すみません
前回28日の投稿は、イタリア語で「毎週土曜の更新ができない」という言い訳を書いたものです。実はその日私はインフルに感染し発熱と悪寒の中で記事が更新できる状態ではありませんでした。そんな中でなんとか毎週土曜の投稿を守る悪あがきをしてしまいました。本来28日に出そうと思っていた記事が以下になります。
6回目
私がこのブログを書き始めたのは2019年の6月のことでした。「このままではダメだ」という思いでいっぱいで、私は文章を書かずにはいられませんでした。
何がダメなのかというと、このまま年をとり続けた時私は死の床で「私の人生はこんなものだったのか」と思いそうなことでした。
6年前、私は毎日モヤモヤとしながら過ごしていました。当たり前のことですが、私は私の中で特別な存在です。今まで何十何百億もの人間が地球上に現れてきましたが、それらのすべてと違う存在が私です。この世に「私」という意識を持って生まれてきた、それだけで特別なことです。その上私はさまざまな面でこれまで大した苦労をすることなく、恵まれた人生を送ってきました。
しかしながら、私はそのことを心の底から感じるためのアンテナが不足していました。だから文章を書くことで自分の心を整えようと思いました。思いを目に見える形にすることで、自分を外側から見てみようと思いました。
ブログを書き始めて6回目の年末を迎えようとしています。浮き沈みはありますが、私は概ね幸せを感じながら生きています。傲慢さと謙虚さの中でバランスをとりながら生きている実感があります。
今の自分にとって大切なこと、お金と労力をかけるべきことも見えてきました。
先日、NHK出版の本を読んでいてハッとするフレーズに出会いました。まさに私の心の中の焦りを表したものでした。読んでいたのは私の現代英語のバイブル「杉田敏の現代ビジネス英語」で、今年の秋号”Midlife Crisis”(中年の危機)の1節でした。
A midlife crisis is no laughing matter. It’s not uncommon for individuals in their middle years to grapple with significant decisions how to allocate their time and resources among themselves, their parents, and their children.
中年の危機は笑い事ではない。自身、親、子供達の間で自分の時間や資源をどう分配するかで、重要な決断を迫られることが少なくない。
引用:杉田敏の現代ビジネス英語 2024年秋号p18
今の心と体の状態があと300年続くのであるなら、私はモヤモヤしたりこのようなブログを書く必要もありません。体力気力が落ちていく中で、自分がこの世に存在できる残り時間が想像できる歳であるから私は焦るのです。
“grapple with significant decisions how to allocate their time and resources “
”their”の部分を”my”に置き換えたまさにこの部分で私は苦しみ焦っています。
これからの道
私がするべきことをシンプルな言葉で表すとこうなります。
「時間を確保して、やりたいことをやって、満足しながら年老いて、納得して死を迎える」
やりたいことはあります。だから私にとってまず行うべきことは自分で自由に時間を使える状態を作ることです。私にとって今一番多くの時間を割かれていることは、多くの人と同様に仕事です。私は自分の命である時間を切り売りしてお金に変えています。
もちろん仕事の中にもやりがいや楽しみはあります。しかし、自分のやりたい多くのことを考えた時に、今の仕事ばかり続けていると他が入ってくる余地が少なくなります。私の気力体力がまだ十分なうちに、一度今の仕事をやめる決断が必要になります。そして、私の業界ではそのような人はほぼません。だから不安にあるし勇気が必要なのです。
不安の正体は「仕事を辞めて私は暮らしていけるのだろうか」とうものです。漠然とそう思います。毎月給料をもらえるサラリーマンの家庭に育ち、自分も今まで高校教師として収入が途絶えるという不安なしに過ごしてきたからでしょう。そのため、私の思考は「暮らしていけるのだろうか」で止まってしまいそこから先に進みません。
しかし、よく考えると、この日本にいる限り暮らしていけないわけはないのです。自分のやりたいことに没頭しても生きていけるのです。お金がなくなったらまた働けばよいだけです。そのことはわかっていても一歩を踏み出す勇気が持てませんでした。辞表を出して「自分なくし」の旅に出る力がありませんでした。
仕事を辞めて好きなことをしてなんとか暮らしていけるといっても、そのわがままの影響を子供達に押し付けるわけにはいきません。彼らも私と同様にこの地球上で唯一無二の存在なのです。
私は計算をしました。あといくら自分の時間を売ってお金を稼がなくてはならないかを。県外の大学で一人暮らしをしている長男の仕送りもまだあります。これから進学する次男も兵庫から出ていく予定です。ざっくり計算してあと1500万円は子供達のためにかかります。
もちろん今ままでに準備してきたお金はありますがそれだけではすべて賄いきれません。学費にプラスして退職金の一部を使ってローンを返済する、そうすれば私は自分のことを考えられます。
あと三年今の仕事を続けるか、そんなふうに思っています。
いつかどこかで
3年で今の仕事を辞めるとはいっても私が後3年生きる保証はどこにもありません。ですからバランスが大切になります。仕事をしながらもやりたいことを同時並行で行っていくのです。
語学の継続
通訳案内士をするにしても講師をするにしても新たなブログを作るにしても、語学は私が稼いでいく基本となるものです。それに仕事は別としても私は言葉の持つ働き、作用に魅了され続けている人間です。
私という個人を他と切り離しているものは私の運用する言葉なのです。その不思議さと私は一生付き合っていきたいし、少しでもその神秘の世界の核心へと近づきながら一生を終えたいと考えています。
食べ物を作る
今年の米騒動のこともあり、安全な食べ物を自分の手で作りたいという思いが増しました。私の両親が元気なうちに米作りを中心とした農業についてたくさん学んでおきたいです。
経験値が上がれば、自分が作りたい野菜にもチャレンジしたいです。私の両親がやっているように、自分の作った野菜や果物を起点に贈与の連鎖が起きるような人間関係を持つことが目標です。そのためにも来年も時間を見つけては帰省して農業を学びます。
お金の勉強
今の仕事を辞めて稼げなかったらまた始めればよい、言うのは簡単ですが定期的に給料をもらってきた私にとって内心は不安でいっぱいです。その不安を少しでも和らげるのが金融資産からの収入です。
始めた時期が遅く、なかなか雪だるまは大きくならないのですが、無駄を減らし余れば投資して、収入が不安定になった時の少しでもの足しにしたいと思います。そのためにも「リベ大動画」「リベシティ」を軸にお金の勉強を続けていきます。
明石焼きの店
ビールを飲みながら明石焼きを食べて相撲を観る、そんな店を出したいと思い続けています。場所は実家に隣接する車庫の2階を予定しています。今年外壁の3分の2を塗り替えました。食品衛生責任者の資格も取りに行きました。
しかしここから先の方がはるかに長い道のりになりそうです。一つずつ課題をクリアしていこうと思っていますが、その間にも明石焼きの腕は上げていきたいので、家庭用の焼き鍋で妻と協力しながら試行錯誤していきます。
今年もこれが最後の投稿となりました。毎年同じことを述べていますが、このブログは私と私のオルターエゴである大和イタチと想像上の読者の方々の反応をもとに書かれています。
アイキャッチ画像、目次、リード文、まとめ、私の記事には読みやすいブログで必要とされるそのようなものが一切ありません。自分でも思いますが読みにくいブログであります。
それにも関わらず、少なからぬ方が私の記事を読んでくださっていることに驚きと共に感謝の気持ちを持たずにはいられません。
本当は私ももっと読みやすいブログにしたいと思っているのです。しかし長年の読者ならお分かりのように、そのようなブログが作れるのなら私はこのブログを書く必要がないのです。
私は自分のやるべきことの多さと人生の有限さを天秤にかけ、そのバランスの悪さに焦りと恐怖を感じながら生きています。そんな中で少しでも自分の心を落ち着かせようとして文章を綴っているのです。その文章の推敲と体裁に時間を取られ過ぎれば、次のモヤモヤが容赦なく襲いかかってくるのです。
現在私が一番追われているものは、なんといっても3月のイタリア語検定です。2級の取得に予定より遥かに時間がかかり現在3浪中であります。これを取得しないことには次へ進んでいかないという呪縛を自分にかけて苦しんでおります。この呪縛を解くことを中心に今は命の時間を使っております。
ですから読みにくくてもこんな感じのブログで我慢してください。私のわがままをお許しいただき、ビューカウンターの数字で私を応援していただけること、本当に感謝をしています。
いつか皆様となんらかの交流ができることを夢見ながら今年は筆を置きたいと思います。どうもありがとうございました。よいお年をお過ごしください。