ギターケースと共に
電車に乗る時私はいつも何か”有意義”なことをする。読書をしたり、語学のリスニングを行ったり。そうしないと時間を無駄にしているような気持ちになる。私の命=この世にいる時間、そう考えた時何もしないことは自分の身を切られるような感覚になるのだ。
私はそのような偏った考え方に支配されて生きてきた。”有意義なこと”に取り憑かれるあまり電車の中でスマホ一ついじることに罪悪感を感じる、そんな病的な心を持って生きている。それは年と共に少しずつ薄まってきているとはいえ、私が車内していることは変わらない。
そんな私であるが、この日は本も持たずイヤホンも外したまま電車に揺られていた。私の隣には黒いギターケースがある。前回このギターケースを家の外に出したのはいつなのか思い出せない。それほど昔のことだ。一つ言えることは、今回が私との最後の外出になるということ。
立てかけたケースの上の面が汚れている。私は鞄からティッシュを取り出して拭き取った。ティッシュが埃で茶色くなった。
「すまない。あなたの力を引き出せなかった」
私は思った。
ギターを買ったのは1993年、私は大学生だった。30年以上一つ屋根の下にいたギターであるが、私はこの日別れを告げることにした。
駅を降りケースを手に買取店まで歩く。ずっしりと重さを感じる。いつも持ち歩いていたのならこんなに重く感じることはないであろう。
店のカウンターでギターを引き渡した。専門の店員さんが査定をして結果を伝えてくれるという。
1時間後、店から電話があった。見積もり通りの金額で引き取ってくれるという。私は店へ行き、書類にサインをした。お金はその日のうちに私の銀行口座に振り込まれる。
カウンターの奥を見る。先ほどまで私のものだったギターが立てかけられていた。私は視線をそらして店を出た。買取金額は30年以上前に私が購入した金額を上回っていた。
私にはスペックの高すぎたギターだった。
自尊心
言いたくないことであるが、傷を治すためには触れずにはいられない。私は自尊感情が低い。できることよりもできないことに気持ちが向かい、そのことを気にして塞ぎ込むことが多い。
悪い兆候があればすぐに悲観的になる。「自分はできる」と思い込もうとしても、心の奥底でそれを疑っている自分がいる。だから自信を持って決断することができない。
私の無意識の領域で何が起こっているのかはわからない。だから有意識の部分で私の負い目になっているであろうことを考える。
私はもっとギターが上手くなりたかった。男子がギターを弾く理由、その最大のものは女にモテること。かつてモーターヘッドのレミー・キルミスターはこう言った。
「ギターを持ったら女は脱ぐ」
「そんな単純な」と思うかもしれないが、彼の場合それは本当のことだった。
彼ほど極端なことは考えなかったが、私もギターが上手くなりたいと思った。女性にチヤホヤされたいとも思った。
そう思いながらバンドを組んでギターの練習をした。週に2回、大学のスタジオに集まって音を合わせる。その時までに各自が課題曲を練習するのだ。音合わせが終わったらメンバーでご飯を食べに行く。思い出せば楽しい青春の一コマだ。
自分の家戻り、練習用アンプにシールドをつないで音を出す。最初は楽しいが、弾いていくうちに気持ちが冷めてくる。難しいフレーズに挑戦しようとするが、すぐに諦めて簡単な手ぐせを弾いてしまう。
上手くなりたいのならそれなりの方法があるはずだ。音楽理論を学び、基礎練習をしっかりと行い、段階を追って難しいフレーズに挑戦していく。そのことはわかるが、私はそれを行わなかった。
私の中に常にノイズが流れていて、ギターを弾こうとすると別のことが頭の中に浮かんできた。好きな音楽をやているのに演奏に没頭できない。虚しさというか、そう言った類の気持ちが常に私のそばにあった。そんな中途半端な状態で私はギターを弾いた。
バンドを初めて1年ほど過ぎた時、私はこのギターを買った。
今まで使っていたギターがシングルコイルだったため、ハムバッカーのギターを買おうとバイトで貯めた11万円を手にして楽器屋へ入った。そこで気に入ったのは予算の倍以上するこのギターだった。私は生まれて初めてローンを組むことになった。
新しいギターを手にしても私の気持ちは変わらなかった。バンドをするのは楽しいことだが、100%ギターに打ち込むことができるかといえばそうではない。常に冷めた自分が横にいた。
バンドは私が半年間日本を離れる時解散した。帰国後も在学中はイベントがあれば即席バンドを組んで演奏したが、気持ちは相変わらず冷めていた。
高校教師の仕事を始めると、ギターどころではなかった。部活で土日も休みはない。英語やイタリア語にも追われる。結婚して子育てして、とにかく時間がない。あれができない、これができない。その度に自尊心が下がってくる。
本当にやりたいのなら、それでも時間を作ってギターを弾いたであろう。しかし私はそうしなかった。ローンで買ったギターもケースの中で眠り続けた。私の中には不完全燃焼感と、ギターが上手くならなかったという劣等感が残った。
上位互換
弾かないギターを私が持ち続けたのは、いつか時間ができてもう一度基礎からやり直せるのではないかという淡い期待があってのことだった。
本当は上手くなりたい。学生の時に弾けなかったようなフレーズを弾いてみたい。親父になってもバンドを組んで周りからチヤホヤされたい、そんな思いを心の無意識の領域に押し込もうとしたまま私は歳を重ねてきた。
そんな私が今回ギターを売ろうと思ったのには理由がある。息子たちの存在である。
長男が中学生になる頃、私は眠っていたもう一本のギター、シングルコイルのストラトを取り出した。もしかすると年頃の長男がギターに興味を持つかもしれないという思いからだった。
取り出すのは今回売ったギターでもよかったが、リバースヘッドでフロイドローズのギターは弦の張り替えや調整も何かと面倒臭い。
ストラトはナットが破損し電気系統も接触が悪く弾くことができる状態ではなかった。だから楽器屋さんに出して修理してもらった。子供が興味を持たなかったら私が弾けば良い。
修理したギターをスタンドに立てておいたら、しばらくして長男はそれに食いついた。一度興味を持てば早かった。彼は高校を考える時、軽音学部がある学校を選んで入学した。
子供の上達は早い。タブ譜に加えて彼らの時代はどんな曲でも動画を見て練習することができる。彼のバンドは全国大会に出場することができた。
次男はそんな長男を見て育った。だから長男が自分のギターを買うと私のストラトは彼のものになった。次男も高校でバンドを組んだ。日に日に上達していくのがわかった。
現在、私の息子たちは神戸にいない。どちらも別の街でバンド中心の学生生活を送っている。
息子たちは時々ライブの動画を送ってくる。彼らの年齢の頃の私とは比較にならないくらい上手く演奏している。何より音楽を楽しみ、ギターを弾く姿が似合っている。それらは学生時代の私が持っていなかったものである。
私はもうこのギターを売ってもよいと思った。息子たちと彼らの弾くギターの関係は、私の上位互換、それも遥かに性能の良いそれであると思った。
一目惚れして無理して買ったギターであったが、私は彼の力を引き出すことができなかった。思うようにいかないことは多々あるものだ。特に若いうちは、そんなことしかないぐらいだ。
私の不完全燃焼感は息子たちによって癒されようとしている。これも考えようで、私が上手くギターを弾くことができていたなら、今の息子たちのプレイに不満を持っていたかもしれない。
結局人生は収支が合うようにできているとうことか。できないことがあるから、できることに光が当たる。別れがあるからこそ、次の出会いが大切なものになる。青春のギターを手放した私の前に、何が現れるのか楽しみである。
