お金に対する不安

記事更新のペース

こんにちは、大和イタチです。
最近ブログを更新するペースが落ちてきています。だいたい週に1度というところです。

「何よりも続けることが一番大変であり、大切である」

ブログの執筆を鼓舞する記事には必ずといっていいほど書かれている言葉です。ブログからの収入を目的とする人にとっては、日々読んでいただける有用な記事を提供し続けることが、その目的を大きく左右することなのでしょう。そしてそのような記事を書き続けるためには、日々、人々が何を求めていて、自分がそれに対してできるとは何かという感覚と、それを文章にする行動力を持ち合わせる必要があります。

私にとってこのブログの意味とは、アフィリエイトではありません。100以上の記事を書いてきましたが、広告も掲載していませんし、コメントも受け付けていません。読んでくださる人の中には、「少し突っ込みを入れてやりたい」とか「モヤモヤしている男を励ましてやりたい」などと思われている方もおられるかもしれません。

このブログは1年2か月前に始めました。その時のままの生活をしていたら、死ぬ時後悔すると思ったからです。

40半ばを超えた中年男。普通に仕事もして、それなりに稼いでいます。妻や子供たちにも恵まれています。自分や妻の親たち、兄妹や親戚、周りの人間ともトラブルを抱えることなくうまくやっています。バイク・鉄道・語学・サウナなど、趣味もそれなりに楽しんでいます。

借金に追われていたり、妻と離婚調停中だったり、過労死寸前だったりする人から見れば「お前は何にモヤモヤしているのだ!」とお叱りを受けるのはわかっています。毎年、夏のこの時期を迎え、戦争で苦労された人々に思いを向ける時、自分の恵まれている環境に感謝の気持ちしか出てこなくなります。

それでもなお、特に一人でいる時の心の中はモヤモヤしていて、心からの幸せを実感できません。脳内物質が出まくってトリップしたような感覚を味わいたいわけではなく、本当に分相応なしみじみとした幸福感をかみしめたいのです。

そういったわけで、自分の心の中を文章にすることで可視化しようと考えました。その作業を行う時、文章を語り掛ける相手が必要です。昔ある本で、村上春樹は自分と読者とウナギの3人で話をしながら文章を書いていくという話を読みました。

ブログを書くとき、キーボードを打っている前向きな自分と、モヤモヤしている内なる自分、そして声は聞こえてきませんが、このブログを目にされている読者を想定することで文をドライブさせることにしました。

キーボードをたたくとき、ネットの先にある読者の顔を想像します。記事を読みながらいろいろな表情を見せてくれます。今のところ私にとってその想像上の表情だけで十分なのでコメント欄は設定していません。何かの拍子に、その考えも変わるかもしれません。広告も今のところは目的が違うので掲載するつもりはありません。仕事を辞め、玉子焼きの店が具体化してくれば、アフィリエイトで副収入を得ることを考えるかもしれませんが。

ボーとしている時

それなりに記事を書き、心の中を可視化させるといろいろな自分の癖がわかってきます。面白いことに、記事に書かなかったことから、逆に自分が知らず知らずに抑圧してきたことが見えてくるので不思議です。

そんなことの中の1つがお金です。私はこのブログでお金に関する記事をほとんど書いていません。しかし、自分がボーとしている時、何も考えていそうにない時に何が頭に浮かんでいるのか、難しいことですが、そのことをなるべく意識してみると、お金のことをよく考えていたことが見えてきました。

それは銀行の貯金の額だったり、今月自分が使った支出の中身だったり、次期のボーナス支給額の予測であったり、そのようなことがとめどもなく頭に浮かんできます。そして、それらの思いを漠然と包み込んでいるのが「お金に対する漠然とした不安」です。

どうして貯金をするのでしょうか。

どうして保険に入るのでしょうか。

どうして私は、全身マッサージを受けられないのでしょうか。

これらは実は、共通して「お金に対する漠然とした不安」からきていることです。最初の貯金と保険はわかります。では「全身マッサージ」はどうでしょう。

私は、90分全身をほぐしてもらって、その対価として1万円払うことができない男です。少なくとも今まではそういう人生を歩いてきました。

「まだ元気なうちから1万円も出してマッサージを受けていたら、本当に足腰が弱くなった時にどうするの、もったいない!」自然とそういう思考をしてしまいます。

私が足腰が弱くなる年齢まで生きられると誰が決めたのでしょうか。普段頑張って働いている自分の体に対して、どうしてねぎらいの言葉とほぐしを与えてあげることができないのでしょうか。たかだか1万円払うことでそれが可能なのです。

I don’t want to be the wealthiest man in a grave yard.
(俺は墓場で一番の金持ちになんかなりたくないんだ)

私の好きなアーティストのオジー・オズボーンは言いました。私の収入から言えば “the wealthiest”になることは無理ですが、今の自分の行動パターンを見ると、使いたいものに対して使えないまま墓場へ持っていくお金はあると思います。

お金の使い方は本当に難しいです。それは人生の先が見えないからです。しかし、見えないからこそ面白いのが人生であります。したがって、そのことを前提としたお金の使い方があるはずです。

私のお金の使い方を考えると、まだまだダメだと思います。基本は「将来に対する不安」がベースにあり、「今を生きるため」の使い方ができていません。さらに「今を生きるためにはどのようなお金の使い方をすればよいのか」そのことすら考えずに過ごしてきました。

このことは上に書いた貯金と保険の話に繋がってきます。

何も考えないことが更なる不安を呼ぶ

どうして貯金をして、保険に入るのでしょうか。

言うまでも無く、将来の不安に備えてです。私に何かがあった時のために、なくても退職後に暮らしていくことができるように。そのようなことを考えて毎月給料からいくらか天引きをして、複数の会社に生命・医療保険料を納めて、そして全身マッサージを我慢しています。

自分では考えたつもりで行った選択ですが、冷静に考えると実はその根本が怪しいことに気が付きました。これも間接的ですが、ブログの効能の1つです。

私に万が一のことがあった時、私の家のローンはどうなるのでしょう?私の雇用主は私に何をしてくれるのでしょう?私の家族は、私の遺族年金をいくらどれぐらいの期間貰うことができるのでしょう?

万が一まで行かなくても、病気で入院した時、日本の医療制度ではどの病気でどれくらいの費用が掛かるのでしょうか?

病気も何もなく定年を迎えたとして、この国には老人に対するどのような福祉制度があるのでしょうか?やたらと不安だと煽られる日本の年金制度はどのような仕組みで、その基金の運用はどのようになっているのでしょうか?

私はそれらのことについて何一つ知ろうとすることなく、貯金を行い、保険に入り、全身マッサージをケチってきました。

本来は順序が逆なはずです。

「将来は予測できないもので、思いがけないことが人生には起こる可能性がある」そこがベースになって時間をかけて国の社会福祉制度は設計されてきました。

そして本来であるなら、その社会福祉制度を理解した上、それらでは補われない部分を、個人の貯金なり保険なりで強化していくものです。しかし、私はその基本的な仕組みを知らないまま不安に駆られて給料天引きを設定し、保険料を払ってきました。

そしてその結果不安は消えたかというと、全くそんなことはなく、「漠然とした不安」を抱えたまま、未だに90分の全身マッサージを受けられずにいます。

どうして今までお金について考えることを避けてきたのでしょうか。自分でもよくわかりませんが、何らかの抑圧が働いていたのは間違いありません。

ブログを書き始めてから、次々と新しいことを始めました。その過程から、思わぬところでお金についての勉強も始めました。自分にのしかかっていた抑圧をとり、お金のことを知り始めると、いかに自分が今までお金や社会制度について無知であり、そのことが不安の原因を作り出していたということがわかりました。

心のモヤモヤはまだまだあります。しかし、勉強をして行動をすることで、お金に関する部分のモヤモヤが少しずつとれ始めています。

今年に入って貯金の方法を見直し、保険の内容も変更しました。まだまだこの分野で無知な私ですが、腑に落ちたことを変えていく柔軟性は持ち始めています。全身マッサージも、行くことができる日が近づいていると思います。

投稿者: 大和イタチ

兵庫県在住。不惑を過ぎたおやじです。仕事、家庭、その他あらゆることに恵まれていると思いますが、いつも目の前にモヤモヤがかかり、心からの幸せを実感できません。書くことで心を整理し、分相応の幸福感を得るためにブログを始めました。