変わらないもの
長男が卒業アルバムを持って帰った。
私から息子へ、1世代の間に写真の在り方は大きく変化した。記録媒体はフィルムから電子データへ変わり、風景は印画紙からモニターに映し出されるようになった。写真を写すコストは、タダ同然となり、撮影される画像は天文学的に増えた。
そのような中、30年前と変わらぬ姿の卒業アルバムが目の前にある。手に取るとずっしりと重い。ページをめくってみる。構成もほぼ昔と変わらない。
冒頭、校長・教頭先生に続く教師たちの集合写真。それからクラスごとの個人写真に、部活動の集合写真、修学旅行や学園祭の思い出と続く。在籍した3年間に起きた出来事がまとめられた裏見返しの直前、見開き4ページの白紙。全く変わっていない。
空白のページには友人から長男に宛てたメッセージが書かれている。読むうちに、私は30年も昔、自分の卒業アルバムの中に記された一通のメッセージを思い出した。同じクラスで3年間過ごしたK君が書いたものだった。
「10年後の君もスレイヤーを聴くのか?」
K君はオーティス・レディングが大好きであった。私は高校に入りハードロック、ヘヴィーメタルに目覚めた。
モトリー・クルーやガンズ・アンド・ローゼスといったアメリカのアーティストから聴き始め、次第にイギリスやドイツへと興味が広がった。最終的に20代後半に南欧や南米のへと到達し、私のメタルの新規開拓の旅は終了した。
高校を卒業する時期は、アメリカの中でスピードを追い求める時期であった。メタリカ、メガデス、アンスラックス、スレイヤー、当時スラッシュ四天王と呼ばれたこれらのバンドを必死で聴いていた。
K君とは仲良しで、良く音楽の話をして、CDの貸し借りもした。正直、ソウルミュージックが魅力的とは思えなかった。私には、勢いに任せて高速でリフを刻む、スラッシュメタルのような音楽が合っていた。
K君に貸したスレイヤーのCDは”Reign in Blood”だったと思う。バンドを代表するアルバムであり、スラッシュメタル界に輝く金字塔である。
わずか30分で10曲、高速のリフが次から次へと展開していく。これを聴いて血がたぎらない高校生はいないのではないか、若き日の私はそう思っていた。
K君のコメントは「何がいいのかわからない」というようなものだったと思う。私からすれば、何が悪いのかわからない。私たちは相変わらず友だちであったが、音楽に関してはまったく相容れなかった。
そして卒業式の日のあのコメントである。
しばらくして
私とK君は卒業後、違う街で暮らすことになった。彼の大学のある街まで、たまに遊びに行くことがあった。都合が合うと、二人でその街のCD屋に行った。
彼の下宿へ行くと、お気に入りのCDをかけてくれた。棚いっぱいにCDがあふれていた。バイトでお金を稼ぎ、好きな音楽に費やしていた。相変わらずのソウルに加えて、昔のロックやブルース、アメリカのカントリーミュージック。彼の持つアルバムのジャケットは、私にとって退屈に見えた。
私は相変わらずメタルが大好きだった。大学生に入るとジャーマンメタルに興味を持ったが、相変わらずスラッシュ四天王はよく聴いていた。
「スレイヤー、よく聴いてるで」
私は彼に言った。
「年とったら、絶対僕が聴いてるような音楽がよくなるから」
彼は私に言った。
今から思うと私の心には偏りがあった。確かにメタルは素晴らしい音楽だ。様式美というか潔さと言うか、激しい音楽にも関わらず聴いていて涙腺が緩むことも多々あった。
しかし、自分の心の弱さを補うためにメタルの勢いに頼っていた部分もあったと、今は思うことができる。マッチョなイメージに頼ることは、実際には自分はそうではないということ。裏返せば、当時の私には穏やかな気持ちで、優しい音楽を味わう余裕がなかったということ。
当時の私はそんなことは考えていない。「オレはメタルが好きなんや!メタルは最高の音楽なんや!」実際にそう思っていたし、それで満足していた。他のジャンルの音楽を聴こうとしなかった。そんなに頑固にならず、もう少し心を広く持てばよかったものをと思う。
何度かK君の住む街へ訪問した後、彼は突然大学を辞めた。そこから再び彼と会ったのは10年も後のことだった。
まだ聴いているよ…
K君に再会したのは35歳の同窓会だったと思う。
大学を辞めた彼は私の住んでいた街へと戻り、私は就職のため兵庫県のある街に住んでいた。
再会した彼と音楽の話をした。私は相変わらずメタルを聴いていた。しかし、もう新規開拓は終わっていた。CDの枚数は20代後半から増えていなかった。16歳から30歳にかけて聞いた音楽のなかで心に残るものだけを聴き続けていた。
スレイヤーも、2001年発売の”God Hates Us All”を最後に、アルバムを買うのをやめてしまっていた。それでも私は彼に言った。
「15年以上たったけどスレイヤー聴いてるで」
そこからさらに5年、私たちは初老を迎え、今までで一番盛大な同窓会が開かれた。懐かしい顔が並ぶ中、私はすっかり髪の毛が薄くなったK君を発見した。
時間の経過は時に残酷な姿を映し出す。女の子に人気のあった彼も初老になり、どこにでもいそうなオヤジに変わっていた。
そういう私も、若き頃は偉そうなことばかり言っていたが、心がモヤモヤなまま幸せを追い求める覇気のないオヤジであった。髪の毛の密度は彼の倍以上あった。しかし心はスカスカだった。私はいつものセリフを言った。
「スレイヤー、まだ聴いているよ」
たしかに、時々思い出したように”Reign in Blood”や”Seasons in the Abyss”をターンテーブルに乗せていた。 しかし、私は音楽を聴いているようで聴いていなかった。K君が「10年後の君も…」と私の卒業アルバムに書いた時のような気持ちで音楽を聴くことは、私にはできなくなっていた。
スレイヤー、まだ間に合う
私のモヤモヤがひどくなったのは40を過ぎてから。長年にわたる物理的な負荷が年をとって体のあちこちに現れるように、心の負担も蓄積されれば正常な機能を失ってしまう。
私は「心の負担」と書いたが、それほど大げさなものではなく「考え方のクセ」程度なのかもしれない。長年にわたる私のそういったクセの蓄積が、私に分相応の幸福を感じさせることの妨げになってきたのだと思う。
実際に私は恵まれた人間であった。しかし、いつもモヤモヤしていた。今から思えば、凝り固まった考え方のクセを時々掃除してあげることが必要であったと思う。そして、その掃除とは、今私がやっているように自分の心を目の前に書き出して客体化させること。
昔のように素直に音楽を聴けないのは、心が凝り固まったいたからである。CDを手に取る前にふと考える。
「今こんなことをしてよいのだろうか。語学をするべきではないか」
「まだ読んでいない本があるのではないか」
「明日の仕事が少しでも楽になるような準備ができるのではないか」
数えだしたらきりがないくらい「~するべき」の思いが湧き上がってくる。「効率よく」にとらわれ過ぎた思考では、何も考えずに音楽を聴くことは「非効率」な行為になってしまう。
音楽だけではない。私はこの10年以上テレビドラマを見ていない。映画に行ったのも、3年前に妻と見た「ボヘミアンラプソディー」が最新だ。
落語も大好きで、神戸に繫盛亭ができたら絶対に行こうと決めていたのに未だ行っていない。読みたい小説も数多くあるが、つい素早く読めるノンフィクションを手に取ってしまう。
ツーリングやドライブに行こうとしても「この時間で何か役に立つことができるのでは」と思えば足が止まってしまう。
40代の私は「効率よく」に取りつかれて、”無駄な”ことに一歩が踏み出せなくなった色気のないオヤジである。そのオヤジが人生の折り返し地点を過ぎてようやく考え始めた、「私にとって幸せとは何だろう」と。
今思うことは2つの張力を調整する力をもつこと。
1つ目は「未来のこうありたい自分」へ引っ張っていく力。
2つ目は「何も考えんと今を楽しもう」へ引きずられる力。
私は今まで1つ目の力が強すぎ、1つの極へくっついていた状態であった。だから2つ目の力を鍛えて中間地点へと引き戻す。2つ目の力の中には、私が”無駄なもの”や”非効率なこと”ととらえていたものが多く含まれる。
ブログを書き始めてもうすぐ3年。だいぶ中間地点へと戻りつつあると感じている。文章を書くことの効果をしみじみと感じているので、これからも心の調整を続けていく。
今度はいつになるか分からないが、K君と再会できたら、心の底から笑顔で言いたい。
「30年経ったけど、スレイヤーめっちゃ聴いてるで!」