焼き方の研究
特に予定の無い休日、私は妻と頻繁に明石へ向かいます。今日も「明石焼き店開業のための勉強」と称して二人で明石駅に降り立ちました。明石詣でを始めたころは、半分は車で行っていましたが、明石焼きをあてにビールを飲む喜びを覚えて以来、ほとんど電車になりました。
タコ焼きほど油が多くなく、出汁とタコの味をストレートに味わうことのできる明石焼きは、本当にいいお酒のあてになります。酔いが醒めた後の胃もたれもありません。私と妻は、明石焼きをあてにビールを軽く飲み、常連客と会話をして帰る、そんなこじんまりとした店を出したいと考えています。
そのためには、1にも2にも研究です。今日はかねてから気になっていた、魚の棚の西のはずれにある「今中」というお店に行こうと決めていました。
駅から徒歩約5分、細い道に面したその店の前には4人の客が待っていました。時刻は1時過ぎ、私たち二人は列の後ろに並びました。すると、ここで思いがけない機会に恵まれました。
この店の焼き場は私たちの並んでいる場所に面してして、窓を通じて中の様子が手に取るようにわかったのです。こじんまりとした店の中を見ると、客のほとんどは今入ったばかりのようで、テーブルの上には上げ板はありません。
ということは、今から何回か目の前で明石焼きの作り方をライブで見られるということです。
私は、待っている間の約15分、ご主人の「焼き」を3回見て、勉強させてもらいました。
箸の使い方、油の回し方、鍋の温め方が私のやり方と大きく違っています。今の私の焼き方は、ネットや人づてに集めた断片的な情報をつなぎ合わせたもの。焼き始めから上げ板に移すまで3回見られたことはよい経験となりました。早く味見したくなりました。
店内に案内され、2人前と瓶ビールを注文します。ビールがすぐにやってきましたが、残念なことに中瓶でした。アツアツの明石焼きを食べるには大瓶の量が欲しいです。まあ私はいつも633で大人の義務教育である大瓶派なのですが…。
待つこと約10分でいよいよ明石焼きが焼きあがりました。
朱塗りされていない焼き板の上に、いい感じの焼き色のついた明石焼きが15個並んでいます。私たちは一目見て、そのクオリティーの高さを感じました。
出汁に浸して頬張ってみます。わかっていましたが、とてつもなく熱いです。口の中で転がしながら冷ましていくと、昆布のいい香りがしてきます。試しに出汁だけ飲んでみると、昆布のうま味が中心となった味付けです。
濃い味に慣れ親しんだ人には少し物足りないかもしれません。しかし私たちにとっては、これは飽きの来ない大人の味であり、目指すべき方向でもあります。
私たちは大満足でここの味を楽しみ、2本目のビールを開けて店を後にしました。出る時妻は「魚の棚の乾物屋で昆布を買って帰る」と言っていました。
人間臭い商店街
今日の明石訪問は、明石焼きの店の新規開拓に加えてもう一つの目的がありました。例のあの方に会うことです。この辺りで明石焼きに関わるほぼすべての人がお世話になっているあの方です。そうです、銅製の明石焼き焼き器の手打ちによる最後の職人、ヤスフク商店の安福さんです。
1月以上前の前回は上げ板を一枚買いに行き、聞きたいことが多くあったにも関わらず、彼の波状攻撃的なトークの前に、こちらに話はほとんどさせてもらえませんでした。
今回はここで買った特性のじん粉(明石焼きの粉)が無くなりそうだったので、それを買い足し、それに乗じて明石焼きに関する話を聞こうという算段でした。
私は自分の焼いた明石焼きの写真をすぐに出せる状態にして、お店の前に立ちました。
かつては賑わっていたであろう本通り商店街の西の端に、この店はあります。今は人通りも減り閑散としていますが、昔から営業していそうな武道具店、履物屋、刃物店といった店が頑張って営業しています。
ネット通販ですべてを購入できる時代ですが、こうして味のある店を見ていると「テクノロジーの進化が必ずしも豊かさを生み出しているわけではない」と思わずにはいられません。利便性の陰で、話し合いを基に商品を購入するといった人間臭い商業活動が停滞しています。
先日も「ヤスフク商店」の向かいの「かさたに履物店」で、おばちゃんとたっぷりとお話をして革底の雪駄を買いました。どこでも買えるような日用品は、ネット通販で買うこともありますが、私は身に付けるものは、少し割高でもこうして手に取って売り手の話を聞いてから買いたいと思う人間です。
明石焼きの焼き器もそうです。楽天市場に行けば、明日にでも手に入れることができるのですが、ヤスフク商店を知った今では、ここ以外で買う気にはなりません。
私と妻は、スマホの写真をもう一度確認してから店のドアを開けました。
相変わらずのパワー
「ごめんくださーい」と声をかけると、奥の工房から安福さんが出てこられました。
私たちが話を始める間もなく、安福さんは私のスマホのケースに食いついてきました。
「それはどこで買ったケースや?」「ワシのと同じちゃうか?」
その後五分間スマホの話が続きました。話の主導権は一瞬であちらへ移っていきました。
- 焼き機の手入れについて。
- 焼き機の大きさとガス台の規格について。
- 小さな店を開くときに必要な機材。
- 上げ板についての疑問点。
以上が今回、教えを受けたいと考えていたことです。それに対し、私たちが勉強したことは…
- 安福さんによる関西圏の大学の評価。
- 明石駅周辺の飲食店用不動産の賃貸価格。
- 今までこの店を取り上げたテレビ番組の名前。
- 店の前に「5個用の焼き器」がある理由。
約15分に渡り、これらについて息もつかずに話をされました。もう本当に、こちらが口を挟めないぐらいのパワーです。そのエネルギーに圧倒され、途中から私たちの聞きたかったことはどうでもよくなりました。
今回も疑問点は解消されませんでした。しかし、これも面白いと思いますし、またこの店へ来る理由にもなります。
こうやって明石焼き業界のレジェンドを独り占めにして15分も話ができたこと(一方通行ではありましたが)、そのこと自体が幸せなことだと思います。
本日購入したじん粉を早く消費して、再びこの店に訪問することを楽しみにします。今度は、焼き機の写真をプリントアウトして、店に入るなり素早く見ていただくことにします。
ヤスフク商店を始めとする「本町商店街」の味のある店たちを、これから明石に来るたび楽しんでいきたいと思います。