帰省の車内で
前回家族4人で車に乗ったのはいつのことなのかすぐには思い出せない。私は普段から外出は電車が多く、車を使うのは郊外の店に買い物に行くときや実家に帰省する時に限られる。歳をとるにつれて市街地を運転するのがおっくうになるのだ。
子供達が大きくなるにつれて一緒に外出する回数も減り、毎年車で行っていた家族旅行も長男が高校に入学することにはなくなってしまった。子供が成長するということは、親に対する依存度を徐々に減らしていくということ。息子たちには彼らの世界があり、遊びも買い物も癒しも楽しみも金銭面を除いて親に依存することは無くなった。
年に数回旅行に行き、4人で四国八十八か所も巡ったミニバンはちょうど一年前に十七年の寿命を終えた。私にとって家族の思い出と結びついた車であった。代わりに買った中古の小型ハイブリット、これは妻と私の車になった。
そんな車に久しぶりに、この1年間で2回目だと思うが、家族4人で乗る機会がやってきた。法事のために帰省することになったのだ。
行き帰りの道中、私たちは順番に聞きたいアルバムを聴いた。妻は歌うことが好きでコーラスグループにも入っている。二人の息子たちも音楽が好きになり、それぞれがバンドを組み、今は生活の中心になっている。
そのような三人に私は「今聴きたい曲を順番に流そう」と提案したのだ。幸いにも皆同意してくれた。普段はそれぞれがそれぞれのスマホでそれぞれの音楽を聴いている。こうして4人が久しぶりに一つの狭い空間に集まり好きな音楽を共有する。息子たちがどのような気持ちで過ごしているのかが感じられる。
年齢の順番に
年齢の低い順番にアルバムを決めることになった。次男がスマホを取り出してブルートゥースでカーナビとつなぐ。ディスプレイにアーティストと曲名が現れる。私は今まで乗った車にカーナビを付けたことがない。「道は地図と五感を働かせて探すもの」そういう固い頭に支配されている。
ところがこのハイブリットの中古車には最初からそれが装着されていた。こうしてブルートゥースでスマホと接続して、その場で聴きたい曲が選べるのはいいものだ。頭を柔らかくする必要を感じる。
ディスプレイに浮かんだバンド名は「くらやみざか」であった。すぐに長男が「オレと同じ路線聴くんだな」と反応する。私と妻はどんなグループなのか想像もつかない。
シューゲーザー系というジャンルの音楽があると長男が教えてくれた。文字通りshoeをgazeする、つまり下を向きながら音楽を奏でるらしい。確かにそんな匂いのする曲である。
幼稚園時代から少年ナイフを聴き、B’zでロックに目覚め、オアシスにハマり、一時期はモトリークルーなどのハードロックも好んでいた次男であるが、近頃は気だるい感じのロックを聴くようになった。彼の心は何を感じながらどのように成長しているのだろうと思う。
続いて長男が選んだアルバムは90年代のオルタナティブの匂いがした。ニルヴァーナのドラムであるデイブ・グロールが作ったフーファイターズのアルバムであった。
長男は私に似てメランコリックな雰囲気をもっている。外見からは楽しいのかどうかわからないが、心の中は喜んでいるというタイプである。そんな彼は中学校の時からニルヴァーナが好きである。
ハードロック・ヘヴィーメタルを構成する一部としてこのバンドを聴いていた私とは違い、彼はそこからさまざまな方向に音楽的嗜好を広げていった。高校時代までは私と同じ系列の音楽を聴き彼にいろいろ説明していた私であるが、大学に入ってからは彼のレクチャーを受けてばかりである。
妻がリクエストしたのはスーパーフライ、歌好きカラオケ好きの彼女はボーカル中心のアーティストを選んだ。聞き覚えのある曲を、スピーカーから流れる音に合わせて彼女は歌う。歌番組など全く見ない私がなぜ聞き覚えがあるのかというと、彼女は家事をしながらいつも歌を歌っているからである。
子どもがまだ赤ちゃんの頃は、息子たちの歌を適当に作って歌っていた。今、彼女はそれがどんな歌だったのかを忘れているが、私は覚えていてたまに彼女の前で披露する。彼女が歌っているときは機嫌がよい証拠なので、私はなるべく歌のある環境を作るように心がける。
私の三枚
息子たちはロックに限らず、ジャンルを超えていろいろな音楽を聴いているようだ。二人ともバンドを始めてから、周りの人に影響を受けて音楽の幅が広がったという。私も妻も初めて聴く曲がスピーカーから流れてくる。
妻はドリカムなどボーカル中心で私でも分かる曲を選んでくれる。しかし、彼女はテレビで音楽番組をよく見ているので、最新の曲もよく知っている。私はというと、音楽的嗜好が大学時代からほとんど変わっていない。つまり新しいものがほとんど入ってこない。
順番が3回まわってきたので、私は三枚のアルバムを披露した。最初に選んだのは日本のロックバンド「Show-YA」のベストアルバム。最近はほとんどCDを買わない私であるが、不意に「限界ラバーズ」という曲が聴きたくなって買っていたのだ。この曲を「ハードロックの教科書にのるような曲だから」と息子たちに紹介した。
残りの二枚は、オジー・オズボーンとブラックサバスのそれぞれファーストアルバムである。先月オジーが無くなったこともあり、彼が中心となった二つのバンドを紹介してメタルの歴史を息子たちと共有したかったのだ。
長男はかつて私に「ブラックサバスはどれを聴いたらいい?」と質問してきたことがあった。次男もクレイジートレインのリフにすぐに反応した。
サバスのファースト「黒い安息日」は1970年、オジーの「ブリザード・オブ・オズ」は1980年の発表である。私の親世代が若い頃聴いた曲を、その子と孫世代が共に楽しんでいることが不思議な感じがする。
音楽の聴き方が変わった。私の家のリビングにもCDプレイヤーはあるが、ほとんど使われていない。CDが売れなくなり、街からそれを売る店が消えていった。音楽はアップルミュージックからワイヤレスイヤフォンを通じで聴くものになった。
それは時代の流れとして仕方のないことであるが、時にこうして家族四人が狭い空間で、1枚のCDを話をしながら聴くのもいいものだ。
次の機会はいつになるか分からない。子供たちが自分の車を持てば、その機会は永遠にやってこないかもしれない。でも、そんなチャンスがやってきた時のために、私は家族で聴くための1枚をいつも用意しておきたいと思う。
