20年で初めて

イタリア語

詳しいことを書くと私の素性が分かってしまうので書きません。適切な時期が来れば説明していこうと思っていますが、今のところは私がイタリア語を始めた理由は伏せておきます。

ともかく20代の半ばに、私はこの言語を学びたいと思い、それ以来学習を続けてきました。「続けてきました」と書きましたが、大雑把に私の人生を俯瞰すると「続けてきた」ように見えますが、視線を近くに合わせると、その期間と内容はブツブツと分断されたいます。

確固たる目標や方法があるわけでもなく、私は迷走を続けながらこの言語と付き合ってきました。

NHKラジオ講座のテキストは買っていました。最初は「基礎編」を行っていました。ストリーミングもまだ始まっていなく、毎月CDを買うのももったいないと思っていた私は、決まった時間のラジオ放送だけが学習時間でした。

1日3回の放送でしたが、仕事をしながら、そう都合よく放送時間にラジオの前にいることはできません。夜の放送も、お酒を飲んだ後か疲れて寝ていて、ほとんどやった記憶がありません。

NHKのテキストは、たいていは最初の2ヶ月で買わなくなりました。2005年ぐらいまでは、こんな感じでした。

ラジオ講座の他には、数冊のテキストブックを持っていました。NHKの講座をまとめた「実用文例800」と「イタリア語検定4級突破」をよく持ち歩いていました。

子どもが小さいうちは家で学習することはできません。私は仕事帰りに喫茶店に行き勉強をしました。3級を取得するまでは、こんな感じでラジオ講座と数冊のテキストで勉強しました。

こう書くと、3級取得まで毎日学習しているように思えるかもしれませんが、その実は「2日学習 ⇒ 1週間何もしない ⇒ 5日学習 ⇒ 5日何もしない…」このような感じで、継続こそ重要な語学学習において、穴の開いたコップに水を入れるような非効率なものでした。

3級取得は、2008年頃だったと思います。その後も、私はダラダラとイタリア語の勉強を続け?ました。今、当時を思い返しても、私は楽しんでやっていたのかどうかよく分かりません。

その後、2012年だったと思います、私はラジオレコーダーを購入しました。そのころ、ネットによるNHKのストリーミングサービスも始まっていました。私は、ようやく、買ったテキストをすべて行うようになりました。レベルは「基礎編は簡単すぎるが、応用編は分からない」という中途半端なところでした。いわゆる、壁の前に立った状態です。

ここまで書いた文を読み返してみると、ダラダラとまとまりのない文章が続いています。この文章、まさに私とイタリア語との関係をよく表しています。

「嫌い」とはいえません。「好き」ということはできます。それじゃあ「どれぐらい好き?」と聞かれてもはっきりと答えることができません。

この類まれな力強い音楽的な言語は、音読をするとメチャクチャ気持ちが良いのです。しかし、その素晴らしい言語はとにかく文法が複雑なのです。イタリア語をやってよかったと思うことの一つが、英語の文法のシンプルさを浮かび上がらしてくれることです。

法と時制の複雑さ、人称による動詞の活用変化、名詞の性と形容詞の変化、主語の位置の曖昧さ、少し学習をさぼると、私を容赦なく遠い場所に置き去りにしてくれます。

私は、そのような言語と、こんなにも長い間つかず離れず、ズルズルとした関係を続けてきました。

語学の沼

「なんて難しい言語なんだ」「どうしてこんなに身につかないのだろう」私は毎日のようにこんな気持ちになりました。

そう思うのならいっそのことイタリア語の学習をやめてしまえばいい、このことも数限りなく思いました。他にやりたいこと、読みたい本、聴きたい音楽、全てあります。

それらのこととイタリア語とを天秤にかけ、自由な道を歩もうとするのですが、結局はもとの道に戻ってしまいます。

私は、失うことが怖いのです。今まで積み上げてきたものを失うことが。これまでの人生の中で費やした貴重な時間に対し「意味がなかった」と自ら判断することが。

始めたばかりの頃なら簡単に捨てられたかもしれません。しかし、途切れながらとはいえ、これだけ長い間行ってきたことを切り捨てることは、そう簡単にはできません。スポーツのように、体力に関係するものならあきらめもつきますが、語学は私の年になっても十分学べます。

本当に「語学の沼」に足を取られた状態です。抜け出したいけど抜け出せない。しかも、その沼は時に、温泉のように温かく、居心地がよかったりもします。

音楽や広告に使われるイタリア語の意味が理解できたり、動画を見て内容が分かったりすると、たまらなく嬉しい気持ちになります。

「今、私は日本語と英語以外の第三の言葉で世界を知ろうとしている」

そう考えるとかなりワクワクします。この国で普通に育った人間は、母国語に加えて少し英語が理解できる状態が一般的です。英語で書籍を読んだり、ニュースを聞いたりする人は1割に満たないでしょう。その状態プラスもう1言語を理解するとなると、100人に1人いるかどうかです。

そう考えると、私は他人とは異なる世界を見られる恵まれた人生を歩もうとしていることになります。そのことは分かるのですが、なかなか気持ちの整理がうまくつきません。

まあ、こういう風にモヤモヤといろいろな思いを持ちながらイタリア語を続けてきました。始めた時に立てた目標は「イタリア語検定2級」の取得でした。その理由は2級の能力に「大学の専門課程を卒業する程度」と書かれていたからです。

「独学で、大阪大学外国語学部イタリア語学科卒業と同じぐらいの学力をつけることができればすごいな」と思いました。関西には他にも、関西外大・京都外大・京都産業大にイタリア語の専門課程があるのですが、ここでは大阪大学としておきます。

現役時代にはとてもじゃないけど手の届かなかった大学です。その大学で学ぶ内容に独学で挑もうとしていると考えると、愉快ではありませんか。

私は3回目の試験で準2級に合格し、相変わらずとぎれとぎれではありますがイタリア語の学習を続けました。

2級への道

10月3日、私は大阪の天満研修センターにいました。10月第1日曜は2級以上にとっては、年に1度のイタリア語検定の日です。そして、大阪ではたいていこの場所で試験が行われます。

私は、この場所を訪れた過去数回の私の姿を想像しました。人間の中身は全く変わっていないように思うのですが、イタリア語の力は初めてここに来た時とは雲泥の差があるはずです。

「よく今までやってきたな」という思いと「同じことをまだやっているのか」という気持ちが混ざり合います。

2級試験会場に用意された席は約30名。関西でイタリア語検定の会場はここと京都の2カ所だけです。この言語を学び、2級受験のレベルまで続ける人がいかにレアなのかということを示しています。

私は2時間の試験を受け、梅田までゆっくり歩きました。

「これからどうしよう」「何を捨てて何を得ようか」そんなことをずっと考えながら歩きました。

YouTubeなどでかなりリスニングの力がついていると思っていました。実際に、全く歯が立たなかったラジオ講座の応用編も、今では楽しみながら行っています。

しかし、この日、2級のリスニングの多くの問題で、何を言っているのか分かりませんでした。試験開始から10分で、今回の試験で合格することはできないと思いました。

「これからイタリア語とどんな関係をつづけていけばよいのだろう」

ゆっくりと歩きながら、頭の中で考えをめぐらせます。緊急事態宣言の開けた梅田は人で溢れています。そんな中私は、少し寂しさを抱えながら歩みを進めます。

家に帰って、私は1枚の白紙を前にしてブレインストーミングを始めました。

「試験の出来が悪かった。どうする?」

最初の行にこう書き、そこから気持ちを整理していきます。

紙の余白が無くなるころ、私は「学習をやめるという選択はない」という結論に達しました。使おうと使うまいと、意味があろうとなかろうと、こうなったら意地でも続けようと思いました。

確かに、以前準2級の試験で失敗した時と今回を比べると、試験を受けながら明らかに異なることを考えている私が見えました。

以前は、試験中に自分を責める気持ちでいっぱいになりました。

「お前が勉強をしないから悪いんだ。中途半端な気持ちで取り組むな。この試験が終われば、心を入れ替えてやり直せ!」

私は半ば自らに怒りを感じながら、このような言葉を自分に投げかけていました。しかし、感情に身を任せて努力を続けようとしてもうまくいくものではありません。思うように勉強できない日があれば、また自分を責めることで、感情をコントロールします。

この日は、分からないながらも、不思議と心が落ち着いていました。「私にはまだ高いハードルだったのだなあ」そう思うと、発想が「次に何をしたらよいのかと」いう方向にむかいます。

私は白紙の真ん中、縦に1本線を引きました。

左側には「これから行うこと」、右側には「これから行わないこと」を書きました。

「行うこと」の欄に、イタリア語を始めて約20年の中で、初めてのことが書かれました。

それは「イタリア語の教室に通う」でした。

私は今まで思い込みでガチガチになった頭を持っていました。それは、独学で勉強することはよいことだ、ということです。心の中に「誰にも頼らずに勉強して大学の専門課程と同じ能力を身に付けた」と自慢する未来の自分を描きながら、独学を続けてきました。

少し離れてみると本当に嫌な奴だと思います。しかし、その「嫌な奴」も自分に他ならないので、頭を柔らかくして、あたたかく認めてあげようと思います。

私は今日、イタリア語学習開始から約20年にして、初めて他人に教えを請いに行きます。イタリア語教室の体験クラスに行ってきます。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。