2022年最後

大和イタチ

私は「大和イタチ」という名前でこのブログを書いています。もちろん、私の本名ではありません。2019年の6月、ブログを始めるにあたって考えた名前です。

本名で書かなかったのは、これが「モヤモヤに悩みつづける自分を、書くことによって治療するブログ」であり、そんな自分を周りに知られたくないという理由も当然あります。

現在は驚くほど個人情報が大切にされる、つまり”自分と関係ある”人以外には個人に付随する情報が隠される時代であります。かつてはそれぞれの場所に名簿がありました。学校には生徒名簿、職場では職員名簿というふうにです。

名簿を見れば名前以外にも住所と電話番号が分かりました。情報は「知られるから価値がある」という前提です。ただ、そこへアクセスできる人は限定されていましたし、その拡散となると、できたとしても多大な手間と時間と費用を要しました。

今、極端に個人情報が大切にされるということは、その不必要な拡散が容易になっていることの裏返しであり、それによって傷つく人が出やすい現状を示しています。

そのような時代にあり、私も不必要なことで心を悩ませたくない、そういう思いで私は「大和イタチ」を使っています。

ブログでこの名前を使う理由はあと二つあります。

一つ目は、記事を書くにあたって私以外の人がもう一人必要であるということです。

大和イタチとは私でありながら私とは異なる存在です。モヤモヤしている私を、少し高い位置から眺めています。自分が切羽詰まって悶々としているときも、そんな可哀そうな自分を冷静に見ている存在です。

つまり、大和イタチは私のアルターエゴとしての役割を果たしています。実際には、どちらがどちらなの私なのか厳密な区分はなく、時には混ざってしまうこともあります。

しかし、そのようなもう一つの足場を持つこと、つまり自分を客観視したい時に登ることのできるハシゴを手にすることで、気持ちにずいぶんと余裕ができます。

私にイタチが話しかけ、そのやり取りがブログの文章となり、さらにそれを読んでくださる皆さんがどのような気持ちになるのか、皆さんにどんなツッコミを入れられるのか、それらを想像しながらキーボードをたたいています。

二つ目の理由は、言葉が現実を作り出す力を信じてのことです。

言葉には力が宿ります。それは現実を作り出すほど強力な力です。それは、私たちは言葉によって現実を切り取っているからです。言葉の運用が心を作り、その心の状態により、混沌とした目の前の世界の意味が切り取られます。

自分のアイデンティティーは一つでなくてはならない、いわゆる「本当の自分」思考は現代特有の奇癖であると私は考えます。昔の人は、必要に応じて名前を変えたり使い分けたりしていました。アイデンティティーは一つでなくてもよかったのです。

網の目のような関係性の中で、その繋ぎ目となる点を二つ持ち、その両方から世界をみること、それを可能にするのが名前を複数持つことで得られる言葉の力だと思います。

「私の本名」での思考・振舞いと「大和イタチ」でのそれらは、同じようで少し異なっています。実は、私はここでは公開していませんが、もう一つの名前を使っています。

それは「私」と「大和イタチ」よりも少し離れた存在であり、キャラクター設定を最初に行い、その設定に合わせて振舞うようにしています。詳しくは述べませんが、第三の名前は仕事をする上で必要に応じて設定しました。結果は良好で、ここでも言葉の力を感じています。

話がややこしくなって申し訳ございません。

今年を終えるにあたって、私のブログを読んでいただいている皆さんに「大和イタチ」について少し詳しくお知らせしようと思い、書かしていただきました。

私の周りにあるもの

「大」も「和」も私の好きな漢字です。そして、私はこの「大和の国」日本が大好きです。四季が豊かで、歴史や文化の多様性があり、食べ物がおいしく、安全で社会保障の整ったこの国で生まれ育ったことは本当に幸運なことだと思います。

そんな幸運に恵まれながらも、私はモヤモヤし続けてきました。国という枠組みだけではなく、私個人の周りをみても同じことがいえます。

私は恵まれています。

人が生きていく上で最大級の悩みは「人間関係」でしょう。家族間で、親戚と、友人たちと、職場の人々と、さまざまな場面で人はトラブルを抱えて悩みます。愚痴のほぼ全ては人間関係に由来すると言ってもよいのではないでしょうか。

私には家族がいます。妻と知り合い息子たちにも恵まれました。時に小さなイザコザはありますが、それも家族の旨味の一つという程度です。私の両親や妻の両親との関係も良好で、離れて暮らしていますが、お互いに気を使い合っています。

友人も、それほど多くはありませんがいます。何をもって「よい友だち」というのかは不明なのですが、長年付き合いのある友人たちと節度を持った関係を続けています。

仕事にも困っていません。私は自分がやっていることが好きですし、完全週休二日とはいきませんが、工夫すればそれなりに休みを取ることができます。給料も、贅沢をしなければ充分暮らしていけます。

趣味に関しては、私は自分でもいろいろと興味を持って取り組んでいると思うことができます。それは、このブログの記事のカテゴリーを見ていただければわかると思います。やりたいことがありすぎて時間が足りないくらいです。

健康については、今のところ大丈夫です。大きな病気をしたこともなく、毎日元気に暮らしています。ただ、お酒が好きなのが気になります。去年、腹部エコーを受けて脂肪肝と言われました。尿酸値や中性脂肪も気になります。年をとってもサウナを続けるため、またバイクや鉄道で旅をし、美味しいお酒を飲み続けるためにも、健康に気をつけていこうと思っています。

こういう風に私の周りにあるものに目を向けると、何の不足も感じることがありません。それなのに、私はずっと満たされない気持ちでモヤモヤとしていました。「このままの気持ちで年を重ね、やがて死んでいくのか」そう思ったとき、何ともいえない恐怖を感じました。

「自分はもっと幸福感を感じながら生きられるし、そういう気持ちにならないのは私を支えてくれる周りの人にとって失礼である」そう思いました。

ブログを書こうと決めたとき40代半ばをむかえていました。これから人生の後半戦を幸せを感じながら過ごすには、もうギリギリの年齢だと思いました。

「いたちの最後っ屁」という諺があります。広辞苑を見て見ます。

鼬(いたち)が追い詰められた時、悪臭を放つこと。転じて、せっぱ詰まって最後に非常手段に訴えること。

広辞苑 第五版

私が「イタチ」という名前を使っている理由の一つは、このブログが私にとって最後の非常手段であったからです。「このままではダメだ」と感じた3年半前に放った最後っ屁でした。

今でも私は最後っ屁を放ち続けています。しかしその臭いは、だんだんマイルドになっています。

自分を守るために文章を書き続けた結果、三年半前の恐怖は消えていきました。書き続けることで自分を苦しめてきたもの、逆に苦しみから助けてくれるもの、そのようなものが見えてきました。

「生老病死」「自尊心」「思いこみ」「執着」「利己と利他」「無意識と有意識」「言葉と世界」

これらと上手に付き合っていくことで、私はおならを放つことなく、分相応の幸せを感じながら人生を送ることができると確信しています。

前に進みます

半年前のブログに書いて以来ずっと立ち止まってきたことがあります。私の仕事について文章で語るということです。

三年に渡って文章を書き続けるうち、私はこの話題を避けている限り、私は完全にモヤモヤから解放されることができないと悟りました。

私の仕事は私にポジティブ・ネガティブの両方の要素を与え続けてきました。正確に言えばどちらも混ざり合った状態で、一朝一夕にはそれらの価値を判断できないカオスの中に私はいます。

私が自分の仕事に対して考えていること、私に与える影響、私から奪っていること、私に与えている恵み、とてもじゃないけれど一つや二つの記事で伝えることはできません。時には絶望し、時には安堵し、時には無関心になり、怒り、歓喜し、我慢し、嫉妬し、人が感じる様々な感情を味わいながら今までやってきました。

仕事について語ることを避けてはダメだと気付き、このブログでそれについて記し、準備を進めてきました。

実は、私は仕事について語るために「モヤモヤblog」以外のもう一つのドメインを用意しています。このブログを続けて自分を癒しながらも、もう一方できちんとした形で仕事について語りたかったからです。

しかし、半年前のブログでも言ったように、その行為は私にとって両刃の剣になることが予測されます。自分がやってきたことを文章にすることで、今までの人生を善きものとして納得できる可能性がある一方、私の心の深いところ、無意識の領域を掘り返すことで私は再び傷つき、立ち直れなくなるかもしれません。

何もしなければ今のままです。文章を書くことで三年半前よりはかなりましな状態ではあるが、もう一方でやるべきことを避けていると思いながら過ごす日々が続きます。

今年も今日が最終日です。私は来年こそ前に進もうと思っています。この「モヤモヤblog」は続けます。しかし、それと同時に自分が今までやってきたことについて、これから行うことについて語り始めます。来年のいつになるか断言できませんが、塩漬けにしているドメインを開く勇気を持ちます。そのことを宣言し、今年のブログを終えたいと思います。

今年も「中年オヤジのモヤモヤblog」をお読みいただきありがとうございました。自分でも本当に色気のないブログだと思います。もっと写真や挿絵を入れればよいと思いますが、文章で気持ちを表現する力を鍛えるためにあえてそうしています。ビジュアルに頼らずに、言葉を綴り続けることで私の周りの世界を表現し認識することが、私にとって必要だと考えるからです。

固定ページを整備していないのは、記事を書いて投稿するのが精一杯でそこまで手が回らないからです。最近になって、ブログ内の記事に対してリンクの張り方がわかったという状態です。

こんなことでもう一つのサイトが立ち上げられるのかどうか一抹の不安を感じています。しかし、半年に一回程度思い出したように見るサーバーの解析で、私の予想以上にこのブログを読んでいただいている人がいることを知りました。

記事を書くことができるのは、そのような方々のリアクションやツッコミを想像するから可能なのです。直接姿を見たりコメントをいただいたりすることはできませんが、私はいつも読み手の皆さんに感謝しながらキーボードをたたいています。

自分を癒すために記事を書くというスタンスは変わりません。しかし、読んでくださる皆さんのためにも、来年も前向きにブログを続けていこうと思っています。

みなさん、今年もありがとうございました。2023年が皆さんにとっても私にとっても善き年になることを祈っています。

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投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。