終戦記念日
毎年8月に入ると戦争に関する報道が増える。新聞を流し読みしていると、戦争体験者のインタビューや手記が多数掲載されている。これらが目に留まるとき、私は二つに引き裂かれた気持ちになる。
一つは戦争体験者の経験と思いを受けとめたいという気持ち。
もう一つは辛すぎる経験を聞きたくないという気持ち。
私の気持ちは揺れ動き、その時の状況によって記事を読んで涙を流したり、当たり障りのない別の記事を探してページをめくったりする。割合で言えば、そのまま戦争に関する記事を読んでしまう方が多い。戦争体験者のお話は死と切り離すことができない。そしてその死の匂いが、少しの葛藤の後、私を約80年前の世界へと引き込んでいく。
ここ数年は兵士として従軍した人の話が減ったと感じる。その兵士を送り出した家族の話も同様である。終戦から77年が経過し、当時20歳だった兵士も現在は97歳。記憶を明確に思い出し、それを筋道立てて話すことは難しい年齢だ。
従軍した兵士に変わって、父親を知らない子どもや、母や親戚から伝え聞いた父親の様子を語る記事が増えているように感じた。戦前・戦中に生まれた人はとうに2割を割っている。その中で戦争体験を語ることができる人はいったいどれだけいるというのだろうか。
私が「戦争を怖い」と思い始めてからもう40年の月日が流れた。小学校の図書館で偶然見た年鑑。1965年あたりだったと思う。ベトナム戦争の写真が載っていた。肩から下の無いアメリカ兵の写真だった。私は「こんなことが世の中にあるのか」と思った。
そこから戦争に関する本や記事に対しては人一番敏感になった。いろいろな本を読んだ。戦争とは、端的に言うと、殺し合い奪い合うこと。必ずそこには「死の匂い」が漂っている。
私が死に対して異常に考えて込んでしまうのも、この「死の匂い」にひかれて、戦争についていろいろ知ろうとしてしまったからかもしれない。
そのようなわけで8月がやってくると、私の頭のかなりの部分は戦争のことで一杯になる。ブログを書き始めて3年以上たつが、8月は毎年同じようなことを書いていると思う。
備前焼き
昨日「Japan News」を読んだ。「Daily Yomiuri」のころと比べるとずいぶんと薄くなってしまったが、ネット時代に貴重な英字新聞としてたまに目を通している。
ページをめくりながら一枚の写真が目に留まった。手りゅう弾が写っていた。しかし、何かが違う。記事を読んでみて理由がわかった。それは備前焼きで作られた手りゅう弾だったのだ。
作ったのは後に人間国宝となる陶芸家であった。戦争が終わり、破壊しようとしたが残ったものがあった。それが後に発見されて、博物館に寄贈されたという。
手りゅう弾は、爆破実験はされたものの実戦で使われることはなかったという。手りゅう弾が配備される前に戦争が終わったからである。
私は考える。毎年考える。去年の記事にも書いたと思う。
「あと1年戦争が早く終わっていたなら…」
使える鉄が無くなっても、焼き物で手りゅう弾をつくろうとしていたのだ。どこで、何のために使う?海上の機動部隊が壊滅して、制海権と制空権を奪われ、連日敵機が空を舞う中、焼き物でできた手りゅう弾をどうしようとしていたのだろうか。
歴史は複雑系で、さまざまな要素が絡み合いすぎているため、後付けの知識でその是非を判断することはためらわれる。それは分かるのだが、この最後の1年間の日本の戦いぶりを考えると悔しくてしょうがない。
もう勝負はずいぶん前に決していたはずだ。大切な人の命がもっと救えなかったのかと思う。新聞の写真を眺めながら、私はしみじみとそう思った。
8月16日
今日は終戦記念日の翌日、8月16日。私は初めての空想を行っている。それは、77年前の今日を迎えた人の気持ちに思いを馳せること。もちろん、人の感情は一人一人異なっている。しかし、77年前の8月16日に、多くの人が共通して抱いた気持ちがあるのではないかと思う。
今までは戦争中の人々の気持ちに共感しようとしてきた。記事や資料を読み、戦地で戦う人、銃後で大切な人を待つ人々の気持ちに寄り添おうとすることが多かった。
今、私は空想する。人々は77年前の8月後半をどのような気持ちですごしていたのであろうか。
日中戦争から考えると、日本はすでに8年間も戦争を行っていた。歴史をさかのぼれば、政党政治が終わり軍部が台頭して15年間も重苦しい時代が続いていた。
若者が兵隊にとられ、白木の箱に入って帰国する。その数がどんどん増えていく。どの村や町内でも、そんな戦死者の数が増えていく。物資が制限され、食べ物が無くなり、やがて街が空襲によって焼き払われていく。
戦死者は戦地で命を落とすもの。無差別空襲の前ではそのような言葉は通じない。目に見えてすべてが悪くなってくる。銃後の人々にも一日一日死が近づいてきている。
そんな中で玉音放送を聞き、迎えた8月後半。
もう空襲に怯える心配はない。家族が戦地にいるのなら、この日以降戦闘によって命を落とすことはないであろう。とりあえず、助かった。
神国日本は、大東亜共栄圏は、皇軍は、臣民はどうなるのだろう。
戦争に負けたということは戦った相手に支配されるということ。その敵はまだ目の前にいない。しかし、いつまでもいないということはない。必ず私たちの目の前に現れて、私たちに今まで想像しなかったようなようなことを要求するであろう。
とりあえず、今は戦いはない。しかし、明日も想像することはできない。
このように私は空想する。今まで積み上げてきた価値観が180度変えられるまでの僅かな時間、人々は何を考えたのであろうか。私が今まで生きてきた半世紀の中で、このような特別な期間はない。これからもないことを願っている。
そのためにも、もう本当に少なくなってしまった、この時代を生きた人々の声に耳を傾ける必要があると思う。