長崎でサ活(後編)

サ室の中では… 恥ずかしくない

前後編に分けるつもりはなかったのですが、女性従業員と裸の話が長くなったので仕切り直しします。

さて、サ室に入るとテレビで大相撲九州場所をやっていました。私は、TVの無いサ室も好きなのですが、相撲をやっている時は別です。サウナで見る相撲、立ち飲みで見る相撲と並んで私にとって至福の時間です。この時期この時間帯にサ室のTVでゴルフなんかやっていると不機嫌になります。「今は相撲でしょう!」と。自分の度量の小ささを感じる瞬間です。だからモヤモヤでなかなか整わない私。

画面には贔屓の炎鵬が映っています。力士にしては小さな体ですが、研究熱心で様々な技を繰り出して、見る人を楽しませてくれます。そして彼はイケメンです。イケメンですが廻しをしています。お尻を半分出しています。

前回の恥ずかしさの話に戻りますが、様々な関係性が絡み合った中で「恥ずかしさ」という概念・感情が生まれます。イケメンが街をふんどし姿で歩いていたら恥ずかしいけど、土俵の上のお尻を半分出した力士たちは抜群にかっこいい。出っ張ったお腹や垂れ気味の乳も、学校や職場だとからかいの対象になりがちですが、土俵の上ではあって当然、力士たちの力の象徴として機能します。つくづく人間って面白いと思います。仏教でいう色即是空・空即是色ということなのでしょうか。すべては見る人のperspective次第。実態は無く、それぞれが自分の像を勝手に作り上げている。そう考えると、私のモヤモヤも少し軽減されるような気がします。

この施設には、サウナ用バスタオルがあり、利用者のほとんどが使っていて、私もそれに習います。サ室内標準装備は、ハンドタオルを頭に巻き付け無防備になった下半身を胡坐で固め、人様の目にお粗末なものを触れさせないというスタイルの私です。バスタオルを腰にまけば、安心感が増し、下半身の体勢に自由度が増します。それに、途中汗を拭きとる時、ハンドタオルとは吸収率が格段に違います。幸い、広めのサ室は空いていたので、下半身の自由を手にした私は大相撲を見ながらストレッチ、更なる発汗を促します。

普段は12分計が気になる私ですが、TVで大相撲をしている時は別です。対戦表を見ながら、なるべく見逃しを少なくするように水風呂と休憩を挟みます。

水風呂は、メインとなるドライサウナ室を出てすぐ正面。横のフックにバスタオルをかけて、かかり水の後、ザッブーン。予想よりはるかにヌルめ、水温計は無く肌感覚で20度というところでした。

贅沢なことだと思う

小休憩・水分補給の後、再びドライサウナ。TVには宝富士が映し出されています。「歳とったなあ。額もあんなに後退して。小さな髷も大分後ろに来て」上から目線でそう思った私ですが、彼より優に一回りは年をとっている自分に思いが至り愕然とします。「俺はこんなに年をとってしまったのか。ああ見えても宝富士はまだまだ若い」、もう自分より年上のプロスポーツ選手はほとんどいません。プロゴルファーとサッカーのカズぐらいでしょうか。

そんなことを考えながら大相撲中心の不規則なサウナセッションを続けていきます。サウナストーン式のストーブじゃないことは残念ですが、清掃も行き届き、アメニティーも充実したみなとサウナ港洋館で汗をかき、一日の疲れを落としていきます。

電車に乗り継いで兵庫からわざわざ長崎までやってきて、こうしてサウナを楽しむ。エネルギー効率の面から見てもなんと贅沢なことをしているのでしょう。山陽電車、新幹線、特急かもめ、私は膨大な電力を消費し、そしてこの地でもガスを使って90度に温めた部屋に入り、電気を使って冷やした氷水で喉を潤しています。つくづく良い時代に生を受けたと思います。今まで人類が何千年もできなかったことを、1泊2日の旅でいとも簡単に何十種類も行っています。本来ならモヤモヤに対して不平不満を言う立場でもないし、ここまで恵まれていながら沈んだ心をしていては罰があたってしまいそうです。ひょっとすると、この心のモヤモヤが豊かな現代を、その豊潤さを当たり前のものとして生きる私に対する罰なのかもしれません。

長椅子に身を横たえて…

サ活を4セッション繰り返し、館内着に着替えて2階の休憩室に行きます。広大なスペースに並んだリクライニングチェアーに人はまばら、時間的にまだ早いのかもしれません。受付の案内では今日のカプセルは満室だそう。これから、多くの男たちがこの部屋に癒しを求めてやってくるのでしょう。室内の照明は程よく落とされ、静寂の中で前面に並んだ大画面のテレビだけが外界とのつながりを映し出しています。

スーパー銭湯にはめったになく、サウナ専用施設が持つこの休憩室。そして、そこに並んだ長椅子。居眠りをするのも良し、TVを見るのも良し、目を閉じて瞑想するのも良し、それぞれ思い思いのスタイルで時間を過ごしていきます。

私は目を閉じてこれから会う友人のことを思いました。大学時代に出会い、親友となり、毎年彼と一緒に長崎に帰省し、そこで彼の親戚や友人と知り合い、祭りにも参加させてもらいました。四半世紀以上の思い出が次々と脳裏を通り過ぎていきます。大人になり、仕事を始めてからは、なかなか友と呼べる人物を作ることができませんでした。やはり、心が柔らかく、自由な時間に溢れ、利害関係の全くない状況が親友を作り出すのでしょう。

今回も私はサウナで”整う”状態には至りませんでした。休憩していても、10年ぶりの邂逅とその間に自分の人生に起こった出来事のことばかり頭に浮かび、気持ちを無にすることができなかったのです。でも、今はそれでもいいと思っています。家族を大切にし、まじめに仕事に取組み、友人・知り合い・親戚、付き合いの深さに関わらず人との関係を大切にする。そして、時々ブログやサ室で自分の心の中と行ってきたことを振り返る。そういったことを一つ一つするうちに、モヤモヤも小さくなり、サウナでも整う状態ができる、そんな確信が心の中に湧き上がってきました。

モヤモヤ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ 幸せ?

”目の前のことを一つ一つ大切にしていけば出口が見えそうな気がします”

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。