所さんはすごい
モヤモヤMAXに襲われて以来、所さんの番組やサイトをよく見るようになった。知れば知るほど彼に引き付けられていく。こだわりがあるようにも、ないようにも見える。水のようにあらゆる形に順応するかと思えば、何があっても消えなく彼にしか持ちえないコアが見える。なんとも不思議な人だ。
そんな所さんの遊びの1つに「革ジャンを柔らかくしてみる」というものがあった。固い革ジャンもあるオイルを塗り続けるとフニャフニャになってしまうらしい。
そのオイルとはミズノスポーツが販売している野球グラブ用の「ストロングオイル」。ネットでその記事を見て我が家にもそれがあることを思いだした。息子は二人とも少年野球をやっていて、グラブの手入れ用に買っていたのだ。
下足場に置かれた箱の中から久しぶりにオイルの缶を取り出す。中を開けてみると5分の1ほどになってしまったが、オイルが残っていた。
所さんによると、これを布に取って革ジャンに塗り続けるとどんどんと革が柔らかくなっていくらしい。
「おもしろくなっちゃってさあ、ここんとこ1週間毎日ワックスがけ」
所さんの言葉に触発され、半信半疑革ジャンにオイルを塗り始める。蓋を開けると懐かしい匂いがする。その匂いが、私が忘れかけていた記憶を鮮明によみがえらせる。
長男が少年野球を始めた7年前、私も練習を手伝い始めた。自分のグラブも買った。まさかこの年になって新品のグラブを買うとは思わなかった。ガチガチに硬い革にストロングオイルを塗りこんで柔らかくしていった。
長男が卒団してからは次男の練習を手伝った。大分柔らかくなったグラブでキャッチボールをした。旅行に行く時は必ず3人分のグラブとボールを車に積み込んだ。行く先々の街の公園で練習をし、バッティングセンターでボールを打った。
人生の中でほんの数年間だけ持つことができる親子の親密な時間。いや、うまくいけばずっと親密な関係を違った形で続けることができる。でも一緒に見知らぬ土地の公園でノックをして、バッティングセンターに3人並んで打球を打つことは、おそらくもう二度とない。
オイルの匂いが、息子たちと野球を通じて共有できた時間を追体験させてくれる。今はもう一緒にキャッチボールすることも無い。過ぎ去った時間はいつも甘く切ない。様々なシーンを思い出しながら革ジャンにオイルを塗りこんでいく。
お気に入りだけど着心地が…
オイルを塗りこんでいるのは2着の革ジャン。Schottの黒のライダースジャケットだ。シングルとダブル、どちらも30年近くの付き合いになる。
ヘヴィーメタルが全盛の時代に青春時代を迎えた私。玉石混合、あたりかまわずいろいろなメタルを聴いていた。黒いレザー、ダブルのライダースジャケット姿のバンドが多かった。自然と私もメタルTシャツの上にダブルのライダース、細身のジーンズにブーツといういで立ちとなった。
しかしこの格好、それ系の仲間といる時はいいのだが、普通の友達と一緒にいたり、一人で出かけるときは都合がよくない。なんというか浮いているのだ。同じ格好をした友人の中には全く意に介さず己の信念を貫くものもいたが、私は気にする人だった。
そのような理由ですぐに、シングルジャケットを買った。こちらの方が”ファッション”としては応用範囲が広い。
シングル8:ダブル2、これぐらいの割合で学生時代は過ごした後、就職した後は当然職場に着て行けるはずは無く、休日にたまにシングルを着る程度になった。「もうずいぶんと着たしサヨナラしてもいいかな」と思っていた30歳ごろ、私はバイクに乗り始めた。以来、シングルとダブルの割合が逆転して今日に至る。
職場が変わり、家族構成が変わり、住所も何度か変わったが、この2着のジャケットはずっと私と一緒に過ごしてきた。今や私の持ち物の中で最古参の部類に入り、付き合った年月は妻よりも長い。
どちらもお気に入りではあるが、実用性で言えば大きな欠点が一つある。重すぎて、硬すぎる、つまり着心地がよくないのだ。軽くて柔らかいダウンジャケットなんかと比べれば違いは歴然である。晴れた日近場へ行く時なんかは思わず楽なダウンを羽織ってバイクにまたがってしまう。
さて、そんな中での所さんおすすめのストロングオイルである。
こんなこともあるんだ
ストロングオイルを少量づつ布に取り、革に塗り込んでいく。匂いは全くきつくない。ベタつき感も無い。長年の使用で酷使された袖元や肘の部分に特に丁寧に塗り込んでやる。有機物からできているが無機質に見える黒い革が喜んでいるように思える。
「今まであまり手入れしなくてごめんなさい」心で呟きながら、約20分で2着分の手入れを終えて、ベランダで風に当てる。
所さんのHPには陰干しするという記述はなかったが、なぜか私は風に当ててやりたくなった。ジャケットがそうして欲しがっているように感じたのだ。
一晩物干しにつるして、明け方取り込んで軽く布で拭いてやる。少し、革が柔らかくなっているようだ。「本当に所さんの言う通りなんだ」嬉しくなってくる。
その日は仕事をしていてもジャケットのことが頭から離れない。「早く家に帰ってオイルを塗って、もっと柔らかくしたい」。帰宅するとすぐさまオイルを取り出し、昨日と同じ作業をする。
翌日は疲れていてできなかったが、この5日間で3回の作業を繰り返して週末を迎えた。確実に革は柔らかくなっている。
私は2着のジャケットのうち、シングルを羽織ってバイク置き場へと向かった。なぜこちらかというと、こちらの方が着心地がよくないのだ。ファスナーを上げてヘルメットをかぶりバイクにまたがる。
しばらく住んでいる街を乗り回す。バイクから降りてコンビニで買い物をする。わざと体を大きく動かしてみる。「ダウンのように楽な着心地」とは言えないが、明らかによくなっている。
何ということだろう。30年近く、重くて硬くて、着心地の良さなんか全く見せるそぶりの無かったジャケットが、私の方にすり寄ってきているではないか。こんなこともあるのだ。
3週間前にモヤモヤMAXがやってきて、何もする気になれなくて、やたらと所ジョージのことが知りたくなった。そしてその結果、ずっと硬かったジャケットが私に優しくなった。どこで何がどうつながっているのかよくわからない。
こんなことがあるのだから、このジャケットのように、私の心も、ある時何かのきっかけで信じられないくらいの変化を見せるかもしれない。そう思うと、少し気が楽になった。