思い込み
私は、自分は頭の固い人間だと思います。勝手にいろいろな思いこみを作り、その枠の中で行動を制限され苦しむことを続けてきました。無関係に見える二つの事柄の中に関係を作り出し、間違った行動をした時そのスイッチが入ることに怯えながら生きてきました。
例えば朝家を出る時、私は決まった動作で決まったことを考えながら玄関を後にします。そうしないと何か悪いことが起きるのではないかと不安になるからです。食事を食べるときもだいたい同じ順番で食べます。語学学習を行うときもそうです。必ず単語や熟語を音読することから始めます。定食屋さんでは、迷った挙句いつも同じものを注文します。一度自分がこうしたほうがよいと思ったことがあると、それから逸脱することに不安を感じるのです。
慣性の法則が人間の心にも働いているのではないかと思います。では、最初にその場所まで私を連れて行ってくれたものは何なのでしょうか。あることに対して凝り固まった状態になる前は、私もいくつかの新しい挑戦を重ねてきたはずです。
それが、ある時ある場所で決まった形になり、しばらくそのことが続くとそれから離れることができなくなるのです。常にニュートラルで新しいものを受け入れられる人には理解しがたい感覚かもしれません。私の心は粘性が強く、新しいものを受け入れるまで長い時間と労力がかかるのです。しかも、時に手放すことなく受け入れようとして苦しむこともあります。このような心の動きを「執着」というのかもしれません。
これから私が30年間囚われ続けていた執着について書こうと思います。
アメリカ製
私の実家の車庫には私が農作業をするための服がハンガーにつるされています。先日、畑の草刈りのため帰省して作業服に着替えているとき私はふと思いました。
「とうとうこれが最後の一本になってしまったなあ」
一本というのはジーンズのことで、それはリーバイス社の610という型番のものでした。長らくリーバイスを買っていないので、今610が売られているのかどうかはわかりません。私が買った30年前はアメリカ製とテーパードデニムとして売られていました。
大学生の時、私はこのジーンズをアメ横で買いました。当時、私の私服のボトムズはほぼ100%ジーンズでした。しかも同じようなジーンズばかり履いていました。
基本はリーバイス501、ブーツを履くときは517、細身が履きたい時は510でした。それぞれ色違いや古着を何本かずつ持ち、着まわしていました。これらのジーンズに「リーバイス製」であること以外で共通していること、それは全てレザーパッチの右側に描かれた馬の下に「Made in USA」の文字が記されていることでした。
リーバイスは前世紀末から業績が伸び悩み、コストのかかるアメリカ製のジーンズは作らなくなってしまいましたが、私の大学時代はまだ普通のカジュアルストアに新品が売られていました。
日本を始めとするさまざまな国で作られたリーバイスがあるなかで、私が「Made in USA」ばかり買っていた理由は、私の持っていた思い込みのためでした。
「ジーンズはリーバイス。リーバイスをはくならMade in USAのもの」
ジーンズはアメリカで生まれ、最初に作ったメーカーはリーバイスでした。だからリーバイスをはくのが”正しい選択”だと思ったのでしょう。初めて自分でジーンズを買ったのは中学生の頃でした。ジーンズショップに行くと、リーバイスのカタログがもらえました。ちょうど服装に関しても色気づき始める年頃です。カタログに載っているジーンズを眺めながら「カッコよくてモテる私」を想像したものでした。
英語を習い始め、アメリカの音楽を聴き始め、アメリカの映画を見始めたころでした。それらを通じて入ってくっるアメリカのイメージは、自由で明るいものであり、反対に日本的なものが古臭く感じられました。その当時の英語教育は現在のそれより「現地の文化的な要素」を多く含んでいたような気がします。
高校のとき、最初に行く外国はアメリカになるだろうと思っていました。自由で明るい国アメリカ、リーバイスのジーンズはそれを象徴するものの一つでした。
時は経ち…
大学に入ると、私の外国に対する興味はアメリカからイギリスへと変わりました。ハードロックが好きで、どちらの国のものも聞いていましたが、湿っぽくて展開のあるイギリス的情緒のある曲に私の心はより共感していったのです。
初めて訪問した国もイギリスで、そこには何度も滞在しましたが、ジーンズはアメリカ製のリーバイスを買い続けました。着心地が良いとかカッコイイとかそういう理由ではありません。なぜなら私はアメリカ製のリーバイス以外ははいたことがなかったので比較できないからです。
私が501や517を買い続けたのは中高で受けた、いや自分で自分にかけたマインドコントロールの結果でした。私の周りに数多く取りついている「~でなければならない」という思考のクセの一つです。このクセの厄介なところは、いったんそう思ってしまうとそれ以外のことが下に見えてしまうことです。
直接他人に干渉することはありませんでしたが、私は自分が「~でなければならない」と思ったことに対して違う対応をとる人に対し、心のなかで見下したり、「それは違う」と感じたりすることもありました。今思えばそういう心を持ったことそのものを恥ずかしく思います。
働き始めると、ほぼ365日はいていたジーンズをはくことがほとんどなくなりました。勤務日はスーツで通勤し、家に帰ればすぐにジャージか短パンに着替えます。若い頃は土日もほぼ部活動で出勤、運動部を持っていたのでジャージで行きました。
たまにある何も予定のない休日に私はジーンズをはきました。大学生までに買ったアメリカ製のリーバイスをはき続けました。
3年前に私は「コンマリ」こと近藤麻理恵さんの著書「人生がときめく片付けの魔法」を読みました。そこで大切な言葉に出会いました。片づけられない理由は「未来に対する不安と過去への執着」だというのです。
どきっとしました。私のことを言われていると思いました。物理的な身の回りの物もそうですが、私には数えきれないぐらいの捨てるべき凝り固まった考えがこびりついていました。そもそもこのブログで文章を書くのも、それらから自由になりたくて始めたものでした。
コンマリショックの後、とりあえず私は自分の衣類を整理しました。リーバイスも捨てました。ただ、ほとんど未使用で残っていた610だけは残しました。実家の農業の手伝いに帰り始めていたので、作業着として使えると思ったからです。
水脈
私が610をはかなかったのはその形と色がよいと思わなかったからです。その結果、私の610は購入から30年経った今もヴィンテージ感がない状態で、私が農作業をするたびに少しずつ泥がついて汚れていっています。紆余曲折を経て、本来作業着であるジーンズが今やっとその役割を果たしていると思うと感慨深いです。
さて、私はこのブログを6月3日の水曜に書き始めました。そこから毎日30分ずつパソコンに向かい、自分や想像上の読者と対話をしながら文章を綴り今4日目をむかえています。
そのように対話をする中で私の中によみがえってきた記憶があります。もう何十年も忘れていた記憶です。それはリーバイスをはくジェームス・ディーンの姿でした。CMの中で、音楽に合わせて彼の静止画が何枚か出てきます。CMは最後に「My Mind Levis」の言葉で終わります。
私はYouTubeを検索しました。すぐに過去のリーバイスCM集が出てきました。James DeanのあのCMが出てきました。さらにいろいろな記憶がよみがえってきました。中学・高校の頃の記憶です。
James Deanに興味を持ち彼の出演する3本の映画を一気に見たこと。それを友達に話したこと。前髪を少し立てて彼の髪形をマネようとするものの、クセが強すぎてうまくいかなかったこと。彼をマネて買った赤のスイングトップを、リーバイスと共に着て鏡の前に立った自分のあまりに似合わなかった姿。
そのような記憶の中で一番強く思い出されるものは「死ぬということはどういうことなのか」と考え続けたことでした。James Deanはわずか24歳で自動車事故のため亡くなりました。新春期の私の前に現れたスターがもういない、そのことの意味を私はずっと考えていました。
「アメリカ」と「若いまま封印されたJames Deanの姿」に「My Mind Levis」の言葉が結び付き私の中に定着しました。その結びつきは長い間私の中にとどまり続け、私は無意識のうちにアメリカ製のリーバイス以外はジーンズではないという歪んだ心の状態を作り出しました。
精神科医は患者の治療を行うとき、その手掛かりにするのが患者の発する言葉だと言います。事実であるかは別として、患者が自分について語る物語の中に抑圧された感情に至る道筋があるのです。
たかがジーンズのことですが、私はこのようにブログで対話を行うことで私を抑圧する一つの水脈を探した気持ちになりました。このような抑圧は私の中にまだまだ眠っています。だから私は対話を続けます。