10年後!?

診察室で

「この機械って、お腹の子どもの姿が見られるやつですよね?」

息子たちが妻のお腹にいた時、エコーで姿を見た経験を基に、私は医者に話しかける。

かかりつけ医は、そっけなく「そうですよ」と言いながらも、私のほうを見るわけでもなく、モニターに集中する。

医者が見ているものは子どもではなく、私の肝臓だ。

薄暗い診察室の診察台の上、シャツを胸まで上げた私のお腹の上を、先端にジェルが付いた機械をゆっくりと動かしていく。ぼんやりと見える白黒のモニターに、私の肝臓の輪郭が見える(ような気がする)。

素人の目からすれば、それがどのような状態なのかは分からない。医者は何も言わず、表情を変えず、淡々とセンサーを動かしながらがモニターを見つめる。

夏に行った健康診断の結果が返ってきた。血液検査にいくつか三角の印がついていた。かかりつけ医に見せると、「エコー使って検査しましょう」ということになった。

十数年前、エコーを受けながら、新しい命の存在を目にする妻は幸せそうな表情をしていた。私も嬉しかった。自分が親になる。この子に兄弟ができる。幸せを映し出すエコー。

それに引き換え、私が受ける初めてのエコーは、気が重い。「肝臓よ、無理をかけ続けてごめん」今更ながらにそんな気持ちになる。実際に、今年は例年に比べて休肝日が少なかった。

「肝臓が腫れています。脂肪肝です。とりあえず、5キロ体重を落としましょう」

ここまではよかった。

「お子さんいくつですか?10年後、健康でいたいでしょう?」

「じゅーねんご!?」

私はその数字に思わず反応した。

「そこは『30年後も健康で…』じゃないんですか?」

私は心の中で聞き返した。

「10年、10年、10年…」

私の頭の中からこの言葉が消えない。今のままの生活習慣でいるのなら、10年後は健康でいられないと医者は言いたいのだろうか。

私は、天才漫才師・横山やすしの話を思い出した。

若い時分から大酒を飲みつづけた彼は、医者に「こんな飲み方してたら10年で死ぬ」と言われたらしい。そして、それからちょうど10年後、彼は本当に肝臓を悪くして亡くなってしまう。しかも、決して幸福とはいえないような状況で。

ブログを始めた理由

「10年後、健康でいたいでしょう?」

その言葉の意味をどう解釈すればよいのだろうか。

肝臓は、脂肪肝⇒肝炎⇒肝硬変⇒肝臓がんの順番で悪化していくという。それを一本の道に例えるなら、私は今、インターチェンジから肝臓がんへの道へ乗り入れたところか。

たぶん、この道には分岐やUターンをする場所がまだ残されている。「脂肪肝はきれいな状態に回復できる」と聞いたことがある。同時に「肝硬変になったら元に戻らない」ということも。

となると、最後の分岐やUターンは、脂肪肝と肝炎の間か。先生のいう「10年後」とは肝炎を通過する時期だと、私は解釈した。自分でも甘めの解釈であるとは思うが、小心者の私は、その場で「それはどういう意味ですか」と聞くことができなかった。

思えば私がこのブログを書き始めたのは、自分の寿命を意識してのことであった。

40半ばに差し掛かった私は悩んでいた。私はどうして心から幸せを感じることができないのだろうと。

家族、仕事、健康、条件は全て揃っている。むしろ恵まれ過ぎていると思うほどであった。

それなのに、私の頭の中はモヤモヤしていて、ネガティブな考えが頻繁に湧き上がる。「常に」ではない。よい気分のこともある。ただ、マイナスの気持ちの方が数は多い。

それは野球に例えると、ボール先行のピッチングのような感じである。ストライクも入りフルカウントになるが、結局最後はフォアボールになる、そんな気分で過ごしてきた。

平均寿命プラスアルファで90歳まで生きるとして、当時の私はその折り返し点を過ぎようとしていた。

私は焦った。「こんな気持ちのまま、あと人生を半分過ごし、そしてこの世から消え去っていくのか」。恐怖にも似た気持ちであった。

「書くことで心の調整、幸福を感じることができる状態にチューニングしよう。そうしないと、私の人生は…」私は、すがるような気持ちでブログを書き始めた。

書くことは確かに私の心を変えてくれた。ブログを書き、文字になった自分の心を眺めるうちに、自分のやりたいこと、自分に対して周りが行ってくれたことが見え始めた。書き始める前は無かったワクワク感を感じることも多くなった。

このままブログを書きつづけ、新しいことを楽しみながらするうちに、私は心から幸福であると感じることができる、そういう道筋が見え始めた。「自尊心」というキーワードが浮かび上がってきた。

しかし、それもこれも、あと私の人生は半分ぐらいはあると、無意識のうちに前提条件を付けてのこと。だから、検査の日、先生が「30年後も健康でいたいでしょう?」と言ってくれれば何の問題もなかった。

今年は2021年。10年前といえば、東日本大震災があった2011年。振り返るとほんの少し前のことのようである。東日本大震災どころか、26年前の阪神淡路大震災も、今となっては昨日のことのように感じられる。

過ぎてしまえば、今までの時間なんか一瞬である。おそらく今から10年後も、30年後も同じことを感じるのであろう。

他力本願

2か月ほど前、このブログでお酒に関する記事を書いた。

限られた時間の中で思うように生きようと考えるなら、私はお酒との付き合いを考えていかなければならない。いろいろ考えても、目の前の飲みたい気持はリアルだから先人の知恵・他力にすがりたい、そんな内容であった。

あれから何冊かのお酒に関する本を読んだ。お酒をやめる、またはお酒とうまく付き合っていくための本だ。

お酒の問題は、体というより心の問題であることが分かってきた。心が整えば、欠乏感を埋めるためのお酒を飲まなくても済む。休日だからとか、今日は嫌なことがあったからとか、夕食が焼き鳥だからなど、何かと理由をつけなくても済む。

心を整えるのは言葉と習慣である。自分自身に対しどんな言葉をかけて、どんな体の動かし方を行うかだ。この辺はブログを書くうちに徐々に分かってきた。

本を読んで以来、少しずつ休肝日が増えてきた。「別に無理して禁酒をしなくてもよい。飲みたければ飲めばいい」そう考えると、逆に肩の力が抜けて飲まなくても過ごせるようになった。やはり他力にすがる方がうまくゆく。

今回の検査は、そんな他力本願の私に対しての更なる応援の一撃であった。

私は今、何か大きな力を感じている。「自分で頑張らない」と決めた瞬間に、それでも上手くいくための手段が向こうからやってくる。しかも、肝硬変や肝炎という悪い状態ではなく、脂肪肝という微妙にちょうどいい感じで。

「お酒と食べる量を減らし、運動量を増やし、今より5キロ体重を減らす。すると肝臓の状態も高めの血圧も改善する。」

先生はそうおっしゃる。

これは簡単そうに聞こえるが、私のマインド変化を要求する大きな課題である。なぜなら、一時期体重を減らせばよいというものではなく、その状態を維持し続けなければならないからだ。

年をとるほどに人の基礎代謝は落ちていく。つまり、それほどエネルギーを取らなくてもよいということだ。そして運動能力も下がってゆく。それは、カロリーを減らしにくい体になることを意味する。

そんな状態の中「食べる」「飲む」という、人にとって最も幸福を感じやすい分野に制限をかけていかなければならないのだ。これを”制限”と感じているうちは失敗するであろう。だからこそマインド変化が要求されるのだ。

さて、これからどうやって心を調整するのか。週4日はお酒を飲まなくて、腹一杯食事をしなくても幸福を感じ続ける状態。簡単ではないが、それは10年後の美味しいお酒と料理、それをフルに味わうことができる健康な肝臓を担保にしている。

先生の口から「十年」という言葉がでなかったら、逆に、マインド変化の重要性まで思いが至らなかっただろう。予想外の言葉にショックではあったが、他力をありがたく受け取りこれから頑張っていこうと思う。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。