夕方6時半の茎ワカメ
1月のある休日の夕方、妻が買い物から帰ってきた。買い物袋から取り出される数パックの茎ワカメを見る。今年も茎ワカメの旬がやってきた。が、茎ワカメを魚屋に買いに行き佃煮にするのは、毎年僕の仕事。
「今年は茎ワカメの佃煮作ってくれるの?」と尋ねる僕に、
「本当は買うつもりなかったけど、思わず買っちゃったの」と妻。
「思わず買った」理由を妻が話してくれた。
行きつけのスーパーの鮮魚コーナーを通った時、その日はいつもと比べてあり得ないぐらいの商品が売れ残っていた。数時間後に廃棄される運命のそれらの魚介類を見ていると、やるせない気持ちになった。もう晩御飯のおかずは作っていたので、せめて佃煮にできる茎ワカメを買って帰った。
以上のような流れであった。
スーパーで私も時々思う。
「今ここにある食料の中で、実際に人の口に入るのはどれだけなんだろう?」
そしてこんなことも思う。
「ここにある食料品の中で、動植物の死体ではないものは、何があるのだろう?」
植物に対して死体という言葉は普通使わないが、命を奪われた状態であることには変わりないので、この記事では使わせてもらう。
想像力を働かせてみる。肉・魚・野菜はもちろん、かまぼこなどの加工品、麺類、乾物、ジュース、缶詰、お菓子。すべてが動植物に由来している。結局思いついたものは、水、塩、にがり、この3つ。特殊なものとして金箔。
冷静に考えると当たり前のことであるが、スーパーは動植物の死体のかたまりであり、私たちはそれらを食して命をつないでいる。
日本語で食べる前の「いただきます」は、「命いただきます」のことだと聞いたことがあるが、まさにその通りで、私たちは、水とミネラル以外は、命しか食べていないといえる。
フードロス
昨今、フードロスが問題になっている。問題になるということは、フードロスできる環境にあるということ。熱帯雨林でも、サバンナでも、海の中でもフードロスはあり得ない、人間がいない限り。人間以外の動物は必要以上の食料を確保しない。クジラなどの巨大な動物が死んだ場合も、時間をかけてどこかに回収されていき、次の生き物の栄養素となる。焼却炉で焼いたりしない。
命を奪われ、食べられる状態になりながら、食べられずに廃棄される食品。命の連鎖を止める行為、そう考えると罰があたりそうで不安になるが、商品を売るためにはそんなことは考慮されない。
フードロスに関して最近よく取り上げられる食品、恵方巻。もともと関西の習慣だったらしいが、全国チェーンのスーパーとコンビニに乗っかって、この国の節分行事の一つとなった。求めてくる客に「売り切れです」と言う方が、廃棄するほど作り過ぎるより「ビジネス的」にはダメージが大きいという売り手の判断。毎年、恵方巻、つまり鮭や穴子やキュウリやノリや稲の死骸は、他の生命体に回収されることなく焼却炉へ送られていく。
これではまずいと、今年は「予約販売のみ」や「売り切れの可能性があり」という文言が目についた。売り手も変わろうとしている。が、ここである疑問が湧き上がる。この変化は、恵方巻の廃棄が「ビジネス的に」マイナスのイメージを与えるため行っているのか、それとも、命をつなぐことない殺生に禁忌を犯しているという恐怖を感じてのものなのか。願わくば後者であってほしい。
日本全国で毎日どれだけの食料が捨てられているのだろう。宴会や忘年会の後、テーブルに残る料理の数々。コンビニのレジの後ろで廃棄を待つ賞味期限切れの弁当。
レストランや小売店だけではない。
冷蔵庫の野菜ケースの奥、パントリーの一番手が届きにくい場所に置かれたもの、これらの食品は大抵食べ物としての役割を果たすことなく捨てられていく。
捨てられた食品は、燃えるごみとして焼却炉で焼かれるか、または埋め立てられるか。アメリカやヨーロッパでは、ゴミは焼かれずに埋め立てられると聞いたことがある。それら有機物は数億年の後、化石燃料になる可能性がある。しかしその時、化石燃料を使う存在がそこにいるのか。
石油を使って食品が焼かれる。その石油こそ、数億年前に命を失いながら、次の生命体に回収されることなく地中に埋まった動植物の成れの果て。その命のエネルギーが、長い時を経て燃える。捨てられた命を燃やすために。
レアな時代に生きる私たち
スペイン風邪が猛威を振るった1917年、世界の人口は18億人程度であったといわれている。100年間で約4倍になった。日本の人口も、明治初頭の3千万から100年間で1億2千万に。
それまでの人類の人口増加曲線から考えると、ありえないほどの急激な人口増加。これは医療の発達と、食料生産の増加に負うところが大きい。
「明治24年に東北本線が全通した時、これで飢饉になっても餓死しなくて済む、米を積んだ救済列車がやってくるから、と東北の人は思った。」このような内容を鉄道旅行作家、宮脇俊三さんの本で読んだ記憶がある。
東北に限らずに食料不足で餓死することは、明治になってもあり得る話だったのだろう。
明治どころか昭和でもそうだ。何しろ太平洋戦争を経験したのだ。戦争中はともかく、戦後も食料不足が続き、国レベルで栄養失調を経験し、それにより多くが命を落とした。
私の父方の祖父母は共に大正時代に生まれ、若き日に戦争を経験した。祖父の戦争話は、半分は飢えの体験談だった。「もう腹が減って、減ってなあ~」30年以上前に聞いた祖父の声が昨日のことのように浮かび上がってくる。
そんな祖父母と暮らしていた子供時代、二人が食べ残しの皿を冷蔵庫に入れることが嫌だった。「あと少しなのだから、食べるか捨てればいいのに」よくそう思った。結局残り物は、腐るまで冷蔵庫の中に。
冷蔵庫の中だけではない。祖父母の部屋の引き出しや紙の箱の中は、いつのものかわからないお菓子やドライフルーツで溢れていた。
とにかく捨てられないのだ。飢餓を体験した記憶が、食料を捨てる手を止めさせていた。食べきれない量の食べ物があっても、それが食べ物である限り捨てることができない。腐敗してカビが生え、これは食料ではないという段階になり、はじめて手放すことができた。
父は戦後生まれで飢餓状態を経験していない。しかし、そんな祖父母に育てられたせいか食べ物を粗末にすることはない。TVで食べ物を無駄にするような番組を見ると、露骨に嫌な顔をしていた。母親もその手の番組を嫌っていた。
父母の世代は、飢えで周りの人を無くした経験はないが、店で売られているものの中で、食品は他の生活用品とは持つ意味が違い「いい加減に扱うことは許されない」という意識があると思う。
そして私たちの世代。食べ物の大切さは分かるが、それは身を賭して得た感覚ではなく、頭で教わった知識。途上国の痩せた子供たちの画像に涙を流すことはできるが、その後の食事のまずさに不満を口にこぼすことができる、そんな世代。
そんな私も今、次の世代の子育てを行っている。飢えることの恐怖、食べられることへの感謝の気持ちは、世代ごとに失われている。飢餓状態がベースであった人間の歴史の中で、初めて登場している世代だと思う。
気持ちの整理がつかない
物の価値は時代背景によって異なる。食料を生産し過ぎて廃棄してしまうことは、良いことなのか、悪いこととは言わないまでも、仕方のないことなのか。
考えてみれば、経済は必要以上のものを生産し、人々の欲望を喚起し続けることで拡大を続けてきた。「これが欲しい」のレベルを上げ続け、ものとお金を増やし続けることの上に食品ロスは存在する。そして私も、今その豊かな経済活動の渦の中にどっぷりと浸かっている。
長い人間の歴史を考えると、食品を大量に廃棄することができるのは、極めて例外的な時代だと思う。そんな時代に生を受けた私たちは幸運である。それはわかっていても私の中から消えないモヤモヤ。それは、植物にしろ動物にしろ、有機体が他の生命によって回収されないまま消滅してしまうことの不自然さに起因していると思う。
気持の整理がうまくつかない。余った食料を、すべて肥料か動物の餌にしてしまう、これなら心が受け入れられそうだ。しかし、そんな都合のいいことは、効率が最優先させられる現代では無理な話だ。では、最初から必要な量だけ生産する、これも多様な選択肢の自由を享受している世界から見れば後退に等しい。
飢餓を経験した身内の話を直接聞いた最後の世代である私の心は、この豊か過ぎる人類未体験の時代で葛藤している。