一進一退
休日、少し遅めに起きて洗面所で顔を洗う。鏡に映った自分の顔をじっと眺める。
表情に柔らかさが無い。
顔の筋肉をいろいろと動かし、笑顔を作ってみる。「笑顔って努力して作るもんか?」そう思いながら。
どんなに顔面を動かしても哀愁を帯びた瞳だけは変化しない。
「オレはいつもこんな目をしているのか」そう思うと悲しくなってくる。
一月前の「モヤモヤMAX」以来、心の調子は一進一退が続いている。「オレの人生こんなもんさ。今だけを生きよう」そういう感じて心が軽くなる時も時々はある。しかし、今朝のように心も瞳も沈んでしまう時はそれ以上に多いような気がする。
妻に「どうして俺は…」的な相談をする。彼女は大抵の場合は能天気で明るい。いつも歌を歌いながら家事をしている。「お金をいっぱい使って貧乏になれば頑張ろうっていう気になるよ」そんなアドバイスをくれるような人だ。
今日の私の悩み相談に対しては「お店でもやってみようか」という回答。「今の仕事を辞めて私の田舎に帰り、農業をしながらお店も出す」彼女は楽しそうにそう話す。
「なんの店にする?」
そこからしばらく二人で話し合い、明石焼きの店にした。
かつて神戸市内にお気に入りの明石焼きの店があった。そこはおばさんが一人で切り盛りする小さな店で、焼きたての明石焼きをどんぶりに入れて、そこに出汁を注いで出してくれた。瓶ビールを飲みながら、僕は大量の一味をふりかけて、ソバを食べるようにその明石焼きを食べた。
出汁の甘みと香ばしい卵の香り、一味のピリッとネギの風味。高齢のためおばさんが店をやめてから10年以上たつが、今でも舌がその味を記憶している。
妻は妻で出汁に興味があるらしく「出汁検定」なるものの受験を考えているらしい。明石焼きは出汁で溶いた小麦粉と卵を焼いたものを、さらに出汁につけて食べる。いわば出汁の塊のような食べ物だ。
度々意見が分かれる私たちだが今回は一致した。僕はビールが飲める明石焼き屋を、妻は同じ出汁でソバも提供する「おにぎり持ち込みOKで昼ご飯的な店」を頭に描いた。
悪くない想像だ。今の仕事を急にやめることは考えられないが、近い将来に今とは全く異なる生活があるかもしれないと思えばワクワクしてくる。
幸い、明石焼きの本場まで容易に行くことができる場所に住んでいる。僕たちは、休みの日に明石焼きを開拓していくことにした。
市内に約70件
日曜日、妻の運転する車で明石市中心街へ向かう。市内に約70件明石焼きの店があると言われているが、一番密集しているのは明石の中心「魚の棚」周辺だ。
かつて明石と淡路を結んでいた「タコフェリー」乗り場跡の駐車場に車を止めて、魚の棚まで歩く。このタコフェリー短い航路ながらも、壮大な明石海峡大橋を真近に眺め、とても風情のある乗り物だった。
大都会の神戸から10数分の船旅でのどかな淡路島に行くことができた。もちろん、今は橋を通ればより簡単に行くことができるのだが、容易すぎて気持ちがついて行かない。かつて旅行作家の宮脇俊三氏が書いていたように、乗り物には適切な速さというものがあると思う。昭和生まれの私にとって淡路島は船で行くのが一番心地よく感じられる。
海に面した駐車場から徒歩5分で魚の棚に到着する。明石は潮の香りのする街だ。
魚の棚はJR・山陽電車の明石駅から南へ徒歩5分、国道2号線と並行する東西300mほどの商店街だ。周辺の商店街がさびれている中、ここはいつもにぎわっている。通りには多数の飲食店や海産物の店が並び、多くの観光客が海の恵みを味わう。
私たち夫婦は明石焼きを求めてブラブラと歩く。コロナも関西では新規感染者がほぼなくなり、街に活気が戻りつつある。昼時でありどの明石焼きの店も人が並んでいる。
かつての上司を思い出す
通りを何度か往復した後、私たちは商店街西側にある店へと入った。店名は「いずも」といい、私はその店に約20年前に来たことを思い出した。
上司と2人で明石での仕事を済ませた後、ふらりと立ち寄って明石焼きを注文。上司は「あっ、それと瓶ビール1本ね」。あとは事務所に帰るだけとはいうものの、勤務時間内に飲むビールは禁断の味がした。「こんな楽しみ方もあるんだ」新人だった私は、この時少し大人になった気がしたものだ。
昼間のビールが美味し過ぎて、この時の明石焼きの味はあまりよく覚えていない。当時の上司は今は退職され、もう3年以上会っていない。
今日は忘れていた明石焼きの味を思い出し、上司との思い出を妻と語ろう。
店に入るとすぐに何人前か聞かれた。この店にメニューは「たまご焼き」しかない。(明石焼きは明石ではこう呼ばれます。以下明石焼きはたまご焼きと書きます)
1人前ずつ注文し、あの時の上司と同じセリフ「あっ、それと瓶ビール1本ね」。アサヒの大瓶がすぐにやってきた。20年前はキリンラガーであったような気がしたが、実際の所はわからない。
お椀に入ったアツアツの付け出汁がやってきて、3分ほど経って3×5列、合計15個のたまご焼きが登場。
まずは何もつけない状態で1つ食べてみる。箸でつまみ口へ近づけると、卵と油が高温で反応した何とも香ばしい香りが鼻に入ってくる。頬張るととてつもなく熱く、すぐに冷えたビールを口に流し込む。
「明石焼きの出汁は本来冷たく、たまご焼きを冷まして食べるためにある」という話を聞いたことがある。ここの出汁は熱いが、たまご焼きの出される数分前に出てきたということは、いい具合に冷ましてからたまご焼きをつけて食べなさい、ということかもしれない。
店によってはネギや三つ葉を出汁に浮かせて食べるが、ここはシンプルに出汁のみである。机の上にはウスターソースと一味唐辛子。これらの二つで味にバリエーションをつけていくのだが、正直言って何もつけない方が卵の香ばしさが一番感じられる。
15個の内、5つほど遊んでみたが、後はただ出汁に浸して口へ運ぶ。タコから溢れるうま味をビールでのどへ流し込む。車を運転する妻に対し申し訳なく思うが、こちらは気分がいいので思わず口元が緩んでしまう。
働き始めてもう20年以上経過した。あの時ここで一緒だった上司には駆け出しの頃ずいぶんお世話になった。エネルギー溢れる人で、叱られたり、褒められたり、私を育ててくれようという気持ちがよく伝わってきた。しばしば酒も酌み交わした。移動で職場が変わっても年に数回は会った。退職前に病気をされ、回復されたものの、弱くなられた。
私もあの時の上司の年齢をゆうに超えてしまった。これから心身共に長い後退戦に突入していくのだろうか。今度、明石へ後輩と仕事で来る折にはここへ来て、禁断の味を教えてあげるのも悪くないと思った。
夫婦で突然思いついた計画。私たちは本当にたまご焼きの店を田舎に出し「半農・半たまご焼き」の生活を送ることができるだろうか。
コンマリ氏の名言「過去への執着と未来への不安」。
「過去の何に執着をしている?」
私は今まで挫折を味わうことも無く、すべて普通にうまく回ってきたのではないか。教育を受け、仕事につき、家族を持ち、病気をせずに生きてきた。
「未来の何が不安?」
子どもたちも大きくなってきている。仕事も辞めずにやってきた。少しずつではあるが貯金もしてきた。住む家もある。田舎へ帰れば田畑もある。最悪食べることだけはできる。
これから二人で計画を進めていこうと思う。執着と不安が消えていけば、人生が変わると思う。今はワクワクしています。