で預かった荷物を旅客列車に併結された荷物車に乗せて運ぶことを示している。
かつては荷物輸送も鉄道の独壇場であったが、宅急便の発達とともに縮小され、日本では昭和61年にその役目を終えている。
ここ台湾では、客車列車である莒光号の荷物室を利用して細々と荷物輸送が続いているという。台鉄は莒光号を廃止する動きをしている。おそらく荷物輸送もその時までの命運であろう。21世紀も四半世紀過ぎた今「行李房」を見ることができた幸運を噛み締める。

どうなるのだろう
台南から台北へは自強号に乗って移動した。この「自強号」には何種類かタイプがあるが、私たちの乗ったのは1000型のそれであった。これは客車を両端から機関車ではさむプッシュプルスタイルの車両で、南アフリカ製の流線型の機関車で運行されていた。
今回台湾に来てみると、両端の機関車がE500型に代わって運行されるものが多く、私たちが乗った列車もそうであった。
これで、この数年間台鉄が大量の東芝E500型電気機関車を購入した理由の一つがわかったが、私にはさらなる疑問が湧き上がってきた。
この1000型客車による自強号、かなりの経年が進んでいる。EMU3000型など電車型の優等列車の導入を進める中で、近い将来E500型の活躍する場所がなくなるのではないであろか。
それだけではない。台湾の主要幹線は電化が終了している。そんな中台鉄は彰化で触れたR200ディーゼル機関車を34両も購入したのだ。
日本の旅客鉄道会社にはもうほとんど機関車がない。それを運転できる人員もいなくなった。日本で機関車の主な活躍場所は貨物列車である。台湾では逆に貨物輸送がそれほど盛んではない。それではこの大量の機関車は一体何に使うつもりなのだろうか。
これも有事があった時のための輸送手段の確保なのだろうか。私から見れば一見無駄に思えるのだが、機関車好きの私にとっては、台鉄のこの戦略、嬉しくてたまらない。
「鉄萌え」という言葉、私は自分の好きな鉄道の側面に触れて「キュン」となる時使うようにしている。そんな鉄萌えをする機会が、ここ台湾では普段と比べて格段に多かった。
振り返って文章にしてみてわかることは、私は鉄道が合理化されて単なる移動のための手段になることを嫌がっているということである。その究極の姿は「どこでもドア」的なものになり、そんなものに魅力を感じることはできない。
では私は何を求めているのか。嫌なものはわかるが、その反対を一言で言い表すことは今はできない。しかし、それからも台湾の鉄道、そしてその他の国のそれであっても鉄萌えMAXの経験を重ねていけば光は見えてくると期待している。