カフェ「アーバンライナー」
このブログに何度か登場する後輩M君は本当に働き者である。物事の飲み込みが早く先が見えるので、つい余分な仕事に手を出して遅くまで仕事をしてしまう。
20代後半で独身の彼に「早く帰って遊びに行きなさい」とよく声かけをするが、仕事が楽しいらしく一向にそうする気配はない。それならば、ということで名古屋へサ活に誘うことにした。彼は半年前に神戸サウナへ連れて行った時「疲れが取れました」と大変感謝してくれた。
名古屋サウナ計画の話をすると「疲れをとるために今週はわざと働き過ぎて疲れを溜めます!」とM君は答えた。どこまでも働き者である。仕事を辞めて明石焼きのお店をやりたいと、夢のようなことを毎日思い浮かべている私とは違う。
10月最初の休日の朝、私たちは大阪の鶴橋駅で待ち合わせをした。前日にスマホで7時36分発のアーバンライナーを予約しておいた。会員登録をすれば簡単に好きな席を選び、チケットレスの特急券を購入できて、しかもポイントまでたまる。近鉄の無い兵庫県民として、わざわざ近ツリか阪神三宮駅へ特急券を買いに行っていたことがウソのようである。
「名古屋まではお互いに好きなことをしよう」M君とはそう話をしていた。「2時間も好きな本が読めるなんて最高です」という彼に「もう少し仕事減らしたら」と思うが、そういう私も自由な時間を充実させることに心をとらわれ過ぎてモヤモヤをため込んでいる。いわば自由時間が仕事になっていることが心穏やかに生きられない大きな理由の一つ。
本来なら何も考えずにくつろげばよいのだが、先に待ち受ける享楽のサウナ+ビール+昼寝に対して、何か罪悪感を消す行為を行わなければ気が収まらない。私は車内で「カフェ勉」を行うことにした。
M君は小説を読み、私は英検2次対策の本や英字新聞で勉強を行う。流れゆく駅や車両基地をじっくり眺めたり、車内を歩き回って車両設備を確認したいぐらい大好きな近鉄特急に乗っていながら、こうして勉強を続けることは贅沢な時間の使い方であると思う。
しかし罪悪感を感じる必要のない場面にそれを感じ、「鉄萌え」する時間を削ってまで罪の意識をなくそうとする私の心の動きを客観視する時、私のモヤモヤを作り出す構造の複雑さに嫌気がさしてくる。
Dolce Far Niente (何もしないことの甘美)
イタリア語にこういう言葉がある。イタリア語を勉強し、イタリア人のように人生を謳歌したいと思う私であるが、この境地からは程遠い。というか正反対であることに苦しみ続けている。
何か”生産的”なことをし続けていないと心が落ち着かない。少なくとも”非生産的”なことをする前には、そうせずにはいられない。それが、このアーバンライナーでの私の姿である。
何も考えず、移り行く車窓を眺めながら、楽な気持ちで今を楽しめばよいのに。アーバンライナーの乾いたコンプレッサー音や駅到着のチャイム音が聞こえ「鉄萌え」する瞬間を迎えるたびに、ハッと我に返ってそう思う。
日本で最もフィンランドに近い場所
名張を代表とする三重県西部は不思議な感じのする場所である。三重でありながら関西の匂いがして、実際に大阪方面とのつながりが強い。その三重県も津を過ぎると中京圏に入り、時折見えるJR東海の車両に新鮮味を感じる。
近鉄名古屋線のクライマックス、木曽三川を長大な橋梁で渡りしばらくすると前方に名駅周辺の高層ビル群が見えてくる。M君も私も本をたたみ、享楽モードに入る。願うならば罪悪感の清算を事前に行うことなく、いつでもこのモードに入ることができれば”Dolce far Niente”に近付くことができるかもしれない。
列車は定刻通り近鉄名古屋駅の地下ホームへと滑り込んだ。今日の夕方は同じホームから「ひのとり」に初乗車する予定だ。サウナ、名古屋めし、ひのとりと今日はこれから先楽しみしかない。素敵な休日であるが、すでにそれが終わった後の喪失感が頭によぎる。このモヤモヤ男め!
地下鉄東山線で栄へ向かう。M君は車内の路線図を見て「名古屋は都会ですねえ!」と感心している。彼にとって名古屋は初めてである。名古屋どころか日本中のほとんどの場所に行ったことが無い。半年前の記事に書いたが、大学を卒業するまで苦労をし続けた彼にはそんな余裕はなかったのだ。
そんな苦労を顔にすることなく私と同じ部屋で一生懸命仕事を行う彼を見ていると、今まで行けなかった場所へ連れて行ってあげたくなる。
栄駅10番出口から地上に上がりしばらく歩くと見えてきた。「日本で一番フィンランドに近い場所」といわれる「ウェルビー栄店」だ。
大都会名古屋のそのど真ん中に、3階建ての立派なサウナが建っている。私たち二人は焦る気持ちを抑えながらその門をくぐった。
よりサウナーのための…
「ウェルビー栄」に来るのは1年ちょっとぶりである。この間に、現在進行形ではあるが「コロナ禍」があり、営業を中止していた時期もあった。
定期的にHPをチェックしていたが、施設も少し変わり、料金も上がったようだ。「37」番の下足箱に下駄を入れて受付へ向かう。フリーの料金3300円の表示が見える。前回来たときは2500円ぐらいだったと記憶している。スーパー銭湯1回分の値上がりであるが、施設にどんな変化があったのか楽しみだ。
M君とは神戸サウナ以来2度目のサ活である。神戸サウナでは11.7度の水風呂に驚いていたが、今回は冬のフィンランドをイメージした0度の水風呂がある。楽しみと恐怖が入り混じった複雑な気分で浴室へと向かう。
更衣室との間の自動ドアをくぐると右手にメインサウナが、左手に浴槽と洗い場が広がる。洗い場側を見るとすぐに前回来た時との差に気が付いた。大きな浴槽を1つつぶして半分は休憩スペースに、もう半分は椅子を沈めた大きな水風呂にしているのだ。
木製の大きな椅子が用意された「整いスペース」は左手一番奥にもあるのだが、いかんせんその数が4脚しかなかった。私が行った時は昼間の空いている時間帯だったが、夜の混雑時には座れない人が出ることは容易に想像できた。
今回新設された「整いスペース」にも心地よさそうな木の椅子が置かれ、その奥には板張りの横になることができる場所が確保されていた。しかも枕まで木製である。
この場所の横には、重りをつけられて水の底に沈む2脚の白いプラスチック製の椅子が。こんな光景は他の場所では見たことが無い。メインの水風呂のようにチラーで冷やした水ではないが、サウナの後水風呂と整いイスでの休憩を同時に味わうことができる。こんな発想はよほどサウナ好きの人からしか出てこないであろう。
普通のスーパー銭湯では様々な種類の浴槽を持つことは魅力の向上につながるが、サウナがメインの場所では、浴槽は極端な話1つでよい。それよりも、「サ室→水風呂→休憩」というサイクルに付随した施設の充実にこそ価値がある。
限られたスペースの中で、こうやって大胆にも浴槽を減らしてまで整いへの道を確保しようとする姿勢に、私はここのオーナーのサウナに対する並々ならぬ熱い思いを感じるのである。
(後編へと続く)