春は遠し
今年のイタリア語検定2級の結果が発表された。予想通り1次試験を突破することはできなかった。10月1日の午前10時20分、私は頭の中が真っ白になっていた。リスニングの最初の問題、話の内容を3つの絵から選ぶ問題が4つとも何を言っているのか理解できなかったのだ。
昨年のリスニング問題はほぼ満点だった。過去問を解いても、この最初の問題は余裕で解けていた。しかし、それが今回全く頭に入ってこなかったのだ。私は焦った。しかし最初からあきらめるわけにはいかない。深呼吸をして残りの問題に集中した。それでも、リスニングの手ごたえは薄かった。今まで行った過去問のどれよりもできないと思った。
イタリア語検定協会の「マイページ」に各パートの結果が表示される。意外なことに自信のなかったリスニングパートは合格基準点に達していた。今まで合格点に達したことのなかった作文も今回はギリギリ12点を取れていた。問題は筆記試験であった。あと2点だった。去年は作文が2点足りていなかった。点数だけ見ると、私は1年間成長していないことになる。
この4年間を振り返ってみる。
2020年
語学を含めいろいろなことに対して「しなければならない」という気持ちに取りつかれて苦しんでいた私は、その縛りから決別するために英検とイタリア語検定を受けることを決意した。
英検1級とイタリア語検定2級に合格すれば、自分の力の無さを嘆き語学学習に取りつかれることもないだろうと思った。英検1級はこの年合格した。ただ、イタリア語は年度の途中に始めた日商簿記3級を優先したので受験しなかった。妻と一緒に受験した簿記は共に合格することができた。
英検1級に合格したものの「しなければならない」は消えなかった。相変わらず自分は英語ができないという気持ちに取りつかれたままであった。
2021年
初めてイタリア語検定2級を受験した。試験が始まってすぐに不合格を確信した。今の私の力では無理だと思った。この時、今までのようにできない自分に対して憎しみの気持ちが湧かなかった。ブログを書き続け、心を調整してきたことの効能だと感じた。
今まで全て独学で学習してきたが、そのこだわりを捨て週に1度イタリア語を習いに行くことにした。新しい出会いもあり「どうして今まで私はこんなにも硬直した心だったのだ」と思った。
この年は全国通訳案内士の試験も受けて合格することができた。こちらの勉強にもかなり時間をとられたので、イタリア語学習の時間が不足していた。次の年はイタリア語に集中しようと思った。
2022年
仕事は忙しいが隙間時間を利用して勉強した。2級と準2級の過去問を3年分買ったが、結局試験直前まで解くことができなかった。「2級問題集」を三度繰り返す目標も立てたが、二度が精一杯であった。忘れたころに解くと、同じ問題を間違えてしまう。頭の老化を感じる。
作文で基準点を取るために例文をたくさん覚えるようにした。
「結構いけるかも」という感触で臨んだ試験。リスニングと筆記は余裕で基準点に達していた。しかし、作文が10点であった。私は信じられなかった。前年のいい加減に書き散らかした作文と同じ点数だったのである。今回はかなり丁寧に構成も考えて書いた。字数も十分であった。しかし昨年と同じ点であった。採点の基準がよくわからない。私は沼にはまったような気がした。
2023年
余裕で合格してやろうと思った。過去問を買い増し定期的に解いた。筆記、リスニング共に合格点を取れるようになった。例文集の800の文をほぼ覚えた。加えてプラス500を別の例文集で覚えようとした。作文の力は確実についたと思った。基準点の12点は余裕でクリアできるはずだ。
「1次試験が終わったらひたすら会話集を音読して、2次に備えよう。合格したら台湾語を復活させようか」そんなことを思いながら受けた1次試験に私は落ちてしまった。
前向きです
試験を受けた感触から分かっていたものの、不合格通知を見るとさすがにがっかりした。私の受験生のような生活がまた1年延びた。「また一年かあ」という気持ちもあるが、自分が望んでやっていることでもある。逆に「こんなオヤジになってまで高校生のように打ち込める勉強があるのも幸運なことかも」という思いもある。
あと10ヶ月半、今度こそという気持ちで勉強を続けていくが気負ってばかりでもだめだと思う。今までの私は「語学」にフォーカスし過ぎていて、その背景にある文化を楽しむ余裕がなかった。
私はマッテオ・インゼオのエッセイと、ウンベルト・エコーの「いいなづけ」を購入した。それに加えて伊伊辞典も通販で手に入れた。
マッテオ・インゼオのエッセイを最初から読み、分からない単語があれば伊伊辞典で調べる。それだけでは確信が持てないので伊和辞典も併用する。同じ単語を二度調べることになるので時間はかかるがその分頭に残る。現在は一通り調べ終え、ダウンロードした音声と共に電車の中で繰り返し読んでいる。
これからの展望を考えてみる。
「いいなづけ」はエッセイのように簡単に読むことはできないだろう。文学作品であるからだ。しかし、これを読むことは私のイタリア語をそしてそれを通じて見ることができる景色を確実に変えてくれると確信している。それは英語でも同じことが起きたからである。
私の読む洋書はノンフィクションが中心で文学作品をほとんど読んでこなかった。それでもグレートギャツビーやロンググッバイを読んだ後は、その日から違う世界に生きているような気持ちになった。
イタリア人なら知らない人ないない「いいなづけ」が私にどんな変化をもたらしてくれるのか楽しみである。
この2冊を起点にしばらくはイタリア語の本を読んでいこうと思う。幸いなことにNHK出版から何冊かイタリア語のエッセイが出版されているので、それら手に入るものから読み進める。
過去問をもっと手に入れて解く必要があると感じている。今回は筆記が2点足りなかったので、問題で問われる文法事項やイタリア語でとにかく大切な前置詞についての理解を深めていきたい。10回分ぐらい解けば大抵の範囲は網羅できるはずだ。
そして作文に関してはもう一度根本から考えて見なくてはならない。過去3回分の私の得点を見ると、文章の複雑さや内容よりもミスをしないことの方が大切なのではないかと思うようになった。単純な文章でよいから、つづりや文法の間違いをせずに丁寧に積み重ねていくほうがよい得点が採れそうな気がする。
しかし、そうはいっても模範解答はそんなに単純な文章ではなく、私からしたらとてもレベルが高い構成になっている。いったい何が本当なのかわからなくなるが、表現力が豊かで間違いのない文章を書くことができれば確実に高い点を取ることができるであろう。私のとりあえずの目標は2級の取得であるが、それが最終ではない。
美しいイタリア語を使えるようになりたいし、少しはイタリア語でモノを考えられるようになりたい。それは英語に対しても同じである。私が外国語を学ぶ理由は私が見える世界を切り取る枠を増やしたいからである。そしてその枠から最終的に見えてくるものは、外ならぬ自分自身だという根拠のない思いこみがある。
さて、とりあえずあと1年頑張ってみよう。あまり試験にとらわれ過ぎず、同時にイタリアの文化を味わうことも忘れずに来年の10月第1日曜を目指していきたい。