今までの道のり
土曜になると街の魚屋によくいきます。店先で旬の魚を眺めながら「この魚は私に料理できるのだろうか」などと考えるのが楽しいのです。
私の住む地域の魚屋には、1年を通じて播磨灘でとれたタコが並びます。兵庫県は全国的にも有名なタコの産地で、明石焼きはそんな環境から生まれました。
そのタコ漁が、今年は不振にあえいでいます。値段も例年と比べてかなり高くなっています。私はタコの値段を比べながら、時にはスーパーでモロッコやモーリタニア産のタコを買います。買ったタコは、明石焼きの具となります。
私は、自宅で定期的に明石焼きを焼きます。大抵は、9個焼きを6回分焼き上げ、残ったら、翌日のうどんの具になることが多いです。
このような生活が始まって、もう1年と3か月が経過しました。これを機に、今までを振り返り、これからについて考えてみたいと思います。
2020年5月
妻との会話の中で「飲食店経営」の話が出た。自分たちが開業するのならどんな店をするのがよいのか、そのような話だった。妻の「明石焼きはどうか」という提案に、私はかつて、明石焼きをあてに美味しいビールを飲んだ店を思い出して興奮する。
2020年6月~
妻と毎週のように明石へ通い始める。最初は車で通っていたが、すぐに「明石焼きを食べながらの昼飲み」の魅力にハマり、以後は電車になる。明石市内には明石焼き専門店が70件以上あるらしい。毎回異なる店を訪問し、味の違いを楽しむ。
2020年7月
明石に、銅製の焼き器を手打ちで作る伝説の職人がいることを知る。聞けば、後を継ぐ弟子がいなく、最後の職人らしい。その職人「ヤスフク明石焼き工房」の安福さんを訪ね、家庭用の焼き器を購入する。
購入した焼き器で明石焼きを作る生活が始まった。最初は全く上手く焼けない。悲しくなるくらい不細工な明石焼きを作り続ける。
2020年秋
だんだんとうまく焼けるようになってくる。何度か安福さんのところへ行き、アドバイスをいただく。妻との明石焼きの食べ歩きは、コロナの感染状況を見ながら控え、持ち帰りを買うようになる。とはいえ、お店での、焼き立ての明石焼き+冷えたビールにはかなわない。外出を控える。
2020年12月
さまざまなことが頭の中に浮かぶ。私の出した結論は、業務用の焼き器とコンロを注文すること。安福さんと話をする。すぐに開業するわけではないが、12個焼き×2の製作を了承してもらう。
2021年1月
安福さん手製の焼き器+コンロができ上る。とりあえず、しばらくの間は倉庫で眠ってもらうことにする。
2021年春~
兵庫県はずっと「蔓延防止策」か「緊急事態宣言」の状態が続いている。飲食店でお酒を提供することができない。明石焼きの店にも、春以降まったく行っていない。自宅で、定期的に明石焼きを焼き続けている。
私の現状
写真はこの前の日曜日に焼いている様子です。ピカピカに光っていた焼き器も、全体的に黒ずんで、イイ感じになってきました。相変わらず、手前真ん中の穴は焼きにくいのですが、焼きあがった玉が鍋につく失敗も少なくなってきました。
アツアツの明石焼きをほおばり、ビールでグビッと流し込みます。口の中で熱いのと冷たいのと、出汁の香りと卵の香ばしさと、いろんな要素が同時に官能を刺激してきます。
やはり明石焼きはビールとの相性が抜群で、この二つが揃うだけで「いい週末を過ごしている感」が高まります。
私と妻が、安福さんの作った業務用の焼き器で明石焼きを焼き、目の前のお客さんがビールと共に美味しそうに食べてくれれば、どんなに楽しいことでしょう。
私と妻が去年の初夏に話したように「いつか~屋さんをやってみたい」、この思いは誰もが一度は持つと思います。
しかし、今、それなりに安定した職業についている人が、それを投げ出してやったこともない飲食店を始めることは、誰もができることではありません。
私は、今の自分の状態を考えてみます。
- 妻と明石焼きの店を開業したいという思いがある。
- 伝説の職人が作った業務用焼き器を購入済み。
- 定期的に明石焼きを作り、研究中。
これが私の明石焼きに関する現状です。
- 定職につき、経験も積み、安定した収入もある。
- 休みは月に6日程度。長期の休暇も取りにくい。もう少し労働時間を短くしたい。
- 二人の子どもの学費を確保する責任がある。現在の仕事を続ければ、それは十分可能である。
以上は私の仕事に関する部分です。
最後は私の生き方に関する部分です。
- 恵まれているにも関わらず、ずっとモヤモヤを感じるので、心を調整するためにブログを始めた。
- 文章を書くことで、自分の考えていることが徐々に分かってきた。
- モヤモヤの一つの原因、語学の沼との決着をつけるため、英検1級を受験し合格した。
- 英検1級を持っていると「全国通訳案内士」の英語が免除となり、日本史と地理を勉強すればよいことを知る。
- かつて社会科の教師になることを目指し、教員免許を取った私にとって、地理や歴史の学習は、勉強というより楽しみである。
- 今の仕事を辞めて通訳案内士としてフリーランスになれば、おそらく収入は激減。安定しない。不労所得を得るために「サイドFIRE」の勉強を始め、実際に投資を開始した。
- ひょんなことから簿記の勉強を始め、日商簿記3級を取得。フリーランスになった時、青色申告ができる。
- 現在はイタリア語検定2級取得を目指して勉強中。
- その他、鉄道、バイク、サウナ、台湾語…やりたいことが多すぎる。
これからどうする
これら書き出した事項と、明石焼きの店の開業がどのように結びつくのでしょうか。複雑すぎて、どう関連付ければよいのか分かりません。
しかし、私はこのブログを書き始めて確信していることがあります。それは「行動をすれば何かが変わってくる」ということです。
実際に私は、ずっと人生にモヤモヤを感じていました。そして、それを解消するためには文章を書いた方がよいのではと思っていました。そう思いながらも何年間も文章を書くことなく、変わらずモヤモヤを続け、やっと2年3か月前にブログを書き始めました。
行動をすると、現実が変わってきました。英検を受験しようと思ったのも、簿記を勉強したのも、通訳案内士の受験をするのも、サイドFIREを目指して投資を始めたのも、全てはブログを書き始めたことがきっかけでした。
「行動すれば変わる」「行動しなければ変わらない」私はこの単純な事実に気づくまでに、人生の約半分を費やしてきました。その半分をもったいないと思うか、気づいてよかったと思うかは、これからの生き方によって決まります。
動けば何かが変化します。次の私の行動は明日、大阪に全国通訳案内士の一次試験を受けに行くことです。
それが終われば来週、イタリア語検定が待っています。こちらは思うように勉強ができなかったので、あと1年はかかると思っています。
検定が一息ついたら、来年の前半には「食品衛生責任者」の資格を取りに行こうと思います。これは1日研修を受けたらとれる資格なのですが、平日、まるまる1日休みを取ることが難しいのと、定員が予約ですぐ埋まるため、なかなかタイミングが合わないのです。
しかし、この「食品衛生責任者」を取れば、飲食物の提供ができます。思い切って仕事を辞め、憧れの車ハイゼットデッキバンを買って、焼き器とテントをつんでイベント会場で明石焼きを売ることもできます。
そう思えば、私の飲食店の開業への道のりはそれほど遠くはないと思えるのです。
しかし、問題は、ただ何も考えずに開業すればよいというものではなく、私が自分の生き方に納得をして、幸福を感じた状態で店を持つことなのです。
行動しながら、少しずつ現実を変えながら、しかも心を満たしながら、私は着地点を探す旅をつづけます。